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【肩書と看板。《後編》】

入院期間は正直とてもきつかったです。2週間を越えたあたりから、ちょっとした鬱のような症状もでてきました。

赤ちゃんの為とはいえ、いつ突然また流れてしまうかもという不安からくるマイナス思考で、最悪のパターンを想定してネットで情報を毎日検索してしまう。ずっとシャワーが浴びれず不快な身体、お手洗いに立てないもどかしさ、1日24時間が長いどころか点滴の副作用なのか、7日間まるまる睡眠が取れずに起きていたこともありました。


峠を越えたい


出血がどうにかおさまり入院から1ヶ月くらい経ったころ一時帰宅をしましたが、2.3日してまた出血、病院へリターンということを5回程繰り返しました。妊娠期後半はお腹が大きくなりより重力の影響をうけるので、今度は早産を防ぐための子宮頸管を縛るという手術をすることになりました。

一旦話をスキップしますが、

実はこの5年後2人目妊娠の際にも長い入院期間を経て子宮頸管を縛る手術をすることになるのですが、ちょうど手術をした日に野村幸代さんが永眠されたというニュースがTVで流れていた時でした。

点滴の針を変えにきた看護師さんに「86歳だったんですね。」とつぶやくと、「そうですね。今日手術してくれた院長先生は年上ですけどね。」

えーーーっ

私は、一旦絶句して、、色々な感情が込み上げてきたあとすぐに「プロフェッショナルとはこういうこと」と妙に腹落ちしてしまったんです。

ミッション

院長先生は、とはいえ70歳くらいのイメージでいました。見た目はスラムダンクの安西先生のような風貌で、割といつもヘラヘラしてい(失礼)て、毎回のお話が長すぎる上に滑舌が悪めなので、看護師さんが苦笑いしながら患者の私達に通訳してくれるような感じです。

そんな先生の周りにはいつもヤキモキしているせっかち風看護師さんや、相性悪めの患者さんが一定数いましたが、私は永くお世話になったことで先生のお話も通訳要らずで汲み取れるまでに成長していました。

雑談の中で、心に残っている情報を翻訳すると
こうです。

・大腸がんを患っている、でもそんなの関係ねぇ
・定期的に飲み会がある、ちなみに今日も夜は
 飲み会だよ
・この飲み会は実は大変な意味を持っている
・急変した患者を高度医療にスムースに搬送できるようにする為の根回しの道になる


これぞプロフェッショナルの仕事

最初の大出血で不安定な妊婦を受け入れ、とにかく命を最優先する病院の方針には感謝しかなかったのですが、長い入院生活で産院の沢山のリアルを垣間見ることができました。

看護師さんが怖い(人が多い)という評判は「あまりの激務のため」と悟りました。

院長先生は平日から土曜の朝7時半から8時頃、不安定な妊婦の病棟に回診と内診を行い看護師さんへの指示と、患者とコミュニケーションをとりながらヒアリング。

それが終わると車椅子で移動できる中等症の入院患者の診察が午前中に続きます。手術などは昼から午後に組まれている様子でした。

先生は休日も出勤されていることもあって、入院患者としては「いつ何が起きても院長先生がいるから安心」と思うようになっていました。

仕事とは「信頼」


大学病院の役割も機能も、出産に特化した病院と違うことは知っていました。

それでもひとたび判断を誤れば致命的なミスが起きかねない点は共通していて、医師とは命を扱うそういう仕事なのでは、と第三者的には見えています。

出産に際して、自分自身が命の重みと責任を感じる立場になったことで、経験した病院での一部を通じて、価値観は大きく変わりました。


私は、

「寄り添ってもらいたかった。」

のです。

先の見えない大きな不安の中で、誰かに道しるべしてほしい時。どんな結果になろうとその時のベストを尽くすためにサポートしてほしい、ただそれだけです。

私はネイリストという技術職であるがゆえ、自分の仕事と重ねて感じました。


お客様が求めているのは、立派な肩書きや看板ではない。

「寄り添い」であるということ。

少なくとも私はそう感じて、これからもお客様に寄り添う立場でいようと思えた経験。

どんなに立派な看板を掲げていても、その本質を見誤ってはいけないこと。

「肩書きを手に入れる」ことは目標であり、目的でないこと。

それは行動にしか表れないこと。


1人称でない仕事なら、ザルにならない仕組みをつくらなければならないこと。


真のプロフェッショナルとは。

いつも自分に説いて、これからも仕事をしていこうと思います。

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