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お付き合いが始まったキッカケ

松山工業株式会社の鵜久森洋生です。

元々、秋葉原は父親に勧められて始めたゲルマニウムラジオ作りの魅力にハマり、幼年期にキットを買いに出かけていた場所です。
当時は交通博物館もあり、通い続けた場所。

大人になってからは趣味のモノ(電子機器、アニメなど)を買い漁る場所へと変化しましたが、気が付けば半世紀近く通い続けていることになります。

これは申し込まないといけないなと思ったイベント

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2015年9月30日。
私は、DMM.make AKIBAさんで行われた「第3回 解体ショー」に参加していました。写真が示す通り、初代AIBOを解体して楽しむという前代未聞のイベント。
実はこの時初めて、DMM.make AKIBAさんに足を踏み入れました。
AIBOを解体して、再組立てする・・・そんな面白そうなイベントだったので個人的な興味もあって、参加を決めました。
(結局、再組立ては出来ず、解体するのも時間目いっぱいになってしまったことを思い出します)

バラバラになったAIBO

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5名くらい参加したイベントでしたが、私は尾っぽと片足を担当してモクモクと解体を始めました。
尾っぽを動かすモーター部などはほぼそのままになってしまいましたが、最終的には、写真のように状況までは解体しました。

あっという間の3時間。
ひたすら解体が続くイベントでしたが、こだわりの自社製パーツが多いAIBOの中身はとても興味深かったです。

実はこの時のテックスタッフと交流が始まった

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AIBO解体ショーがきっかけとなり、DMM.make AKIBAさんとの交流が少しずつ始まりました。
また同時期に、水中ロボコンで出会ったTRYBOTSという学生プロジェクトが、同所のスカラーシップ0期生に認定されました。

そんなご縁があって、翌年6月には当時私が運営していたMatsuyama Creator’s Communityというグループのイベントを開催。メンバーのプレゼン大会を行ない、メンバー間だけではなく、DMM.make AKIBAの会員の方々との交流も行いました。

実はこの時に始めました

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実はこのイベントの際に、リサイクル素材の無償提供活動を実施。
ご覧の通り、大量の素材を持ち込んで、参加者の皆さんに持ち帰っていただきました。

余った素材をどうしようか・・・と皆で考えた結果始まったのが、10Fスタジオ脇のライブラリーコーナーでの定期供給スポットの設置でした。
当初はレイアウトを変えたり、置く素材を変えてみたりと試行錯誤が続きました。ただ、継続し認知度が上がるにつれ、リサイクル素材の減り具合も良くなり、「こんなものを作ったよ」とお声掛けいただくようにもなりました。

一歩踏み出すことの大切さを知った場所

私にとって、DMM.make AKIBAは「一歩踏み出すことの大切さ」を教えてもらった場所です。AIBOの解体ショーに行かなければ、おそらく今のようなお付き合いにはならなかったと思います

以前のnoteで書いた、つながる交流会などのイベントにも積極的に参加したことにより、この場所での交流はかなり広いものになっています。
そして、ありがたいことに素材や部品などのご相談をいただくことも増えてきました。

これからもDMM.make AKIBAの会員の皆さんの新たな挑戦に対して、側面支援が出来ればな・・・と考えています。
そんなことを思いつつ、初めて訪問した頃を振り返ってみました。

懐かしさを感じつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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