炎城(えんじょう)2
坂本城天主の窓から少し煙が入ってきた。我に返る。今が、天正一〇年(一五八二)六月十五日の未明であることを想起する。
装束に着替え、辞世の句を残そうとしたが、何に書き付けてもこの場で果てるつもりであっては、燃えて後世に残らない。自分の愚かさを呪う。
すると、炎にくべた竹が爆ぜる音がした。
破裂音で、遠き日の思い出が今一つ脳裏によぎる。
〈平蜘蛛釜〉
あの日は、信貴山城が燃えていた。
熱気が信貴山中腹の織田軍・明智方の陣まで届く。
時は天正五年(一五七七)十月十日。それまで堅固を誇り、そびえたっていた天守櫓が朱に染まる。
先ほどまで細川藤孝様と話されていた殿・光秀様が傍に来られた。
「落ちたな」
「そうですな。惟任殿も苦戦なされましたゆえ」
「此度の松永弾正討伐も先駆けご苦労であった。主(ぬし)と順慶のおかげでこの堅城も……」
大きな音がした。何かが破裂したような音にも聞こえる。
天守からさらに大きな炎が上がる。
パラパラと粉塵が届いた。火薬を使ったのか。
「殿、危険です!」
「心配無用。しかしやりおった。弾正め、最後まで本当に喰えん輩じゃ。すべてわやになってしまう」
普段から冷静でそれほど感情を見せない惟任日向守光秀様が、声を荒らげ、珍しくいらだった様子で続けた。
「誰か、順慶を呼べ。火が収まり次第、見聞に向かう。秀満も参れ。信忠様にも伝えてまいる」
「羽柴様には?」
「あ奴の戦いは、戦が済んでからじゃが、言いに行かんわけにも参らんな」
いやそうな顔をする。
殿は、四年前に「木下藤吉郎」から「羽柴秀吉」と名を変えたこの男のことがあまり好きではないようだ。大殿に仕える数多の武将は、豪放なもの、知略に富んだものさまざまだが、この男の芯はそういう所にはない。さらに、今、長浜城に居を構えながらもどんどん金品や名品・逸品などが流れ込んでいるという。それを、彼を慕ってきた配下の者に分け与え、それがさらに金を呼ぶという良い循環を生んでいる。江北の小さな町が、物や人の流れの拠点となり、栄えつつある。
結局、殿と細川忠興様、筒井順慶、拙者と手下のもの数人で信貴山の麓に構えられた羽柴様の陣へと訪れた。
近づくといつもに比べて多くのかがり火が焚かれ、これまで禁じられていた酒までふるまわれているようだ。天下の悪逆人と呼ばれ大殿の嫡男、織田信忠様を総大将にして、佐久間信盛様やこの羽柴様などが攻めた大戦(おおいくさ)も幕を下ろしつつあることが肌で感じられた。特に、羽柴様は、上杉謙信との戦いで柴田勝家様の補佐として加賀に出向いていたが、勝手に陣を離れた咎での謹慎を解かれて最初の戦いであった。
陣幕の中に入ると、すぐに立って迎え入れながら羽柴様が声をかけた。
「これは惟任様。わざわざ、このようなむさくるしい陣にまでおいでいただけるとは、恐悦至極にございます」
さすがにもみ手などしてはいないが、目を閉じて聞くと、いかにもそのような声色だ。ここで気づく。このお人は、武将ではない。商人(あきんど)だ。「人たらし」などと言われるが、周りをうまく動かし、自分に良い風が吹くようにしている。
「羽柴殿。この戦は、禁酒ではござらなかったか」
「固いことを申されるな。もう、主(あるじ)は死に、城は燃え盛っておりまする。誰ぞ、惟任様へ酒を」
すでに、自分のルートで松永が亡くなったことも知っていた。そのことを、そつなく会話に入れ込んでくる。
「先ほど、ご自身でおおせられたように、弾正は城に火をつけ自刃し申した。この後、火が鎮まるのを待って見聞に参る。お任せくだされ」
「さようござるか。惟任様直々にお話いただきありがとうございまする。それでは、お任せ申す。信長様へは、信忠様へのご報告の後に、すでに私めから使者を立てておりますゆえ」
しかも、動きが速い。われわれ光秀様の軍も相当早くに動いていたと思われるが、その上をゆく。小姓が、塗りのお盆にのせて酒徳利と猪口を持ってきたが、殿は、言下に否定する。
「いや、首級(くび)を確かめるまでは戦ゆえ、こちらではいただくわけには参らぬ」
「承知仕りました。これは失礼を申し上げました。そういう生真面目なところが、信長様の心を捉えておいでなのでしょうな」
頬に笑みを浮かべたが、明らかに表情が硬い。
唐突に気が付いた。羽柴様も、惟任様のことを得手には思っていない。好意を持っていないのだ。信長様の懐刀といえる武将は数多あれど、直接角を突き合わすことのできるような柴田勝家様のような武に長けた武将ではなく、我が殿のような武将が苦手なのだと。
「それでは、失礼仕る」
羽柴様の陣にいたのは短い時間だったが、自陣に戻った後も殿の機嫌は麗しくはなかった。
夕刻前から降り続いていた小糠雨が、炎にあおられてその雨脚を強めた。
「この分なら一刻(二時間)もすれば、鎮まるじゃろう」
一刻もせず、火の勢いが弱まった折に、再度声がかかった。拙者と筒井順慶殿、その他に数人を従えて殿が見聞に入られるという。一度火の入った城はもろくて危険だと申し上げたが、
「この場に、儂以上に城普請に詳しいものがいるのか」
と一蹴された。
