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社会に入水

 社会復帰を試みているとすぐ気づくのは”選ばなければ仕事(求人)はある”ということなのだけど。この場合の選ばなければってたとえば「1日でクビになっても構わないなら」を意味しないと思うんです。働き続けられなければ社会復帰にはならないし。おそるおそる応募して、やったことないことだけど「やれますやります」言わなきゃ面接は通らない。できないことを「やります」と言って飛び込んで結局溺れるような。確約できないことを確約しないと仕事にならない場面がたくさんあった。コップの中の水にコバエが飛び込んでそのまま動かなくなるような。
 なぜ仕事や社会はあるのだろう。分業することが効率よくて、相互扶助によって、より多数の人命を活かすためだと思っていた。要するに助け合いだと。でも実際は需要と供給のバランスを管理して、支配しやすくするためのものなのだろうなあ。
 仕事は一般に一人じゃできないことや自分じゃできないことを代わってもらったり手伝ってもらったりするものだと思っていた。仕事って助け合いなんじゃないかってイメージが強い。その意味ではボランティアと本質的に変わらないのかもしれないけど、ボランティアの本質は無償とかでなく自発性だから。
 プロの定義とはお金が発生することとか納期が守れることなどと言われることがあるが、再現性を求められるという点では持続可能性が最も重要になってくる。その意味で仕事は苦手でボランティアだと不安がない。一回性だらけの世界で再現性を求められないのはとても助かる。
 精神科で「死にたい」っていうとなぜか「ボランティアしろ」って言われるのだが、自己肯定感あげるためなのだろうか。個人的にボランティアで上がるのは自己効用感であって自己肯定感ではない。応急手当にはなるけど焼け石に水だ。
 人の役に立つ、人を助ける仕事がしたかった。困ったときは助け合いだから。でもそれは、私自身が困ったときに助けてもらいたかったからなんだろうな。

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