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「気がつけば変わっている」に気づく

どうも、ウクモリ ヒロオです。

私は先日、経営者になって11年目に突入したのですが、振り返ってみると身の回りで実に様々な変化が起こっていることに気づきます。経営者になって3カ月で東日本大震災が発生し、10年が経過した時には新型コロナウィルスの感染が拡大し・・・100年に1度と言わることが次々と起こる世の中だからこそ、あらゆる事態に耐性がある企業作りを目指す必要があることを理解しています。そして、人は常にそんな状況下で喜怒哀楽と共に生きていることも実感します。

大変ありがたいことに、私自身はそんな中でも無事生き続けています。私はいつも誰かに支えられていて、1人では決して生きていけないと体験を通じて知りつつあるからこそ、「感謝」や「ありがとう」といった言葉の懐の深さを日々感じることが出来るようになりました。

また、この2年ほどは、常識がどんどん覆される事態が起こり、新たな常識がどんどんと生み出されています。私の場合、最近は若い方々との交流が多いので、その変化が彼らが起こしつつあることを目の前で見ています。様々な仕組みから生じている不整合な状況を、彼はすでに変え始めています。私は、そんな彼らのお役に立てることがあればと思いながら、スピード感では完全に劣っているものの一歩を踏み続けています。

ところで、日常の変化を感じるために何をすれば良いか悩むことがあります。時代は日々変化しているため、昨日はこれが良いと思ったことが、明日には変わっていることもしばしば経験します。子供の頃にSF映画に登場したモニター越しの会話など、携帯からスマホと移りゆく中、コロナ禍がキッカケとなり、ウェブミーティングが一気に普及しました。

また、画面越しに買い物が出来るようになりました。最初は実物を見ずに購入することを躊躇しましたが、次第にそれが普通になり、お店に行かずともブラックフライデーセールを楽しんでいる自分がいます。これらの変化は、あまりにも自然なカタチで変化してきたからこそ、変化だと認識出来ない人が多いまま、さらに進化を続けています。

私はよく、足元を見つめることの大切さを社員に伝えています。足元に落ちているものは、目の前にあるもの以上に価値があることが多いとの考えに基づいています。自分から1番近いところには、リアルなヒントがいっぱい落ちています。

ひとつだけ言えるとしたら、その点に気づけたからこそ、アイデアがより具体的なものになりました。この半年ほど、例えば共創施設などに行って、その場で気付いてさまざまなアイデアを提案させていただく機会があるのですが、そのアイデアはその場を見れば判るものばかりだったりします。

こうなってしまうのは、日々世の中に情報が溢れすぎているからだと感じます。情報に惑わされ、足元が見えなくなってしまっているからこそ、身近で起こっている変化に気付けていない。それが積もり積もった結果、何も生まれていない…。このnoteをお読みの方も、今足元を見つめたら、何かヒントが落ちているかもしれません。

こんなことを考えつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。感謝!

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