脱ヒキニート体験記9 ここで働かせてください
案の定というか、同時並行で複数社に応募することができなかった。
どうしても一社一社、ラブレターを書くように志望動機を書いていた。
大事に大事に一社ずつ受けるからこそ、毎回毎回いちいちお祈りされることに傷ついていた。
それでもあるNPOの面接に行くことができた。
地下鉄の車内で折れそうになる心を奮い立たせるために、ラップを歌いながら向かった。
代表の方との30分間の面接はとても有意義なものだった。
この人と働きたいとも思った。一方で、今の私では足手まといになるということも実感した。
ビジネスのスピード感が違う。最前線にいる人のスピード感に今の私ではついていけない。
その後彼からいただいたお祈りメールは今でも保存してお守りにしている。
くやしさや悲しさでなく、勇気と自信が湧いてくるお祈りメールだった。
次に応募したNPOからもお祈りメールをもらった。そのときもちょうどゴールデンウィークだった。
旧友の家で集まって宅飲みをしていた。
10年物の引きこもりがやっと就活を始め社会復帰をしようとしている。
どうしても働きたいと思ったNPOからお祈りメールをもらった話をしたら、その場にいた一人が急にからんできた。
「くやしかったら特養の夜勤やってから言え」
くやしい話も介護の話もしていないし、これからも就活を続けていくという前向きな話をしていた。
前後の脈絡と結びつかない見当違いな発言に虚を突かれた。
加えてホームレスに対するヘイトスピーチなども始まり、いよいよ居心地が悪くなってきた。
当人は高齢者福祉に関する職に就いていたと記憶しているが、福祉に携わる人でも、分野の違う支援を必要としている人に対して差別的な眼差しを平気で向けていることに疑問を感じた。
売り言葉に買い言葉。私はそれまで全く興味を持ったことのなかった介護分野での就活をすることにした。
サポステの担当相談員に介護施設でインターンがしたい旨申し出た。
知人への当てこすりもあったが、ビジネスのスピード感に体を慣らせたい思惑もあった。
サポステと取引のある老健で4日間、インターンをすることになった。
事務部での洗車から始まり、入所と通所の介護部で配膳やお茶汲み、傾聴、ラジオ体操。
初見でわけもわからぬまま、ごぼう先生のパタカラ体操もやって、脳トレの算数問題を一緒に解いて。営繕部と一緒に床掃除をした。
とても楽しくて充実した4日間だった。介護=ブラックってイメージが一気に払拭された。
インターンが終わったあと施設の事務長に言われた言葉は今でも覚えている。
「たとえば正規で、うちで働くということは可能ですか」
そのとき私の頭を過ったのは、一人のおばあさんのことだった。
彼女はこの4日間で、認知症であるにも関わらず私のことを〝認知〟していた。
推しに認知されることのなかった私が、認知症のおばあさんに認知された。
私が帰ったあとも「あの眼鏡の子いないの?」と聞いて回っているらしい。
入所の主任である看護師さんは「私のこともいまだに覚えていないのに」と言っていた。
福祉をはじめとする対人支援の仕事は、利用者の心の一部を占める仕事だ。
どうせ忘れられてしまうならともかく、その人の人生の登場人物の一人として、私は登場してしまったんだ。
私がいなくなったら「あの眼鏡の子は?」っていつまであのおばあさんは私を探すだろう。
私にできること。
〝責任〟ってこういうことを言うのかな。
何より、もっとシンプルに、私は介護の仕事をとても楽しいと思っていて、ここで働きたいと思っていた。