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ウォシャウスキー兄弟「マトリックス」(1999)136分

 マトリックスが、25年前の映画だとは信じ難い。今、見返してみても当時の衝撃がよみがえる。これは、ぜひ若い世代の感想が聞いてみたい。

 そもそも「仮想世界」と「現実」の境界があいまいというのは古来からのテーマでもある。「胡蝶の夢」は老荘思想で有名な荘子が、自分が蝶になった夢を見て目覚めた時に「自分が蝶になった夢を見ていたのか、蝶が自分になった夢を見ているのか」迷ったという話。そういえばこの映画でも、度々「夢」が出てくる。

 ウォシャウスキー兄弟(現在は姉妹)は、フランスのジャン・ボードリヤールの「シミュラークルとシミュレーション」という哲学書を参考にしたそうだが、シミュラークル(フランス語で「影」「ニセモノ」「まがいもの」の意味)といえば、学生時代にピエール・クロソウスキーをゼミで読まされたことを思い出した。何が書かれていたのかまったく思い出せないが、「オリジナル」と「コピー」の境界の消滅みたいなことだったか。オリジナルの権威に対抗する、コピーの評価の見直しだったか。どちらにしても「何が現実(オリジナル)なのか」が問われている。「記憶」が抹消できる設定なら、なおさらだ。

 何がリアルな体験なのか?私も子供の頃から、よく混乱してきた気がする。たとえば、旅行の計画を立てて「行った気になる」のはすごく楽しいのだが、実際に行くのは億劫だったり。遠足も運動会も、前日までがエキサイティングで当日はうんざりだったり(もちろん、その逆もある)。そういう経験を積み重ねて、いつしか「期待」や「妄想」をすることを控えるようになった気がする。「現実」にがっかりしないために(そういえば「空を飛べる」と言っていた知人が、高所から飛び降りて亡くなった痛ましい事故もあった)。

 映像は、とにかく面白い。スピードとカメラアングルを縦横無尽に操る「バレットタイム」と呼ばれる撮影手法だそうだが、私はやったことがない。

 この有名なキアヌ・リーブスの弾丸よけのシーンは「マトリックスよけ」と言われているそうだが、この映像の参考とされたのが懐かしの日本アニメ「マッハGoGoGo」のオープニングテーマだという。

 ラスト1分49秒のところで、主人公の三船剛がマッハ号から降りた直後に、カメラがぐるっと回る。ガキの頃、すげーと感動していた映像である。
 マトリックスの撮影についての記事もみつけた。

この撮影法は映画業界では「バレットタイム」と呼ばれており、映像の初期である1870年代に生み出された。これは、被写体のまわりにカメラをたくさん並べて順番に撮影していくことで、「動きはスローモーションなのに、カメラは高速で移動する」という映像を撮影できるもの。

FRONT ROW(下記事)

「120台のカメラを被写体のまわりに並べる」というのがイメージできなかったので探してみたら、イマドキの「バレットタイム」撮影例が出てきた。

なるほど、1つの被写体のまわりで複数のカメラが順次撮影していくわけだ。
 
 最近では、ヒモや自撮り棒にカメラをくっつけて振り回す「バレットタイム」撮影も多いようだが、こういう実験もやってみたくなる。そうそう、映画って真似をしたくなるものだったよね。うんうん。

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