消えた五百円札
1970年代、ゆういちの少年期シリーズ
8時だよ全員集合も中休みになり、ゲストのいしだあゆみが大ヒット中の”ブルー・ライト・ヨコハマ”を歌っている。
深く青いヨコハマの夜を想像していると、お母ちゃんが突然、「ほら」と言って劇場の券を見せてくれたのでヨコハマは頭の隅に置いておいた。
今度の休みの日に弟と僕を、大阪まで連れて行ってくれると言った。
ここも大阪の端っこで大阪なのだけど、環状線が走る大阪の中心をあえて大阪と呼んでいる。じゃ、ここは大阪ではないのかと考えると、どうでもええわとなる。
劇場ということだけど、オーケストラでもなく、オペラでもなく、ピアノリサイタルでもなく、子ども受けする漫才だということはすぐにわかった。
お母ちゃんは、時々お父ちゃんの仕事の事務手続きで、僕にとっては退屈な大阪府庁まで連れて行くことはあるけど、劇場に連れて行ってくれるとは思いもしなかった。
お母ちゃんには内緒だけど、”フチョー”<府庁>という言葉は大嫌いだったのだ。
気がついたときには、”いしだあゆみ”はもうテレビから居なくなり、頭の隅に置いておいたヨコハマも無くなっていた。
当日、お母ちゃんと弟といっしょに、最寄りの国鉄の柏原駅から、
ディーゼル列車に乗った。
学校の成績があまり良くない僕でも、志紀、八尾、久宝寺、加美、平野、天王寺と駅は全部憶えてしまっている。天王寺に着くと地下鉄の御堂筋線に乗り換えるので、弟と手をつないだお母ちゃんに、はぐれないようについていった。
改札を出たところで、青っぽい紙、間違いなく五百円札が落ちているのに気がついた。
お母ちゃんに「お金、お金」と言ってすぐに教えてあげたら、「早く拾いなさい」と口の動きだけで、怒鳴るように言葉をかけてきたので、僕は何としてでもお金を拾わないといけないと思った。
低い姿勢に変えて人差し指と中指で挟もうとイメージして挑戦したら、失敗してしまい、後戻りしてその場にしゃがんで蟹みたいに五百円札と格闘した。
蟹のハサミで五百円札を挟んだら、あれ、お母ちゃんどんな洋服着ていたかな?
急にわからなくなり、焦りもあって五百円札に興味が無くなりそうになった。
確実に五百円札を握りしめて、人込みを追いかけようとしたが、ふたりは引田天功かと思わせるようなトリックを使ったのか、僕の後ろを笑いながら歩いていた。
こっちは、交番行に飛び込もうかと準備が整っていたのに笑っている場合ではないやろ。
でも、あーよかった。
お母ちゃんから、お前はよくお金を拾うと言われる。大人と比べると目ん玉が地面に近いからだろうと単純にそう思う。一日中大阪の街を歩けば五千円ぐらいは拾うのではないかと思い金持ちの自分を想像した。
五百円札を手にしたからには、サンダーバード二号のプラモデルが買えると確信し、すぐにでも家の近所の交番じゃなくて、模型店に飛び込みたくなった。幸い、お母ちゃんは先を気にしているらしく、僕が拾ったお金は頭から消え去ったようだったのでポケットに五百円札をねじ込んだ。
乗り換えのためにずいぶん歩いて、御堂筋線のホームに降りて行った時に、ホームでおばちゃん二、三人が「キャ―――、キャ―――」って叫んでいるので、頭がおかしくなったのかと思って叫んでいる方向を見ると、明るい色のスーツに大きなサングラスの男の人が、おばちゃん側を手のひらで顔を隠して斜めに逃げるように階段を上がっていった。不思議と、その男の人は万博のアメリカ館で見た月の石のように輝いていた。
僕は光るスリじゃないかと思ったけど、お母ちゃんが興奮して“仁鶴”と教えてくれた。
大スターは、こんなところに住んでいるのだと、月の石の輝きといっしょに僕の記憶に刻み込んでおいた。
天王寺まで来ると、刺激があるなぁーと思ったら、何も気にせずアポロチョコを食べている弟を見たら、なんだか急に落ち着いてきた。
御堂筋線の電車に乗ったら、いつものようにスゥ―――と、油を塗ったレールの上を走るように、気持ちが悪いぐらいの静けさで電車が出発する。
僕はディーゼル列車と大阪の地下鉄のギャップが大好きだった。
車内放送がトッポジージョのような小さな声で「動物園前」と言った。
電車は壁面に動物の絵が描かれた“動物園前”に停まった。
ど・う・ぶ・つ・え・ん・ま・え、僕の、いや、大阪の子ども達が一番好きな駅のはずだ。
弟も、キリンやライオン、象さんの壁画を見ながら、劇場よりここの方が絶対行きたいと思っているに違いないが、残念ながら電車からは降りずに扉が閉まるのを待った。
また、油を塗ったレールの上を走るようにスゥ―――と走り出した。
トッポジージョが「なんば」と言ったので、お母ちゃんが着いたと言って、僕に降りるように促した。僕は、トッポジージョの声で「到着」と言ったら、お母ちゃんは、吹き出しながら「はよ降り」と言って弟と手をつないで電車を降りた。
その、なんば駅で降りてから地上に上がってみると大きなビルがたくさん立ち並んでいたので、最近テレビで話題の霞が関ビルより高くなろうと背伸びをしているように見えた。
