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「働くとはなにか?」を因数分解する

働くとはなにか?

1番に思いつくのは「お金を稼ぐこと」。
ではなぜお金を稼ぐのか?と考えると生活をするため。
なぜ生活をするか?は禅問答になりそうだが、おそらく単純に「ここに命があるから」。「生かされている」という表現は、あまり日常生活からはしっくりこないのだが、倫理観として自ら命を絶つことは考えられない。そして今のところ健康に生きている。つまり、八百万の神かお天道様かが自分を生かしていると考えるのが日本人心だろう。文化的に根付いたその考えで、私は今も生きている。何より、私には大切な家族や友人がいて、世界には見たことのない景色があり、本があり、映画や音楽がある。この世界を手放す理由がない。

だからこの世界にいるために生きる。生活をする。お金を稼ぐ。

(お金を稼がなくても、お手伝いなどをして食べ物や住む場所を手に入れるというのは、「生活をするため」に繋がる。「お金を稼ぐため」の部分は飛ばせる場合もあるかも。)

では、例えば超大金持ちだったりベーシックインカムのある世界にいたとして、働かないという選択を自分がするのか?と問うてみる。

多分、働く。

その真意は何か?
人間は「人の間」と書く。実際に人と人の間、つまり自分以外の人との関係性や、いわゆる社会という中に生きていると感じる。この世界に誰一人としていないとして、生きていこうと思うのか?という問いに対しては、冒頭の逆説で「NO」である。
つまり、人がいることで自分が生きていると感じられる。「自分がそこにいる」という実感。

なんてありきたりな御宅を並べてみて気づいた。

「働く」の反対は、もしかしたら「消費する」かもしれない。
消費だけする。小さい頃や学生時代、まだ働くということをする前は消費を主にしている。そこから研究者になったりすると、今度は新しい論文を書いたりして「生産」側になる。小さい頃も消費だけでなく、それをお金に変えないだけで、工作や落書き、砂場の山も立派な「生産」を行なっていた。
その「生産したもの」を誰かに渡すこと、見せること、
つまり「働く」=「生産したものを提供する」ということ。
そこに賃金が発生すると「労働」になる。

「大金持ちだったら働かない」という人ももちろんいるだろう。
ここから考えるに、おそらく世の中の人は大きく2つのタイプがあるのだと思う。「生産することが好きな人」と「消費することが好きな人」。両方持っていてどちらかが多かったり、2つを同じ量持っている人もいるだろう。

私はどちらかというと「生産することが好きな人」。
だから、大金持ちだろうがベーシックインカムがあろうが働く。生きることができる土台があるなら、無賃でも何かを生み出したいと考えるだろう。

なぜ自分は、消費することだけでは満たされないのか?

商品を購入する側も「ありがとう」と言われるので、感謝の言葉が欲しいから生産するということにはならない。
買い物をし、サービスを受けることで社会とは繋がっているから、社会との繋がりを持つことが人間らしくいられるから、などでもなさそう。
消費することでお金を使うので、回り回って消費者も世の中の役に立てていそう。

これは、多分、本能なのだと思う。
逆に消費タイプの人も、なぜを突き詰めても最終的には「そうするのが好きだから」に至るのではと想像する。
生産と消費に関しては、これ以上因数分解できない気がしている。
生み出したことで、感謝されたり、役に立ったり、目に見えて状況がよくなったり。それが満足感になり自信になり、承認欲求が満たされたり。
消費することも、美味しいと感じたり、楽しいと感じたり、感動したり学んだり。新しい出会いがあったり。新しい服を身につけて褒められて、承認欲求が満たされたり。
それがなぜ心地良いのか?は、その先はホルモンとか脳の働きになってしまいそうだから、つまりそれはその人に備わっているデフォルトの機能=本能となりそう。

今のところの「働くとはなにか?」の私の答えは
「なにかを生産して提供すること」。

「なぜ働くのか?」は生きるため、そして本能を満たすため
ということかもしれない。

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