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【イタリア旅日記07】「ゲットー」という呼称はヴェネツィアで生まれた?

2022年イタリアに旅して思ったことあれこれ 〈第7回〉

 ヴェネツィアで今回初めて存在を知った場所がある。その日、最後に訪れた「ゲットー」だ。華やかな観光地とゲットーがなかなか頭の中で結びつかなかったが、ミケーレによると、ユダヤ人居住区が「ゲットー」と称されたのは、ここヴェネツィアが最初とのこと。

 「ゲットー」という言葉はヴェネツィア語で「鋳造所」を意味する”Gèto"
に由来するそうだ。1516年にヴェネツィア本島北西部の鋳造所跡にユダヤ人居住区が作られ、ヴェネツィアのユダヤ人はその地域に移住を強いられた。そこを「ゲットー」と呼んだ。これが、ゲットーという言葉がユダヤ人居住地を意味するようになった始まりらしい。

 小さな橋を渡り、建物の一部に穿たれたトンネルのような入り口をくぐる。この入り口にはかつて扉があって、ユダヤ人は夜間は外に出られなかった。その先、ぱっと視界がひらけて、集合住宅のような建物に囲まれた広場に出る。観光客の姿はほとんどない。

 広場の奥に「IKONA PHOTO GALLERY」というギャラリーがある。中に入ってみるとちょうどかつてのゲットーの写真展をやっていた。シナゴーグ内部の写真などが展示されていたが、読むには知識が必要な写真だった。私は写真を理屈っぽく読むほうなので、何も知らずにきたことを後悔する。

 ギャラリーのオーナー女性は鋭い眼差しが印象的な女性。あとから調べてみると、彼女はŽiva Krausさんというクロアチア出身のアーティスト、キュレーターであり、40年余りヴェネツィアに住み、ギャラリーを運営しているとのことだった。

 ゲットーに入ったもののすぐに戻らなければならない時間になってしまった。振り返り、広場の全景だけ申し訳程度に写真を撮る。

 そこから少し歩いたところで足元にくすんだ金色のプレートが埋め込まれているのに気がついた。強制連行され虐殺された人の名前が刻まれていた。これもまた後づけだが、ヴェネツィアのゲットーからは1943年11月から1944年8月までの間に約250人が強制収容所に連れていかれ、生きて帰ることができたのは8人だけだったと知った。

 ここはもう一度、勉強してから来なければならない。その時はひとりで、ゲットーだけに時間を費やす。自分を律してくれるカメラで撮る。深く向き合うべきものは、時々こうして降ってくる。


(須賀敦子さんが好きで、わりと読んでいると思っていたのですが、ヴェネツィアのゲットーについて書いていらっしゃるこの本はなぜか見落としていたことに気づいてシュン……( ;  ; )


(IKONA PHOTO GALLERYのオーナー、Živa Krausさんの動画。すごくカッコいい。今度行く時はポートレート写真を撮らせていただきたい!)

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