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ヒッピーと平和運動と反原発と自然派とスピリチュアル

最近、ヒッピーの大きなまつり(フェス)があって、私が自然派やスピに傾倒したのはそもそもヒッピーの影響だということを思い出した。なので、今日はその話を。

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ここ数日行われていたまつりには、多くの自然派、スピ、反体制、平和運動家、などの知り合いが参加していたので、SNSを開けば誰かが写真や様子をUPしていた。ヒッピー詩人大御所やその界隈で有名な人たちのライブ、アーティスト。そこに若い世代のアーティストや自然派、スピリチュアル好きが新たに重なる。
 
ヒッピーとは、音楽や麻薬、非暴力によって世の中の常識や体制に対抗しようとした、自然と愛と平和と自由を愛しセックスを賛美し巡礼の旅をする人々である。1970年代に盛り上がったカウンターカルチャーで、反戦、平和、エコロジー、瞑想やヒーリング、ホリスティック医学に自然農法などの思想を掲げる。
ドラッグ、サイケデリック、放浪や自由もメインの流れにあるため、平和と愛を掲げつつカオスと不良といったイメージもある。

まつりの様子を横目で見ながら、私が自然育児やスピリチュアルに傾倒したのは、先にヒッピーカルチャーの影響を受けたからだった、と思い出した。

私がニューエイジやヒッピー系の人々と出会ったのは2000年頃のアジアからイスラエルに至る長い一人旅の中だった。
チベットで高山病で苦しんでいた私を「気」で治療した「自分は他の宇宙系から来た魂なんだ」という日本のおじさん(日本でスピリチュアルの指導者だったらしい)。同じく気で治療してくれたオーストラリア人とアメリカ人のヨガを学びにインドに行くというカップル。その後出会った旅行者はサイババのアシュラムに行くと言っていたし、ネパールで出会った日本人(後にヒッピーの間で少々有名な映画監督になった)はアヘンの塊を持っていたし、カトマンドゥの街にはマリファナのやりすぎでやせ細っている旅人なんかもいた。

私はネパール以降、仲間とつるむバックパッカーに距離を置いて現地の人と親しくなろうとしていたこともあり、あまり、その世界に踏み込まなかった、と、思う。一人旅の若者にしては。
それでもイスラエルで最も親しかったアメリカ人はマリファナを吸っていたし、そもそもバックパッカーはヒッピーに傾倒している人が多かったのだろうし、私にもその要素(資本主義社会への疑問、自由への希求)はあったのだろうとは思う。

ヒッピーやニューエイジ思想の人と深く交わらなくても、チベットやネパール、インドはニューエイジ思想の源泉であり、スピリチュアル的な思想がそこいらじゅうに溢れていた。私はチベットでの大勢の僧の声明の美しさに感動したし、お寺の弥勒菩薩に頭を垂れたし、瞑想合宿に参加した。インド以降はイスラム教の家族と交流してモスクで祈り、またイスラエルではキリスト教徒として(私は元クリスチャン)祈りを捧げた。
私は様々な宗教とそれを信じる人たちに関心があり、また信心深い人たちが好きだった。
 

帰国後、私は福祉施設で働きながらも、他国の文化や旅の話、そして生きるとは何か、などの話が出来る友人が欲しかった。
ある時、民族楽器を使ったアンビエントミュージックグループに出会った。
彼らの出演する、地球環境や平和を考える音楽イベントを訪れると、そこにはタイやインドなどを旅した人々が集い、歌ったり踊ったりしながら地球と平和について語り合っていた。私はそこで歌ったり演奏したり議論を交わしたりし、友達がどんどん出来た。
へいわの集い、アースデイ、武蔵野はらっぱ祭り。NO NUKESを掲げるイベント。
スピリチュアルヒーラーなる友人が出来たのもこの頃だし、牛乳を飲まないなどの自然食志向の人々に出会ったのもこの頃からだ。

2001年、911事件が勃発する。

インドからイスラエル、エジプトにかけて、イスラム教徒の人々と親しくしていた私にとって、911は衝撃的だった。ああこれからアメリカ対イスラム社会の戦争が始まってイスラム教の人たちは大量に殺されるのだろうと嘆いた。
そんな中、反戦を訴える人々がいた。ヒッピー系地球系旅人系イベントで出会った人々だった。反戦パレードなどをする彼らは、911から始まった対テロ戦争を「怖いわねえ」と言いつつ遠くの出来事としてテレビで見ているだけの人々よりも、当時の私にとってまっとうに見えた。

こうして私は反戦・平和・環境問題について、ヒッピー文化の界隈にある情報に影響を受けてゆく。反戦、反原発、環境保全。なにも悪くない、まっとうな主張。ただ、私の周りでそれらを叫ぶ人々は反体制であり、ヒッピー的なカウンターカルチャーを継ぐ人たちだった。
そこには平和を希求する人々の心を利用して原発被害を大きく騙ったデマで儲ける人々、反体制に人々を駆りだすために政府について誤った情報を拡散する人々、ホリスティック医学や自然食品を売るために反医学を広める人など、人々の心を利用して非科学的なことを広める人たちが多く入り込んでいた。そして多くの人々がそれを信じ、大きなムーブメントを起こして行ってしまう。その中に、私はいた。

あの時から情報は偏って行ったのだ、と今の私はようやく思う。

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はいはーい、今回は番外編?自然育児にはまるよりさらに前の結婚前の話です。ここから語ると長すぎるかな~と省いていたんだけど、ヒッピー系まつりの様子を見ていたら色々思い出してするするっと書いた。

ここが私のスピ自然派スタートだとすると、おお、もう20年前ですよ!
このころ私は影響は受けていたけれど極端ではなかったし自然食じゃなかったしスピでもなかったけれど、周りから「一歩ちゃん絶対スピリチュアル能力ある」「オーラ見えてるんでしょ?」とか言われ始める頃です。歌ったり演奏したりしてたのがそういう波動とやらを発していたと言われてましたハイ。

さて次の話はいよいよ?夫が鬱病になって私が自然派とスピにはまってゆく話を書こうと思います。たぶん書ける・・・書くことで自分が整理できることがある、うん。・・・思い出すのがきついシーンになってくかもしれず、遅くなったらすみませぬ~


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