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歌ったり踊ったりしていたい

 小学生の頃、合唱部に入っていた。わたしは、当時歌うのが大好きで、歌うことで自分が世界の中心に立てているような気がしていた。自分の声が、案外、よく通る声だということに気づいたのはこの頃だ。息を吸ってお腹を膨らませるとき、空気が自分のなかで形を変えて、いよいよ振動になって伝わっていくことに、飽きることなく、毎日たしかに興奮していた。
 5年生のときの合唱コンクール県大会は、今年こそ金賞、と思って毎日練習を重ねてきたけれど、昨年と同じく銀賞だった。
 コンクールが終わった2学期の始まりの日、顧問の先生が審査員からの講評を聞かせてくれる。毎年そうだ。わたしは来年卒業だからどうしても金賞が獲りたくて、審査員の先生方に言われたことを何でも聞いて、改善して、来年こそは、と決意を新たにしたかった。いつもは騒がしい小学生たちが、その時はいちように全員体育座りをして、顧問から読み上げられる審査員講評の一言一句に耳を傾けていた。小学生でも理解できるような差し障りのない講評が続き、それだったら金賞くれたらいいじゃんか、とひとりふてくされそうになったとき、講評は、こう続いた。

「合唱の際に横に揺れている生徒がいますが、発声の姿勢として正しくありません。よって減点対象としました。」

 耳の後ろが一気にかぁっと熱くなり、そのあと急激に心が冷えていった。これが指しているのは明らかにわたしのことだったからだ。そう思えるほどの自覚があった。楽しくて楽しくて、全身で表現していたのだ。わたしが歌えていたのは、誰かに向けてではなく、シンプルに自分の楽しさだけだったのだ。体育座りをして聞いていたわたしは、自分の靴下のほつれが気になったふりをして、それ以降の講評を聞かなかった。

 自分の世界に、はじめて「他人の目」という概念がぶちこまれたこの時の衝撃は、大人になった今でも、結構、忘れられずにいる。その講評以来、わたしは少なくとも合唱の時には揺れることをやめた。でも、揺れて楽しさを表現することをやめてしまったらやめてしまったで「皆で聞いた講評を気にしてるんじゃないの」と周りに思われているんじゃないかと思って、たまにちょっとだけ、ぎこちなく揺れながら歌ってみたりもした。ちなみに翌年のコンクールの結果も銀賞だった。わたしはついに金賞を手にすることなく、小学校を卒業し、そこで合唱そのものをやめた。

 あの時から20年以上経過しているが、わたしは今でも、嬉しいことがあれば、ばれないようにマスクの下でにこにこしてしまう。心の中にお気に入りの音楽があれば、くるくると頭の中で鳴り続けているから、こっそり小さな声で歌ってしまう。仕事中でも思っていることがすぐ表情や態度に出てしまう。家庭ではすぐに怒ってしまうし、気づいたら泣いているときもある。そんな自分を、すこし恥ずかしいと思っている。

 好きなものを好きだって噛みしめるとき、楽しいことを楽しいって感じるとき、嬉しいことを両手で受け止めるとき、大人たちは皆どこで、どんなふうに消化しているのだろう。心の中に別の人格を飼っていて、そいつが代わりに歌ったり踊ったり、時にはそっと涙を流したりしてくれているのだろうかとふと思う。長く社会人生活を送っていると、人生に倦んでしまう日もたくさんあるから、だからこそわたしはこうやって日々のことを書き記していこうと思っている。他人の目に触れることは正直すごく気になる。どこかの見えない誰かが「減点対象としました」と言って冷や水を浴びせてくるかもしれないから。でも、投稿ボタンのエンターキーを押すとき、わたしはきっと、小5の時のわたしと一緒になって、揺れながら高揚しているのだろうな、とも思っている。

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