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人生に迷ったら本を読もう


自分と向き合う重要性

僕は現在人生迷子中です。

モノが少なくてスッキリした家に住んでいるからと言って、それだけで人生が万々歳になるわけではないんですよね。

そこで、自分なりの幸福とは何なのかを「大真面目に」考える必要が出てくるわけです。

ミニマリストはモノを減らす過程で自分を見つめ直すことになりますが、重要なのは自分が何に価値を置いているのか真剣に考えるという点になります。極端な話、真剣に考えた結果モノに囲まれていた方が幸せだという結論に達したなら、それはそれでありです。要は、モノの数量ではなく、自分にとって何が大事かが明確になっていることです。

さて、鋭い方からツッコミが来そうです。「考えた結果モノが減ったってことは、自分の大事なことが明確になったはず。それなら人生迷子っておかしくない?」と。

個人的には、持ち物を減らすのはそんなに難しいことじゃないです。

もちろん、世の中には整理収納アドバイザーという仕事が成立するように、片付けができない人たちも存在します。もったいない精神やめんどくさいという感情が邪魔してなかなか手放せないというのは分かります。「そんなこともできないの?」ってマウントを取りたいわけではありません。

それでも僕が感じていることは、モノを減らすために必要な「見つめ直し」レベルって実はそんなに高くないんじゃないかということです。人生について深く見つめ直さなくても『これは持っていた方がメリットが大きいから取っておこう』、『これは持っているメリットよりもデメリット(手放すメリット)の方が大きいな』と考えるだけでかなりのモノは手放せてしまいます。

物質的なモノと向き合うことは、自分と向き合うための準備運動みたいなものかもしれません。「自分と向き合う」の本番は、「時間の使い方と向き合う」ことなんじゃないかと。スッキリした過ごしやすい居住空間を確保でき、煩わしい家事も効率化でき、さてそこで何をしたいのか、どうやって過ごせば自分は幸せを感じるのか・・・

時間はトレードオフ(Aをしている時間=他のことはできない時間)なので、幸福度を高める時間を最大化し、幸福度を下げる時間を最小化を目指すわけです。が、幸福度というものは様々な要素が絡み合う複雑なもので、考えることはいくらでもあります。

なぜ本が良いのか

僕自身、まだ人生の道筋が見えたという感じではないものの、本を読むことで色々と気付きを得ています。

本を読む理由は、「悩んだら先人の知恵に頼ろう」です。何度となく耳にしたフレーズでしょうが、これに尽きると思います。『つい最近読書に目覚めたような人間が何を分かったようなことを』というツッコミはごもっともですが、そこは寛大なお心でスルーして下さい(苦笑)

仕事、お金、人間関係、幸せ……人間の悩みなんちゅうのはいつの時代も同じや。そんで本ちゅうのは、これまで地球で生きてきた何億、何十億ちゅう数の人間の悩みを解決するためにずっと昔から作られてきてんねんで。その『本』でも解決できへん悩みちゅうのは何なん?自分の悩みは地球初の、新種の悩みなん?自分は悩みのガラパゴス諸島なん?

水野敬也(2012)『夢をかなえるゾウ2』,飛鳥新社,p60.

僕たちは皆自分のことをある意味「特別」だと思いがちではないでしょうか?僕はこの引用文を読んで、ハッとさせられました。もちろん個々の事情が完全に一致することはありえません。しかしながら、抽象度を上げれば、自分と同じような人間はたくさんいるのです。

また、知識や情報も有益ですが、真新しい情報がなかったからと言って無益だとは限りません。基本的に本を書くような人は僕ら読者よりもその本のテーマについて深く考えているので、彼らの考え方はとても参考になります。

この本も読書のモチベーションを上げてくれる本です。よく言われている抽象化と具体化の往復(筆者は「問い」が変化することから「三角跳び」としている)が重要という内容ですが、『なるほど!』と思わされる箇所がたくさんあります。本を読もうと思いつつも重い腰が上がらない人におすすめです。

どんなに具体的に書いている本であっても、その人が抱える個別具体的な課題に直接答えてくれるわけではありません。最後の「ラストワンマイル」は、自分の頭を使って手元に引き寄せなくてはならないのです。

荒木博行(2022)『自分の頭で考える読書 変化の時代に、道が拓かれる「本の読み方」』,日本実業出版社,p.113.

本のレビューで極端な低評価を付けている人たちのコメントを見ると、この作業をサボっているのではないかと。自分にドンピシャの答えを与えてくれるのを期待し、それが書いてなかったという理由で低評価にしているケースがかなり多い気がします。

知っている内容でも響く本の存在

特定の分野の本を何冊か読んでいると、『あ、これはもう知っているわ』みたいな感想を抱く瞬間が増えてきます。けれど、そこで『読書はもういいかな』と思わず(一時的に距離を置くのはいいと思いますが)、本との出会いを完全にシャットアウトするようなことはしないでほしいと思います。

僕の場合、大学院時代はそれなりに本(といっても研究分野に関係するものだけ)を読んでいましたが、その反動か大学院修了後10年近くラノベ以外全く読まなくなりました。今思えば、もっと本を読んでいれば人生が好転していたかもしれません。まぁ仮にそうだとするとバタフライ・エフェクト的に妻と出会ってなかった可能性も高いので、そう考えると後悔はしていませんが。

話を元に戻します。

会話では言い方が大事になりますが、本にも同じことが言えると思います。「偉そうな物言いやキツい言い方は止めよう」とかいう意味ではありませんよ?

例えば、上で引用した『夢をかなえるゾウ』シリーズは、自己啓発本の寄せ集めで、書いてある内容自体はとてもありきたりです。にもかかわらず、登場キャラの面白さや言い回しの絶妙さによって人気を博しています。

伝えているメッセージ自体は同じ(ありきたり)でも、示されている根拠や紹介されているエピソード、さらにはちょっとした言葉の表現などで、読み手が受ける印象は全然変わってきます。Aさんには刺さらなくても、Bさんには刺さる可能性は十分にあります。「ありきたりだった」みたいなレビューを見ただけで条件反射的に避けるのはもったいないです。既に知っているようなことが書かれている場合でも琴線に触れることは少なくありません

同じ理由から、最近流行の要約(書評)動画チャンネルやサイトも否定するわけではないですが、要約だけで判断したり、分かった気になるのも違うなと思います。要約で済むなら著者はわざわざ長く書く必要はありません。中には文字数をクリアするために水増ししている卒論のような本もありますが(苦笑)、基本的には必要だからその長さになっているはずです。

とは言え、読んでみるかかどうかの判断材料はいりますよね?

著者との相性は冒頭部分である程度わかる

荒木博行(2022)『自分の頭で考える読書 変化の時代に、道が拓かれる「本の読み方」』,日本実業出版社,p.132.

という意見は、読書歴の浅い僕にも何となく分かります。電子書籍でも冒頭は試し読みできるので、実際にちょっと読んでみるのが良い手かもしれません。なので、ちょっと気になった本はとりあえず冒頭を読んでみましょう。


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