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詩心と海ー工藤直子「ともだちは海のにおい」ー

2004年 新装カラー版

ひとはみな
心のなかに
海をひとつ もっている
その 濃いみどりの海のうえに
ときどき ちいさな魚がはねて
ときどき ちいさなしぶきがたつ

「海の はじまり」より


はじめての詩は、海だった。
小学生のときに出会った工藤直子「ともだちは海のにおい」は、心に直接話しかけてくるような、不思議な近さと静けさがあった。

それまで読んでいた本が、自分の外側の出来事だったのに対し、この本はなぜか自分の内側に広がっていく。読み終わっても、ずっと一緒にいたくなる本だった。親にお願いして買ってもらったときは、それこそ大切なともだちと一緒に暮らせるようでとても嬉しかった。

1984年初版

同じころ、NHK教育テレビ番組「おはなしのくに」で本作が放送されていた。(検索すると、袴田吉彦朗読版しか見つからないが、当時は別の方が朗読されていた。)
詩は、朗読しても静かだった。まるで世界に自分と海だけがあるような孤独が心地よかった。家にも学校にもない、新たな場所を見つけた感覚だった。

当時、何かに悩んだり深く傷ついた記憶はない。それでも、心のなかに見つけたこの静かな空間は神聖な隠れ家のようで、子どもながらに大切に守っていこうと決めた。
うまく説明できない、でも抱きしめたい何か。これが、詩の世界なり力なのかもしれない。

工藤直子の詩集は、その後もさまざま読んだ。
でも、30年以上経つ今も連れ添っているのは「ともだちは海のにおい」だ。
それは、いるかとくじらの素直さや愛らしさ、長新太のシンプルでおおらかなイラスト、どこまでも想像力豊かな工藤直子の詩そのものも多分に魅力的だが、「海」であることの抱擁力も大きい。

喜びのしぶきは溶けて 海になる
悲しみの固まりも溶けて 海になる
おどろきも おそれも
恥じらいも 誇りも
すべて溶けて海になるばかり

「終わりのない海」より

冒頭の詩もそうだが、海に自身のこころ模様を重ねるのは、だれに言われずとも、おそらくみな覚えがある。そのとき、わずかに混ざる望郷の念。あれは、海が本当の故郷だからだ。
そんな壮大な海がみんなのこころに直結していることを、ときには海の気持ちまでも盛り込んで、あたたかくやさしく思いださせる詩集なのだ。


前回、はじめてのnoteにマーサ・ナカムラの詩について書いた。ことばの届かない地平を共有する、奇跡のような詩体験をした。

でも本作のように、最短距離のことばでひとをあたためる詩もある。
かつて、とあるシンポジウムで、谷川俊太郎の詩が無記名で世界に流通可能な"無印良品的"だと言ったのは高橋源一郎だったか。谷川の詩の様態を、敬意を込めて称したこのことばが腑に落ちた。時間軸(時代性)のない、タイムレスで空間的な、もはや作品ではない普遍的な詩もある。

詩は、どこまでも広い。
ほんとうに、海のようだ。

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