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愛媛・太山寺へ

どうも、ウクモリ ヒロオです。

以前、DMM.make AKIBAさんのマガジン「MAKERS」でもお知らせしていた通り、愛媛県にあるイワキテックさんという会社の工場見学に参加してきました。同社の担当の方と懇意にしていることから、息子も参加。その時にことは土曜日に「MAKERS」の枠で書く予定です。今日は見学後に向かった、松山での出来事について書き綴りたいと思います。

松山工業の創設者生誕の地・愛媛県松山市

実は松山は、松山工業株式会社の創設者 鵜久森巧(たくみ)の出生地です。第二次世界大戦後、成功を夢見て上京し、名前は故郷への想いを込め、松山商会という名の会社で起業しました。株式会社化した際に松山工業へと改められましたが、今年で創立75周年を迎える今でも、松山という名を絶やさずに事業を継続しています。

私は結婚を機に鵜久森性を名乗るようになったため、それまで松山は縁がない土地でした。ただ、10年ほど前に初めて訪れた松山は、新たな故郷というよりはむしろ創業者の出生地である・・・という意識が強くなりました。なので、今回初めて家族を連れていくことになり、しかも私の様々な行動に同調しつつある息子を連れていくことになり、とても嬉しく思いました。

四国八十八箇所霊場の第52番札所の太山寺

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市内からクルマで20分ほどの距離に、太山寺というお寺があります。ここは四国八十八箇所霊場の第52番札所として有名なお寺ですが、鵜久森(うぐもり)という苗字が多い場所でもあります。太山寺参道の寄附石を見ただけでも、それが本当だと分かるくらいです。

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そんな出生地である太山寺には、松山商会を立ち上げた鵜久森兄弟の墓があります。木々に囲まれた閑静な場所に佇む墓を前に、初めて松山を訪れた息子と一緒に感謝の意を込めてお参りをしました。

港で息子を見送る父として

念願の墓参りを済ませた後、一旦市内に戻りました。こちらについては明日掲載する予定なので、話は少し後の観光を済ませた日曜日の午後に移りたいと思います。

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観光を終えて移動したのは、太山寺近くの松山観光港でした。息子は日曜日の午後から福山に移動することになっていて、調べてみたところ高速フェリーで呉に出るルートが便利だと分かりました。なので、飛行機で東京に戻る私とはここでお別れ。

2人で過ごしたのは正味1日でしたが、私にとっては将来忘れることのない、かけがえのない2人旅になりました。そして、創業者出生の地から昨年成人したばかり・・・ただ、しっかりと成長した息子を送り出す役目を担う、旅に劇的な終幕に過去・現在・未来…様々なことを感じました。

色々考えながらも、帰りの飛行機の中でとてもポジティブな気持ちになれた自分がいました。ここ数年、私の仕事を見続けている息子だからこそ、彼もまた様々な想いを抱いた2人旅だったのではないかと思います。どのような想いを抱いたにせよ、我々の原点たる場所で時間を共有出来たことをありがたく思っています。

明日は松山滞在時のことを書き綴りたいと思います。ということで、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!



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