大誤算
DaiGoさん、アホみたいにやらかしました。
まさに最初の投稿も、その後の弁明も、色々とやらかした大誤算だったと言えるだろう。
俺は全編見てはいないが、ネット記事から勝手に彼の行為を推測して評論してみようと思う。
まず、彼は本当は俺がこれまでやってきたような命の価値についての評論を試みようとしたのだと思う。
命は等しく尊いと言う欺瞞への批判だ。
つまり、命を大切にしろと言ったところで、個々人の人間にとって他者の命は等しく大切「ではない」し、自分の命を守りたいが為に他人の命を守れと、本心にない掛け声に己の欲を乗せた言論は、命に対する哲学が欠落しているし、結果として一部の命を守るだけでありながら全体を守っているような自己欺瞞に陥り、結果として死ななくてもよかった人を人為的に殺すような欺瞞に満ちた「正しい人」の命なんざ全く尊くもない、と言う話だ。
その話をする為に具体例として生活保護やホームレスを出し、また猫を出してきたのだろう。
だが、俺のような文書で著す表現ではなく、頭で思いつき、口からすぐに出て人々の耳目に入ってくる、しかも編集の余地もない生放送の動画と言う媒体で行ったことにより、本心と違う方向へ暴走していったのだろう。
俺もテキストデータとしてここに残ってはいないが、書いている間には脳内に様々な考えが浮かんでは、「なんか違うな〜」と消されていくものだ。また、書いている間にはブランクが当然ある。中断し、それまでどんな事を書いていたかを見返し、思い出しながら、また都度気づいては訂正、と言う行為を公表する前に繰り返し行っている(全てとは言えない。怠ることも多々ある)。
そして欺瞞に対する表現を行う上で、自分の中で欺瞞であるとの確信がより強くある場合、それを相対的に大きく、強く見せたいと言う衝動にも駆られ、つい比喩の方に力を入れ、脱線し、悲惨な結果を生むことになる。
それが今回の彼の失策ではないか?
彼は基本的に賢い。賢いから弁明の為のロジックはすぐに出てくる。
だがしかし、それは世間の物差しから言えば賢さとは真逆の印象しか与えない。
所謂大衆を相手にしたビジネスなら最初から理解し、対策しておかねばならない、しかも中々に致命的なリスクだ。
ここで話は一気に変わる。
大衆にとっての道徳とは、弱者と言う設定、属性を持つ者を礼賛しない者を排除することだ。
大衆の道徳には哲学、逡巡、熟考、自省がない。条件反射しかない。
絶対的強者(悪)と、絶対的弱者(善)が存在し、その世界で勧善懲悪と称して悪を懲罰すること、それが彼等の道徳だ。
この、奴隷(弱者)が奴隷であることを善的な前提条件として実践されるものを奴隷道徳と呼ぶ。
この奴隷道徳は、マルクス以降は共産主義と言う服を纏い、
共産主義の崩壊後はリベラリズムと言う服を纏って我々の眼前で偽りの徳を、偽りの善を説いている。
彼等は、道徳的な正義を説いているようで、実は説いていない。
悪と自らが仮定した敵に対して攻撃しているだけなのだ。
彼等は常に味方であると騙ってくるが、何一つ実質的には役に立たない。
いや、役には立つこともあろうが、それは彼等の欺瞞の上に儚く成り立っているものだ。
今回の件もそうだ。果たしてDaiGoさんの大誤算を叩くことによって何が生まれただろうか。
生活保護やホームレスの待遇改善の策が出されたか?
また彼等をなるべく生み出さない為の議論が出されたか?
そもそもDaiGoの意図を理解して議論は行われているか?
いや、そもそもそもそも議論なんてあったか?
大衆とは、奴隷とは、畜群とは、基本的にこのようなものだ。
批判はするが、そこから先は何もない。
だが本当に我々に必要なのは批判そのものではなく、批判の意味、目的だろう。批判は手段でしかない。
だから俺はまず彼の失敗を馬鹿だなと一定程度蔑みつつ、それ以上に歪んだ世間の議論が齎す災厄を批判する。
そして悲しいかなその批判は俺が世界を変える為に行っているのではない。
俺が世界に変えられない為に、俺の一線を守る為に行っている。
畢竟、一人一人の思想と実践こそが実存だろう。
その実存を守り、広げる戦いこそが人生だ。
まさかこんな話にまで飛躍するとは、まさに大誤算だった。軽く、さっさと昨日の内に書こうと思っていたが、中断する度に色んな考えが逡巡する。
人の発言は、どんなに核心をついたように見えても、本人が無自覚、無意識で行なっていることもある。
何事も決めつけることはやめよう。
子曰く、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義に之れ與に比う
是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ。
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