確かにそうである。大殿・信長様に仕える武将の中で、築城の名手は数多あれど、我が殿、惟任様は武田方の築城名人、馬場某をも凌ぐと思われる。
城の構造に通じているということは、攻城戦の折には攻めやすく、またこうして破れつつある場合は、どこが頑強かということを見抜く目を持っているということだ。
「火の掛け方が下手じゃな。城を支える柱を中心に燃やさねば意味がない」
手に手に松明を持ち、鎧帷子は身に着けたまままだあちこちから煙がくすぶる信貴山城へと足を踏み入れた。すでに松永軍は投降しており、城内に人気(ひとけ)はなかった。殿が「そこを踏むな、この梁の上を歩け」など迷わず細かく指示をしてくださるので、早くに目的地に達することができた。
四層の天守櫓の三層、最上階から一つ下の階に畳が一畳だけ敷かれ、その上で倒れている二躯、少し離れた壁際にさらに二躯があった。周りには強く血の匂いが立ち込めており、天井や掲げられた陣幕にまで血が飛び散っている。
壁の一部は崩落しており、ここ数日戦ってきた信貴山の様子が月明かりのなか俯瞰できた。
畳の真ん中にある躯体のみ首がなく、すぐ横にある縮緬の布の上に置かれていた。少し焦げていたが、松永弾正のものに見える。
「自決か。仇敵の首級(くび)か否か、順慶、見分を頼む」
殿が呟く。首級見分が主たる目的ではないのは、その行為を筒井順慶にまかせていることからも分かる。もちろん、大和の国の城の取り合いをその身を削ってここまでやってきたことからしても、この首の見分けについて織田軍に筒井順慶に勝る人はいない。
「それでは失礼つかまつって」
首の横に片膝をついて順慶が見分を始めた。
もう一度手に持った松明を掲げる。雨上がりの雲の隙間からうっすらと差す月光のみでは部屋の隅の暗がりは闇に沈んだままだ。そこへ、殿がかがみ込み、ぶつぶつとつぶやいている。耳を澄ますと、「ない。釜はどうしたのじゃ」と口にしている。
「釜」というのは、数度にわたる大殿の要望をはねつけ、おそらくこの信貴山城にあると目されている「平蜘蛛の釜」だ。あまり、こういう時に横から手伝うと機嫌を損ねるので、見やすいように殿の手元を照らすにとどめる。
大殿は喫茶がお好きだという。湯を沸かすことができれば、それこそ陣中でも楽しむことができる上、茶碗はもちろん茶入れ、茶杓、茶釜など彩る道具も多彩だ。
この戦乱の世で、こうした茶器に価値を見出したのは大殿だった。意図してか、あるいは偶然のたまものかは分からないが、一国と比肩するほどの価値を持つものも出てきているという。
また、多くの武将たちがたしなみの一つとして、茶の湯に傾倒するのは分かる。拙者自身は、田舎の作法しか知らないが、殿などに磁器の茶碗でふるまわれると、心が躍る。加えて、茶そのものに覚醒効果があること、茶室などの隔離された空間は、密談にもってこいであることなど、さまざまな側面で有用なことが、こぞって屋敷に茶の湯用の炉を切ることの原因と言えよう。などと思いを巡らせていると、
「あった。やはりばらばらじゃ」
両膝ついて黒い金属片を手にした殿が声を上げた。
「やはり平蜘蛛の……」
そのとき、厚めの雲が風に流された。隙間からの明るい月光がくずれた壁越しに部屋を照らす。
殿が捜していた場所のすぐ横には、折られた茶杓、割られた茶碗、そして、粉々になった茶釜があった。火薬のにおいがうっすら残るところを見ると、どのような形でも人に渡したくはなかったのだろう。
「愚かなことよのう」
殿は深くため息をついた。
「道具は、使ってこそ、継いでこそ価値があるもの。このように、その時手にしていたからと言って破却してよいわけがない」
「手にしていたからということは、その人の持ち物であった、つまりその去就は持ち主の意のままということではないのですか」
「違う」
殿が即答した。白髪が混じった鬢に手をやりながら、ゆっくりと言葉を切って含めるように続ける。
「覚えておけ、秀満。名品、名物と呼ばれるほどになったものは、早いうちに見抜いて愛用した人がいるということじゃ。そうしたものを育てるのは、今、我々が心を尽くして物に相対する余地がある。そうした余地や余裕のない治世は滅びてしまうのじゃ。殷が周の紂王に滅せられたようにな」
茶の湯に強い興味を持っていたことは、よく知っていたが、道具や器物を愛しむのは、こういう裏打ちがあってのことだということを、初めて知った。
「そういえば、十年ほど前に、弾正が信長様に茶道具云々言っておりましたな」
「御前であった故、無用な口出しと思い、その折は申し上げなんだが、き奴の考えはあまりに身勝手じゃ、人に対してはもちろん、茶器に対しても謙虚に相対する。そうした方が、きっと口に運ぶ茶も旨うなると思うのじゃが」
するとそれまで子細に見聞していた順慶が声を上げた。
「殿、やはりこの首、松永弾正久秀に相違ございません。介錯したのは、息子だと思われますな」
「ご苦労。首桶を持て、ここの首級四つを安土へ送れ」
この惟任様の一言で、信貴山の合戦は幕を閉じることになった。
(滋賀県文学際に投稿したものを改変)
〈続く〉
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