有益な無益の行為

「君たち、明日からイタズラをするように」と、突然、先生が言うもんだから、教室は騒然となった。僕が小学校2年生のときのことだ。

イタズラはしてはいけないというのがルールだと思っていたのに、担任の先生は、僕たちにイタズラのルールを説明した。

・イタズラは先生に対してすること。

・毎朝、先生が来るまでにみんなでイタズラを考えて仕掛けること。

・イタズラは1つだけにすること。

・先生がイタズラに引っかかったら君たちの勝ちだ。だけど、先生は君たちのイタズラには引っかからないだろう。

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翌朝から早速、僕たちの挑戦が始まった。

最初のイタズラは「黒板消し落とし」だった。定番のイタズラをみんながやってみたいと思っていた。

これは、黒板消しを教室入口の引き戸の上部に挟み、先生が廊下から教室に入ってこようとドア開けると、黒板消しが落下して先生にぶつかるというものだ。

僕たちは大騒ぎで、黒板消しを引き戸に挟み込み、先生を待った。

みんな、笑いをこらえるのがやっとだった。

「先生が、来た!」

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実際に「黒板消し落とし」を成功させることはかなり難しい。まず、黒板消しを引き戸で挟むため、どうしても隙間が空いてしまい、引き戸がはじめから少し開いている状態になってしまう。これでは、大抵の場合、ターゲットに気づかれる。

仮に、ターゲットが隙間に気づかなかったとしても、ターゲットは、通常、「ドアを開ける」という行為をしてから、「教室に入る」という行為をするわけであるから、ドアを開けた瞬間に黒板消しは落ちるが、ターゲットの体は廊下側に残ったままとなる。つまり、黒板消しがターゲットに当たることはまずない。

案の定、先生にはあっけなく見破られた。

それから、何度か黒板消し落としに挑戦したが、上手くいかなかった。

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次に、僕たちが目をつけたのは画鋲だった。

教壇にある先生のイス。これにセロハンテープで画鋲を逆さまにくっつける。先生がイスに座った瞬間に、先生のお尻に画鋲が刺さるというものだ。

なぜだかわからないが、僕たちは先生に危害を加える方向に走った。

しかも、クラスのみんなで仕掛けるものだから、先生のイスには、数十個の逆さまの画鋲が連なり、まるで、地獄の針の山のようであった。

みんな先生のことは大好きだったはずなのに、それは殺意があるとしか思えないような異常な出来映えであった。

さすがに先生は引っかからなかった。

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僕たちのイタズラは確実にレベルアップしていったが、凝った仕掛けよりも、シンプルな方が上手くいくことが多かったように思う。

教壇の引き出しをテープで留めて開かなくしたり、黒板消しをチョークまみれにして黒板の字を消そうとしても消せなくしたり。

幸いなことに、画鋲のイス以上に、先生へ危害を与える方向へエスカレートすることもなかった。

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イタズラは、その意味においては、無益な行為であり、誰かに迷惑がかかるものだ。

仮に成立するとすれば、一方的にならない相手に対し、相手が不快に思わない程度に、笑って許せる範囲で困らせることなのだろう。

しかし、そのように小粋にイタズラすることは案外難しい。

先生は僕たちに何を学んで欲しかったのだろうか。そして、僕たちは何を学んだのだろうか。

善悪の判断なのか、思慮分別なのか、大人への尊敬やクラスの団結なのか、思考力や駆け引きなのか、それとも思いやりや愛情だろうか。

おそらく、先生自身が小さい頃に相当なイタズラっ子だったのだと思う。そして、たぶん、そのときに全力でぶつかってくれる大人がいて、そこに人間くささを感じていたのだろう。そして、今、目の前に満ちあふれたエネルギーを持ちながらも、いい子に収まっている僕たちに物足りなさを感じていたのかもしれない。

先生は僕たちのエネルギーを解放し、全力で受け止めてくれた。

僕たちがそれぞれ何を学んだのかはわからない。ただ、皆がそれぞれ何かを感じ、成長したことは間違いない。いずれにせよ、笑いが絶えない平和なクラスではあった。

大人になった今、振り返って、思うことがたくさんある。



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