お母ちゃんは少しだけ遠回りして戎橋で、ほらグリコと教えてくれたのでグリコの大きな看板を見ていると、“グリコ”、“チヨコレイト”、“パイナツプル”と階段で遊んでいる光景と、グリコ劇場の鉄人28号が頭に浮かんだ。グリコの誘惑で完全にはぐれてしまうと思って弟と手をつないだお母ちゃんを見失いないように付いて行った。珍しい物ばかりなのでパトカーの回転灯のように頭をくるくる回転させながら歩いていると、すぐに劇場に到着した。
お母ちゃんはここが、松竹芸能の角座だと言った。
赤い提灯がぶら下がり、立て看板がたくさん、今日の演目の中に、レッツゴー三匹や正司敏江・玲児が読み取れた。お母ちゃんが「トッシェレージや」とつぶやいたので、僕の見たいのと同じだとわかった。
角座は中からチンドン屋が飛び出してきそうで、まるでお祭りのようだ。
お母ちゃんが「お菓子買おうか・・・五百円・・・」と言い出したので、僕のポケットの中の五百円札かと思った瞬間に、サンダーバード二号が墜落しそうになったけど、お母ちゃんは自分の財布を取り出してお菓子を買ってくれたので二号の墜落は免れた。
座席に座ってお菓子を食べながら開演を待っていると、団体の人たちが一斉に「バリバリバリ―――」という乾いた音をたてた。腹をすかしたおっちゃんやおばちゃん達が、酸っぱいにおいの幕の内弁当を開け始めたのだ。
弟がびっくりして、さっきの僕みたいに頭をパトカーの回転灯のようにくるくる回転させた。
・・・
暗くなった場内。
学校の講堂で映画が始まる期待感といっしょだ。
幕がスルスルっと上がり舞台が眩しくなったので、期待を込めて目を細めた。
奇術あり、曲芸あり。
「♪ウチら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが 女三人寄ったら
姦しいとは愉快だね」・・・
音楽ショウは、かしまし娘だ。
娘と言っても近所のどこにでもいるおばちゃんみたいだ。
レッツゴー三匹、知ってる!でも何が面白いのかわからない。
大人気の、正司敏江・玲児が出てきた。
テレビといっしょ!今日の中で一番元気だ、玲児がちょっと押しただけで、敏江が舞台袖まで飛んで行ってしまう。
仲良くしゃべり出したと思えば、玲児が敏江のおでこを“ピシャッ”と叩く。
叩かなくてもいいところでも“ピシャッ”と叩く。
あーーー、面白かったと言いたいところだったけれど、小学生の僕には理解できない言葉の掛け合いが多すぎた。
そのかわりにたくさんの栄養を補給した感じがした。
お笑いの最前線を生で体験した僕たちは、誰かに報告したいと思いながら足取り軽く帰途についた。
・・・
サンダーバードの勇ましいテーマ曲とともに、サンダーバート二号が巨大なコンテナポッドを荒海に落下させ、巨大な波しぶきを上げた。
僕は小さなボートで荒海と闘いながらコンテナポッドに向かい、ずぶ濡れになりながらも奇跡的とでも言うか無事No.4と表示があるコンテナポッドに乗り込んだ。
コンテナ内にはオレンジ色の小型の乗り物が搭載されていたので、すぐに4号とわかった。うっとりと眺めていたら知らないうちに、二号本体の輸送機に拾われ空中浮揚しているようだった。
僕は、ポケットから五百円札を取り出して、人形のような乗組員に運賃を支払った。
しかし、乗組員だと思っていた人は、交番のお巡りさんだったので「五百円を拾ったので届けました」とお巡りさんの背中越しに言った。後出しジャンケンだということはわかってはいたけど、お巡りさんは何も言わなかったので、五百円札を届けてくれたと理解しているのだと思うことにした。
それからは、サンダーバード二号の機体の中で行き場がなくなり、出口のない迷路に入ってしまったように彷徨い歩いていたら誰かが肩を叩いた。
お母ちゃんが「柏原に着いた」と言って僕の肩を何度も叩いていたようだった。
弟と手をつなぎながら「はよ降り」と言ったので、僕はトッポジージョで「到着」と言ったら、お母ちゃんはまた吹き出した。
駅からは、ひとりでも帰れるので、迷子になる心配はいっさいなかった。
五百円札が今の僕の原動力になっていることは確かなようだ、さっき電車の中でうたた寝したときに夢にも出てきたぐらい五百円札には釘付けだ。
僕のポケットからは、あの仁鶴のように月の石のような光が出ている。
自分でもニンマリしているのがわかったので、眉間にしわを寄せてみたが、真夏のソフトクリームのように、すぐに緩んでしまい、それを繰り返した。
商店街では同級生のレコード屋さんを通り過ぎた。
何か聞かせてくれたようだけど、流れていたかもしれない音楽は風のように吹かれてどこかに飛んで行く。
お母ちゃんと弟から少しずつ離れながら後ろを付いて行った。
今度は同級生の歯医者さんの前を通り過ぎたら、またもや険しくした顔が緩んできた。
ニンマリ顔の頂点に達した時、コント55号の二郎さんの”ヒッヒッヒッヒッ・・・”という笑いが頭を過り幸福の頂点に達してしまった。
深呼吸してから、そっとポケットに手を突っ込んでみたら五百円札は見事に消えてしまっていた。
おわり
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