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はらへったら読む・コロッケ

僕はコロッケ一個のクーポン券。
精肉店のおじさんが「やぁ―――、ぼくちゃん、またきたなぁ―――、コ・ン・ニ・チ・ワ・ア」と言ってコロッケを一個サービスしてくれる。
それは、お母ちゃんが織り込み済みのことであり、コロッケを買いに行くときには必ず僕を連れていく。
でもほんとうは、精肉店のおじさんは、お母ちゃんにサービスしていたのかもしれない。

コロッケが十円の時代、計算すると今から五十年ぐらい前のこと。

その、僕はおっさんになり、今日は晩御飯をコロッケにすることにした。
あの、子どもの頃に食べた挽肉が入ったシンプルなポテトコロッケ。
かぼちゃとか、蟹クリームとか、カレーとか、何も混ぜてはいけない純粋なコロッケを。邪道なコロッケのレシピは所有していないし、クックパッド検索することもない。
とは言っても、いつも作るのはポテトサラダコロッケなのだ。

エプロンを首に引っ掛け、背中はいつものようにボタンで留めずにキッチンへ飛び込んだ。

俺は男だ! と言わんばかりに、土で真っ黒だということをアピールしている男爵イモ三個をシンクに転がしたら、汚い排水口に転がりこんだので慌てて拾い上げた。
水を流しながら、男爵イモのエクボを特に念入りにポットブラシできれいに洗い流す。

レンチン用の野菜容器に男爵イモ三個を入れて、最近汚れが目立つ電子レンジに600W 6分セットしてスタートさせたら、大きなファンの音で存在感を示したので無視した。
すぐに玉ねぎを適量みじん切りにして、冷蔵庫から合い挽肉を取り出した。
小さいフライパンを置いてガスを点火し、油を敷かずに合い挽肉をへらを使って適量投入した。少し炒めていたら肉は色が変わり沢山の油が湧いて出てきているので、みじん切りした玉ねぎを投入して挽肉と一緒に炒めたら、ここで料理のにおいがしてきた。
玉ねぎが透き通ってきたので、キッチンペーパーで余分な油をすべて吸い取り、ガスコンロから下した。
それをシンクのタライに溜めた水にフライパンごと浮かべた。
そのフライパンは沈没しなかったので、今のところすべて計画通りである。

電子レンジの電子音が鳴ったので爪楊枝で男爵イモを突いたら、もういいよと言ってくれたので、まな板の上に並べてひとつひとつ皮を剥き始める。
料理には嫌いな工程がいくつかあり、この工程もそのひとつだ。
シンクに汲み置きの水を置いて、指先が耐えられなくなったらその水で冷やす。
剥いて、冷やす、剥いて、冷やす。その繰り返し。
剥いた男爵イモは大きめのステンレス製ボールに手荒に投げ込んでいった。

皮をむき終えた男爵イモがボールにすべて入ったので、抽斗からホイッパー(泡だて器)を取り出し、ラフに男爵イモを潰す作業を始めた。
粘土のように完全には潰さず潰さない部を残す。こしあんの中につぶあんが混ざっているように。
この男爵イモはまだ熱く燃えているので、適当なところで止めて、冷めるのを待つことにする。

一旦コロッケの作業を止め野菜の準備に取りかかった。
キャベツは千切り、キュウリは厚めの斜め切り、トマトはくし切りにして皿の上にきれいに並べた。

冷めた男爵イモが入ったボールに、タライに浮かんでいるフライパンを引き上げ、挽肉玉ねぎを丁寧にへらを使って集合させた。
そこに、塩をサッサッサッと、コショウをシャシャッと、マヨネーズはグニュっと直径10cmの輪を描いた。
へらを使って男爵イモをすべて潰さない程度にラフに混ぜ合わせた。
このままでも食べられるはず。
少しだけポテトサラダの味見をして規格内であることを確かめた。
多少味が薄くてもかまわない、なぜならウスターソースを垂らして頂くからコロッケらしくあるだけでいい。

