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ヨシタケシンスケさんの展覧会で感じた「わたしの好きなこと」作り手の目線【人生観】

先日、上田で開催されていたヨシタケシンスケさんの『ヨシタケシンスケ展かもしれない』に行って、改めてヨシタケシンスケさんの魅力を感じ、また、「わたしが好き」だと思うことの輪郭がはっきりしたので、綴っていきます。


ヨシタケシンスケさんのことは、カフェで、デビュー作である『りんごかもしれない』を手にとり、哲学的な面白い本を書く人がいるんだなぁと知っていました。

その後、死生観やACPについて「どうにか明るく、分かりやすく伝える方法はないか?」と模索している時に出会ったのが、『このあと どうしちゃおう』です。

今回、そんなヨシタケシンスケさんの展覧会ということで、前売り券から購入し、期待に胸を高鳴らせて行ってきました!


⚫︎展覧会自体の感想

絵本にも散りばめられている、「遊び心」が満載の会場でした!

アルプスをバックにした窓に小さくイラストが書いてあったり。
会場の前には「会場に入る前が いちばんたのしいの かもしれない」、会場の入り口には「あなたをずっと まっていたの かもしれない」、トイレの前には「トイレにいっといた ほうがいい かもしれない」などのシュールな表情の立て看板。
来場者の顔が「りんごかもしれない」のりんごになる「あなたもりんごかもしれない」
出口では「あなたのみらいは これかもしれない」というくじを引くこともできました。

(余談ですが、夫は「ものしりハカセ」、私は「かみのながさ せかいいち」でした)


もちろん内容も、圧巻のメモ集や、絵本のラフ画・アイディア画など、たまらない内容でした!

⚫︎「わたし」が興奮したことは、作品を「作る」プロセス

そんな楽しい展覧会の中、私にとって一番テンションが上がったのは、「作る過程を感じる」ことができた瞬間でした。

初の絵本である、『りんごかもしれない』を出版するにあたり、ヨシタケシンスケさんが、編集者さんと行ったやりとりの展示です。

ヨシタケシンスケさんメモ「編集者さんからの『お題』がコチラだったのです。」

ヨシタケシンスケの発想えほん
ひとつの りんごを どうするの?
りんごであそぶ 100の方法
1. ことばであらわす
2. くさるまでかんさつする
3. 代用してみる
4. 分解する
(…などたくさん、イラストとともに書いてある)

ヨシタケシンスケさんメモ「で、『お題』に対してこのようにご提案したのです。」

「りんごのとらえ方」として以下の3つのアプローチがあるのでは、と思いました。
①分類する(いろんな視点で定義する)
 ぶんかいする・せかいの言葉にしてみる・ことばで表す・データをとる など

②「使い方」を考える
 ヘンな切り方、食べ方をしてみる・そだてる・かわいがる など

③「実は⚪︎⚪︎かも」と想像する
 中に住んだら、と想像する・こんなりんごがあったらいいな など

中略
「りんごであそぶ100の方法」というよりは
「りんごじゃないかもしれない100(?)の可能性」という感じでしょうか。

この展示を見て、
「編集者さんの提示したお題も面白い」
「さらに、それを論理的に3分類にしているヨシタケシンスケさんすごい」
「作家さんって直感的に構成を考えているイメージだったけど、理論的なんだ」
「このアイディアからあの絵本に落とし込まれたんだ」
「『あそぶ100の方法』を呼水に、『かもしれない』が生まれたのか」

と感動しました。

人と人が対話する中でアイディアが生まれ、洗練されて、作品に落とし込まれる様子を感じることができて嬉しかったです。


後から知ったのですが、その編集者さんは、かがくいひろし さんの「だるまさん」シリーズも手がけていらっしゃるそうです。やはり大好きな、遊び心満載の絵本です。

⚫︎実は前から「プロセスを感じる」のが好きだった

このことで思い出したのですが、私は昔から「プロセスを感じる」ことが好きでした。

悪趣味と言われることが多いのですが、小説を最後の章を一回読んでから、最初に戻り、読んでいくことがあります。

つまり、ネタバレした状態で読むのです。
理由は、オチに向けた伏線や工夫を見つけながら読みたいからです。「あのオチのために、この表現を入れたのかな」「こうやって描写されてることで、印象に残って、最後にも思い出すな」とか。

ドラマや映画を観るときも制作者側の意図を想像するのが好きです。「ここでアップのカットを入れるってことは何かあるな」「わざわざこのシーンで彼を映してるから後でキーマンになるな」「この小物が目立つように映してあるから大事なのかも」とか。

作り手の人たちの意図を感じる表現を見つけて、その工夫を生み出すために重ねたであろう対話やコミュニケーションに想いを馳せるのが好きなのです。

なんでだかは上手く言語化できないですが、作り手の人たちの愛や情熱を感じるからかもしれません。自分も作り手になるときは、工夫を散りばめたいと思っているからかもしれません。

純粋に作品をエンタメとして楽しめているかは分からないですが、それでも、「わたしはこの楽しみ方が好き」と自信を持って言えます。

展覧会を通して、自分の「好き」を改めて感じ、これからも大事にしたいと思った瞬間でした。


みなさんもきっと自分だけの「好き」があるはず。それを大切に自分らしく過ごしてみてくださいね。

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