塾に通い続ける意味とは
塾に行き始めて半年も経つと、歪みが生じ始める。
塾で使用していたテキストは、四谷大塚の教材と塾独自のテキストやプリントだった。
四谷大塚といえば、有名な予習シリーズ。
理想は、塾に行く前に予習をして、塾で学び、その日に復習して理解することが望ましい。
しかし、うちはまったく出来ていなかった。
正確にいうとやる時間が無かったのだ。
予習はできないまま塾へ通っていた。
塾は、国語、算数、理科、社会の4教科。
毎日出る学校の宿題と塾の宿題。
2つの宿題をやるだけで精一杯の小学生。
塾では漢字や計算の小テストも毎回あるので、宿題の他にその勉強もしなければならなかった。
当時の娘のスケジュールは、こんな感じ。
21:00からようやく勉強ができる時間になるが、実際は学校の宿題から取り掛かる。
悩ませていたのは、学校の宿題「自主学習」だ。
自主学習については、今度別で書こうと思うが、テーマを決めるのにも時間がかかる。さらに1ページに時間をかけ過ぎてしまう傾向があった。
本来ならじっくり宿題に取り組んで褒める要素なのだが、なかなか塾の宿題に取り掛からず、私は毎日やきもきしていた。
まだ小学5年生。
自分で時間配分を決めるには幼かった。
そして塾の予習の宿題は、かなりハードルが高い。
解き方も考え方も分からないのに子ども一人だけで出来るわけもなく、夫が横について一緒にやることが増えた。
夫と娘が深夜まで時間をかけて予習の宿題をして、翌日塾へ行く。
塾では時間の都合で、あっさり解答プリントを配られて終わり、なんて日もあった。
「あんなに家でやったのに・・・」
そう感じたのは夫も一緒だった。
夫は教育者ではなく素人。ついつい説明が長くなり、深夜になる。
あくび連発。寝不足で疲れ切っていく娘。
このまま宿題に追われていくだけで塾に通う意味があるのか、本当に中学受験をするべきなのか、それさえ分からなくなっていった。
中学受験への道は、想像以上に過酷で親のサポートと覚悟がなければ乗り切れないのだとじわじわと感じていったのだ。
今は、分かる。
塾の宿題をそんなにきっちりしなくて良かったのだ。
ざっと見て、分からないなら飛ばす。
予習をじっくり全部やる必要なんて無かった。
でも小学1年生から、宿題は忘れずにやりましょうと教えられた娘にそんな考えは浮かぶわけもない。
塾のテストは点数が取れず、偏差値も下がり、授業に付いていけていないのが明白だった。
そして2月。
小5のカリキュラムが終わりを迎え、小6のスタートが目前に迫っていた。
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