フライパンにオイルポットから今まで何度か使った揚げ油を入れた。
揚げ油が十分な量ではなかったので、新しい油を追加して深さ2cmぐらいに。
レンジフードの弱スイッチを左手で押し込み、同時に右手でガスを点火させてから、温度設定を180℃に設定して次の作業に移行した。

バットふたつに茶漉しを使って小麦粉を散らした。
そこに、ボールから一握りのコロッケのタネを俵状に成型してバットに並べていった。
どうも同じ大きさにすることが苦手で大小様々な俵が並んでしまう。
大きいのは自分用にすればいいと考えながら仮の割り当てをして納得するしかなかった。
俵を並べた上から再び、茶漉しを使って小麦粉を散らしながら俵を転がして、まんべんなく小麦粉をつけてあげた。

中ぐらいのボールに生卵を割り入れてから、さっき使ったホイッパーで溶き卵にする。
カシャカシャカシャ・・・
すぐに、深めのパッドを取り出しパン粉を十分に投入するのだが、このパン粉の量が難しいのだ。
少なすぎず、多すぎず、直球ストライクで狙う。
少ないと、溶き卵を扱った手で再びパン粉の補給作業をしなければならず、逆に多すぎればパン粉が余り食品ロスになる。大したロスではないので後者でよいのだが、ど真ん中を狙うため、いつも作業中にパン粉が不足することになってしまう。

ここからは、右手がネタを溶き卵にくぐらせる手、左手がパン粉をつける手であると手順を再認識する。もう一本手があったらいいと思うことがたまにある。今もその瞬間で、飼い猫の手も頭を過ったのでおかしくなった。
複式呼吸を一度だけ吐いてから、両手のひらを目の前に上げて、よしと頷き後半の作業へ移行した。

右手でタネを溶き卵にくぐらせたら、パン粉のパッドにリレーし左手でパン粉を押し付ける作業を続け、バットの上に俵が並んだ。途中、どっちの手が何の担当だったか分からなくなった場面があったが、脳ミソを何度かリセットして作業を続けた。

ガスコンロが、油温度180℃の設定値になったことを電子音が告げた。
残す作業は揚げるだけ。”だけ”の言葉が自分を楽にした。
俵の数からすると、二回に分けたほうがいい計算。
俵が熱い風呂に入るように、静かに投入し始めた。
浸かった俵が増える度に、油面は上昇して肩まで浸かるようになった。
「ピチピチピチ、パチパチパチ、ジュ―――・・・」目を閉じて清流のせせらぎを体感した。せせらぎ音に浸っている場合ではない。

ワークトップにある不要になった洗い物をすべてシンクに投げ込んで、隙間時間を使って少しでも洗い物を減らすように努めた。

本物の俵のような色になり、俵が並び見事に完成した。
今が江戸時代だったら、この半分の俵を領主に年貢として納めなければならないのは不愉快なので、ポケットに隠してしまうかもしれない。

あらかじめキャベツ、キュウリ、トマトをきれいに配置した皿に、主役のコロッケを静かに置いた。
今夜のメインディッシュ、コロッケはいっとき静かに呼吸を続けスタンバイ状態になった。

配膳された目の前のコロッケの半分にウスターソースを垂らした。
自分はコロッケ一個のクーポン券であること、精肉店のおじさんの溶けそうな笑顔と、”一個サービス”という母親にとっては幸せな言葉が頭に浮かび、カリッっとコロッケをかじった。

当時のコロッケの味の記憶はないが、ポテトの中の挽肉の食感は時代を超えても全く同じである。
調理したての男爵イモの土っぽい味がコロッケという言葉の響きにいい影響を与えている。
少し大きすぎる俵状のコロッケだったが、ペロリと一個食べた。
あと二個は、白飯と野菜と一緒に頂く。

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