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『M 愛すべき人がいて』雑記②

さて、続いて筆者(29・男)が何故このドラマにはまってしまったかについて書きたいと思う。

『M』との出会い

僕にとって原作小説『M』発売のニュースは単なる芸能ゴシップ。あーそうだったのね、てことは長瀬君の前のことね、くらいにしか思わなかった。アユのデビュー時、僕は小学校低学年。ヒット曲を聞けば一応口ずさめるくらい。ドラマ化のニュースも当時のファンくらいしか興味ねえだろ、程度の薄い反応。

あの晩、たまたまテレビをつけていたら『M』第一話が始まった。冒頭の安斉かれんの語りのシーンで一気に引き込まれた。

何、このザワザワする感じ。。演技力、、妙にアユに似てるし。この時点で直感的にこのドラマの「ボケ」具合を感じ取っていたのだろう。

つい友人に話したくなる

友人らにこのドラマ、面白いよ!と紹介した。「へえ、あっそう」「アユにそんな興味ないしな」「時間が合えばみようかしら」くらいのリアクション。僕もあの夜の事故的に出会いがなかったら、そんな感じだったんだろう。親しい人間で観ていたのは元同僚Uさん(33・女)のみ。彼女との会話が『M』熱を加速させた。その際、Uさんから副音声版をすすめられて初めてその存在を知った。しかしテレビ番組について誰かと語り合うなど、いつぶりだろうか。僕より4つ年上で、浜崎あゆみ‘準‘直撃世代の彼女。その当時の思い出も含めてやけに熱っぽく語っていた。

再編集版、副音声版の放送

Uさんに教えてもらった伊集院光らの副音声を観てからののめり込み方についてはドラマ同様、まさにジェットコースター。コロナ禍による第四回以降の放送延期に伴い、再編集版と副音声版を繰り返し放送された。複数回観ても、毎回新たな味わいを発見できる。伊集院らから解説、ツッコミ、時代考証、等々の様々な切り口で『M』を楽しむ方法を学んでいたから。

共有相手ができたから

どんどんのめり込んでしまう。不思議なもんで、Uさんという共有相手(≒競争相手)ができたことで「もっと深い情報を共有してやろう(≒俺のほうが詳しいぞ)」「もっと深い味わい方を共有してやろう(≒俺のほうが楽しんでるぞ)」となっていく。

コロナ禍での暇も手伝って、原作本やニュース記事などをチェック。思い返せば昔からこうだ。共有しようという感情の裏には知識量でドヤ顔しようという感情が潜んでいる。僕はいわゆる「オタク」気質の持ち主と言ってもいいだろう。

大河きっかけで戦国武将を好きになる感じ

例えるとそんな感じ。もちろん僕もドラマの舞台となる時代をリアルに生きていたのだが、なにぶん関西のベッドタウンに生きる小学生。そのころのTKファミリーの感じとか、ディスコとか、ギャルとか、渋谷や六本木の町並みなどにはイマイチ、ってかホトンド馴染みがない。

当然だが、その当時の参考史料となる映像や文献は山ほど残っている。大河を見て、『竜馬がゆく』を読む人がいるように、原作本を読みYouTubeを観た。アユが竜馬だとしたら、新選組(TKファミリー)のことももっと知りたくなる。といった具合に歴史オタクよろしく『M』沼にハマってしまった。

29歳男性がなぜハマったのか

ドラマとの偶然の出会い、共有相手(≒競争相手)の出現、生来のオタク気質、この3点が主な要因である。

僕は次、一体なんの「沼」にハマることになるのだろうか。。


③に続きます。

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