【イタリア・ドイツ旅日記08】ドイツに寄る。会いたい人には、会える時に会いにいこう
2022年イタリアに旅して(最後にドイツに寄って)思ったことあれこれ 〈第8回〉
旅の終わりにドイツ、フランクフルトに寄った。かつて住んでいたことがある。それからもう30年近くが過ぎている。
目的の一つは、かつてお世話になった人に会うことだった。バウアーさんというその人は市民講座で知り合った。日本に興味を持っていたことから、声をかけてくれた。住んでいる場所が近いこともわかり、それ以来、日本語とドイツ語を教え合ったり、一緒に料理をしたりした。年齢としては私より20歳くらい上で、当時もすでに50歳に近かったはずだが、なぜか仲良くしてくれて、辛かった時代に私はずいぶん救われた。
1995年の阪神大震災をきっかけに私は帰国し、バウアーさんは毎年クリスマスカードを送ってくれた。内側には手書きでぎっしり、たいていはその年、ご主人とどこへ行ったかが書かれている。旅行は夫婦の一番の楽しみだったが、特にナミビアが好きで、第2の故郷と呼んでいた。
それが次第に、書かれている旅行先も近場になり、それぞれの病気、入院、手術といった話題が多くなってきた。そして2021年、クリスマスカードにはずいぶん早い時期に普段とは違う様子の封書が届く。普段と違うというのは、二つ折りのカードが入っているにしては薄かったし、いつものように封筒にぺたぺた、楽しいシールも貼られていなかったからだ。
もしかしてと思いながら開けると、封筒の内張は黒。中には1枚もののモノトーンのカード。 Trauerkarte(悲しみのカード)だ。それでご主人が亡くなったことを知った。カードには、聖書の一節と共に、墓碑に刻まれるのと同じよう生まれた日と亡くなった日が書かれている。78歳だった。
ふたりはいつもとても仲が良かった。バウアーさんから、のろけ話は聞いても、愚痴を聞いたことは一度もない。3人で食事をしている時も、こちらに話を合わせてくれて、気の利いた冗談を言っては笑わせてくれた。そのご主人が亡くなって、バウアーさんがどれほど気落ちしているかは想像がついた。
イタリア行きを決めた時、いずれにしてもヴェネツィアからの直行便はなくて、どこかでトランジットだけのために長い時間を過ごさなければならないことはわかっていた。それなら、フランクフルトに寄ってバウアーさんに会って、そこから直行便で帰ろう。ヨーロッパ内であれば安い便はたくさんある。
会いたい人には会える時に会っておかなければ会えなくなる。
それを私はこの数年で思い知った。「また会おうね」が果たされないことは多いし、それは誰のせいでもないけれど、その中には、もう会えないとわかった時に「どうして会っておかなかったのか」と激しく後悔する相手がいる。
(↓この話、続きます、よろしければどうぞ!)
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