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身体感覚の変化

今年の上半期も終わり。
美味しい丹波篠山の丸餅を頂き、人生で間違いなく一番たくさんのお餅を食したお正月。そんな今年の幕開けがかなり前のことのように思われる。これまでの人生では、お正月だからお餅を食べる、くらいの意識だったのが、今年はお餅が美味しいからずっとお正月だったらいいのにくらいに思った。

何はともあれそれから6ヶ月が過ぎ、ちょっと今年を振り返ってみようと思った。
去年は、何故かお正月・旧暦のお正月・春分、という節目を強く感じながらも、あっという間に3月になり、気付いたら半年が終わっていたという記憶がある。毎度、えっ?もうこんなに時間が経ったの?という感じだった。
けれども、今年の前半は全然違って各々の節目を全く覚えていないし、時間が経つのが遅かった気がする。時空が歪んでいたという方が正しいかもしれない。ところどころの記憶はあるけれど、なんとなく違う世界に行っていたような浦島太郎のような気分。

ただこの半年の間にすごく印象に残っていることがある。それは自分の感覚の一部が前より敏感になったということ。

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ある冬の朝、会社に行くのに車に乗って信号待ちをしていた。別の車が隣に停まった。2月か3月頃だったと思う。それで何の気なしにふと隣を見たら、その車を運転している人の気分がぐわっと伝わってきてびっくりした。昔から人の気持ちなどが分かりすぎてしまうところはあるのだが、話もしていない、隣の車を運転する人の気をそれほどまでに感じたのは初めてだった。
その日は気のせいかなと思ったのだが、それ以降も、信号待ちの時に隣の車の気配を感じるようになり、あぁこの人は落ち着いているなとかいらいらしているなとか振り向いて視覚的に捉えずとも感じるようになってしまった。その人の気が車に染み付いているのかもしれない。今だけのことかずっと続くのかは分からないけれど、今はそんな状態。

時々気分を上げてくれるナンバープレートも🏌️‍♂️⛳️

もう一つ似たようなことがあって、嗅覚が鋭敏になった。これまで自分の鼻がいいと思ったことはなかった。何か特筆すべきことがあるとすれば、お料理をしている時に、香りだけでお味が分かるというくらい。鼻と口は繋がっているので当たり前といえば当たり前。と、ここまで書いて、感覚が優れていたのは味蕾の方かも?と思い、実際お料理をしている時に働いているのが、嗅覚なのか味覚なのか分からなくなった。味蕾は確かに幼い頃からとても敏感だった。

さて話を戻して、私が借りている家は、地下(といっても実際はお庭に直接出られる一階)に別の人が住んでいるのだが、ある朝そこからシャンプーなのか芳香剤なのか人工的な香りがしてくるのに気付いた。それが大体いつも朝起きてベッドルームがある上の階から一階に降りてくると決まって匂うので、すぐ窓を開けるようにしている。
ところがある朝、二階のベッドルームのドアを開けて階段の踊り場に出た時にツーンと感じて自分でもかなり驚いた。もちろん寝て起きて香りのことは全く意識していないし身構えている訳でもないのだが、見えない香りの分子がここまで到達し、私の鼻に吸着したんだと妙にリアルに感じた。

5月にロサンゼルスの道端で ジャスミンのような良い香り
テイカカズラというそう

もう一つ最後に、これはちょっと毛色が違うかもしれないが、寝ている間に食いしばっている自分を認識できるようになった。それはいつも朝方なので、もしかしたら気付かずにいる時もあるかもしれないが、いずれにせよ初めてのこと。私は幼い頃から歯軋りがひどく、小学校中学年くらいまでは、夜中に泣き叫ぶことも多かった。自分では無自覚だったけれどいつも母が困っていた。大人になってからも寝ている間の歯軋りは治らず、カナダに来てからある時それを治せるという先生に会って、実際歯軋りは治った(その過程を書いた記事はこちら)。

それでも食い縛りはしていたらしい。薄々気付いてはいたのだが、自覚はなかった。それが、あぁ今だ!とその瞬間を捉えられるようになり、少なくともその時はやめられるようになってきた。

だからなんだと言う訳ではないのだが、こういった身体感覚の変化が同時に起きたのが興味深くて、それ以外のことも色々あったと思うけれど、今年の前半の記憶としては一番印象に残っているので記録しておこうと思った。

皆さまもどうぞ良き半年の折返しを!

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