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未消化の感情エネルギーを解放する。

過去の出来事を思い出すと、その時の感情が出てくることがあります。

その出来事は昔のことで、だいぶ時間が経っていても、その時に感じた感情が自分の中にあることに気づく。そう感じる出来事は、誰しもあるものではないかと思います。

普段は、とても感情が動いた出来事であっても、出来事とその時の感情を切り離していることがあります。そもそもそんな出来事があったことも忘れているということもあると思います。

強い感情であればあるほど、自分の記憶や体感覚としても残っていると思いますが、強いネガティブな感情の場合は、自分自身のコントロールをするために一旦その感情を切って、深い記憶の中へ保管するということもあるでしょう。

しかし、思いがけない出来事から、意識の深い場所にしまい込んだ感情が湧き上がってくることがあります。厳重に管理された地下深くの格納場所が、地震によって亀裂が入り、エネルギーが漏れ出してしまう。

自分の中で整理をつけたと思っても、実はそうでなかったかもしれません。
特に人間関係、家族、パートナーシップに関することは、しまい込まれているようなことがあります。

忘れていた記憶が蘇ってきたときにどうするか?
その時の感情が出てきたらどう対処するのか?

過去の出来事を体験したこと、そのこと自体は変わりません。
その時に自分が感じた感情も、感じなかったことにすることもできないでしょう。

感情自体によいものわるいものはありません。たとえ小さい頃に両親や大人からその感情はよくないものだと教えられても、社会からよくないものと判断されるものであっても、感情それ自体は中立的なものだと思います。

悲しいときは、悲しいものです。

理不尽な出来事を体験したら、憤りを感じ、怒りたくなるのも自然なことです。

誰かを助けたいと思っても自分に力がなかったなら、無力さを感じるのも人間ならあります。

自分が努力しても手に入らないものを、何の苦労もなく手に入れたり、元々持っているのを見たら嫉妬を感じるかもしれません。

苦しい状況にある人を見たときに助けたいと思っても、勇気がなく行動できなかった自分自身を責めるかもしれません。

一つひとつの感情によしあしはなく、ただそう感じている。
もしかしたら、これまでに誰かからその感情は感じてはいけないと言われたり、感じることがおかしいと言われたり、ということもあったかもしれません。
それでも、自分の中にそう感じる感情が出てきたことは変えられないし、なかったことにできない。

辛い体験であれば、その時の嵐のような状況を思い出すのも苦しいかもしれません。それでも、もしできるようであれば、自分で自分を救いに行ってあげることはできます。あのときの孤独で相談もできなかった過去の自分に、今の自分ならどんな言葉をかけるか。

もしかしたら、何も声をかけることができないかもしれません。
まだ、あまりにもその時の感情が大きければ、触れることができないこともあります。一緒に泣いてあげることしかできないかもしれません。隣にいて、その話をただただ聞いてあげることしかできないかもしれません。

一度に全てを解放することはできないかもしれませんが、少しでも自分の感情を感じて、その時の自分も肯定してあげると、過去の体験から感じた溜まったエネルギーを解放することができるかもしれません。

ゆっくりと、大きく深呼吸をして、溜まったものは吐く息とともに体から出て行き、新しく新鮮な空気が自分の中に入ってくる。そんなイメージで呼吸すると少し楽になることもあります。

私たちには、自分で自分を癒す力があるはずです。

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