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中国から来た友人と先輩の話 イギリス社会人留学

こんにちは。バッハ・コナカです。以前ここで、「どこの国だからこういう性格だ」というボックスに入れるべきではない、という話をしました。その考えは今でも変わりません。しかし、それについてちょっと考えたいトピックがありましたので共有します。

まず、私が通っているコースで最初に出会ってすごく仲良しになった中国人のお友達(ここではモーツァルトといいましょう)がいます。モーツァルトは30歳で年齢も近く、考え方にも共鳴できる。例えば、「結婚する必要はないと思っている。両親もそれを求めないし」と言ったり、「母親が私に痩せろと言うけれどそれはボディシェイミングであり、間違えた考え方だと思っている」と言ったり。以前に書いた、同性愛差別をするサウジアラビア人のクラスメイトに対しても憤慨しています。イギリスで男性とアプリで出会ってデートしたという話をしてくれたときに、「You're beautifulって言われるたびに、I know!!って答えてる」という姿勢も、ラブマイセルフでいいなぁと思いました。日本にいるときも中国の知り合いは何人かいましたがそんなに深く話したことはなく、モーツァルトは初めて深い話ができた中国のお友達です。彼女は決して政府の悪口を言いませんし、台湾のことも香港のことも中国に属していると心から思っています。しかし当然ながら香港や台湾のクラスメートにはナイスです。

で、モーツァルトと私はちょっと早くからコースをスタートしたのですが、1ヶ月後に新しい学生たちがコースに合流しました。たくさんの中国人の生徒がきました。ある日モーツァルトと私がごはんを食べに行った時に彼女が、「ねぇ、新しく来た子たちいるじゃない?あの中の二人がすごく嫌な子なんだ。中国語で、クラスメイトの男子のことをハゲと呼んでるし、インド人の子が手を使ってごはんを食べていたのを『うわぁ手を使って食べてるよ』なんて言ってるんだよ。みんなが中国語わからないのをいいことに!」と教えてくれました。クラスにそういった差別的で無礼なことを陰で言っている人がいることがショックでした。続いて彼女は、「すごく感じが悪いよね。それにここは英語のクラスだから私は毎回彼女たちに英語で話しかけるのに、そのたびに彼女たちは『ねぇ!中国語しゃべるれるでしょ?なんで英語なの?』と言ってきて、本当にうんざりなの!」と言うんです。モーツァルトが同じ国の子のことをそんなふうに話しているのが少しだけ意外で、やっぱり国で人は区分けするものではない、これは個々人によるんだという気持ちを強めました。

また別の話になりますが、同じ大学の修士コースに通っている中国人の先輩(ドビュッシーとしましょう)と話す機会があり、彼女のお家にお呼ばれしました。ドビュッシーはすでに1年イギリスに滞在しており、あとは卒業制作を終えるだけ。ケーキとお茶を出してくれて、すごく素敵なインテリアの、コージーなお部屋に住んでいます。深く話しているうちに、ドビュッシーが祖国に対してかなり絶妙な思いを抱えているということをシェアしてくれました。「政府の考え方には共鳴できない」とはっきりと言うのです。彼女は台湾や香港への考え方も、私たちのスタンスに近い。「こうやって全てが検閲されて、政府の意向に沿うことしかメディアで流れないのはかなりおかしい状況であるとここに来て気づいた」と言うんですね。ましてやアメリカや日本、韓国などすべての国を敵視して、なぜロシアと仲良くするのか。そこまで話していました。そこで「いつ、そういう考えを持ったの?」と私。(以前に別の中国人のクラスメイトの20歳の女の子は、メディアの検閲についてディスカッションしたときに、「政府がそれを検閲するのは当たり前で国民にとって必要なことだ」と語っていたからです)。するとドビュッシーは、「自分が中国にいるときに、すでに言葉にできない違和感はあった。でもこちらに来てその違和感が顕在化された。けれどそれをオンラインで発信したら私の国での人生は終わるし、ましてやほかの友達と語ることも決してない。私のような考え方をする人はとてもレアである」と言うんですね。「自由がないという状況を、不自由に感じたことはある?」と尋ねると、「元から不自由な状態にある場合、たいてい人はそれに気づかない」とドビュッシー。こうやって彼女が正直に話してくれたことがとても嬉しかったけれど、それには相当の勇気が必要だったはずです。

この二つの経験から総合するに、やはり国によって人をキャラクタライズするべきではないんです。性格や考え方は、個々人によります。いまだに日本で「中国人は〜」みたいに言う人が、比較的リベラルであるとされるファッション業界にすら結構いますが、無学で無礼です。中国における愛国心や政府への考え方は、一筋縄ではいかないと思います。いくら厳格な教育と偏向したメディアコントロールがあるからと言って、それはその国の人々の本心までを完全に統一していることにはなりません。また彼女たちはオンラインで自由に政治的意見を表明する場所がないため、彼女たちの本音に触れる機会をインターネット上で得るのは不可能に近い。やっぱりこうやって一対一で、膝を突き合わせて話をする重要性を実感せずにはいられないのです。そしてこういう会話が交わせたのは、ほかでもない「英語」のおかげだったりします。

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