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18の頃、日本が嫌で海外の大学に行った話

こんにちは、週末オフグリッドの人こと、ゆきちゃんです。
都内の企業で働く2児のママですが、川崎→伊豆の二拠点生活を6年した後に、去年伊豆に移住しました。
長女はオルタナティブスクールに通っています。
そんな選択をするぐらいなので、教育や学校に関しては以前から色々と思うところがあり、今日はそこに至るまでの話を綴ってみようかなと思います。


高校までは優等生

ちなみに、私はギリギリ昭和生まれぐらいの世代です。ゆとりのちょっと前ぐらいかな?なので、この話は、20年ほど前の話になります。

私は東京の公立の小学校〜中学校に通い、都立の高校まで普通に通っていて、それなりに楽しく過ごしていました。
勉強もあまり苦労せず、部活に励み、友達にも恵まれて学校を楽しんでました。

それでも日本が嫌だった

それでも、当時の私は
現状や日本の社会にもやもやと不満を抱いていました。
皆が同じ制服を着て、同じ時期に同じことをして、社会人になる…
高校の頃、このまま普通に進学して大人になるのか、好きな絵を学ぶ道を選ぶのか、進路に悩んでいました。

当時の愛読書は中島義道😅反抗期ですね〜

安定よりも好奇心が勝り、高校生の私は海外の大学に行くことにしてしまいました。
とはいえ、何か根拠があるわけでもなく、「何となくカッコいいからイギリス」という感じだったと思います。
当時、絵を描くのが好きだったので美術科にしました😅
今思うとほんと、もっとちゃんと考えろよって感じなんですが…
とにかく、留学を目標に、英語力向上と作品準備をするべく、歩きながらでも勉強するほど打ち込みました。

語ることが何も無かった

無事にイギリスの美術大学に受かったのですが、最初の1年はファンデーションコースという基礎科で、その次に学部に入る、という流れになっていたので、しばらく勉強三昧の日々は続きました。

生活面でも苦労しました。高校を出たばかりの私はそれはもう世間知らずすぎて、バスごとに行き先が全て異なることさえ分からない状態でした。
料理もできなさすぎて、そうめんを茹でることに失敗する始末です。高校生にもなって、自分のことが何もできないという。
しかも海外なので、英語は通じないし、電車の乗り方も、スーパーの買い方も何もわかりません。
食生活が乱れて1年間で10キロ体重が増え、虫歯が2本できました😰

中でも、最も海外で困ったことはコミュニケーションです。

イギリスの公園には鳥や家畜が放し飼いになってて可愛い

私には、語ることが何もありませんでした。何も考えずにのうのうと生きていたので、何も深掘りできない。中身に何も無い、強い思いもない、空っぽ状態です。

英語は勉強すれば喋れるようになりますが、中身の成熟には時間がかかります。本当に海外ではコミュニケーションに苦労しました。

部屋に上がり込んでベッドで寝る友

また、日本人のコミュニケーションスタイルと、海外の方のそれが違いすぎて、まだ中身が何も伴っていない私にはキャパオーバーでした。
例えば同じ寮で仲良くなったクレアちゃん(仮)。

毎日電話をかけてくるし、隙あらば部屋を鬼ノックしてきて、挙句の果てには私の部屋のベットで寝るし…

嫌なら「クレアちゃん、それはちょっと迷惑だからやめて」って言えば良かったのですが、日本の「察するコミュニケーション」しか知らなかった私は、ただ戸惑うばかりでした。

段々疲れてしまって、部屋でもリラックスできない状態に…。

毎晩彼氏を連れ込み、パーティーする隣人

そうえば寮の隣の人もすごかった。
毎晩彼氏を連れ込んで、壁も薄いのに夜までガンガン音を響かせる方でした。
うるさすぎて、勝手に部屋に入ってスピーカーを止めたりしていました。
その方だけではなく、深夜庭から大合唱が聴こえてきたり、もうとにかく騒音がひどすぎるのがデフォルトで。
あと、共用の冷蔵庫に牛乳を入れておくと勝手に使われてなくなってしまうので、味噌を塗りたくったりしていましたが、効果なしでした。
モラルが無さすぎて、ドイツ人のアナちゃん(仮)だけが理解者で、よくお互い共有スペースを掃除しながら愚痴を言い合ってましたね。

イギリス人は紳士かもしれないけど、留学生なのでほとんどイギリス人とは知り合わないw

日本人が独特だった

こんな調子で「マジ無理!!!」だったのですが、どっちかというの我ら日本人が変わっていたのです。
えっ、これが普通なの…?
と思うかもしれませんが、日本人のコミュニケーションスタイルはすごく不思議だったようでした。
言いたいことは言わないし、お互い察する文化で、社会秩序を大切に慎ましく生きる。そんな民族は(少なくとも留学生の中には)いませんでした!!!
言いたいことは言うし、思うがままに生きているのが世界の普通でした。
外に出て様々な人の洗礼を受けて、やっと自分たちの国の不思議さがわかりました。

思ったことを言うには訓練が必要

ファンデーションコースを出て学部に入ることができましたが、ここでも、コミュニケーションが上手くできないことがかなりネックになりました。
海外の大学の授業では、本当に自由なタイミングで質問が飛び交います。
自分が何か疑問に思ったら、他の人が分かってそうでも、全体の流れを止めて質問することに躊躇する人はいません。

あまりに周囲に適応できなかったのか、フォルダには川の写真ばかり

日本人が何か質問するときは、「先生の話で不足する部分を皆のために補う」側面が強いのではないでしょうか?
なので、「私がわからない」という観点で質問できる人はそんなにいません。
(※素人質問ですが…みたいな低例文もあるけど、あれは「わかってる人」が聞く例だし。)

それが、海外の大学では「私」の視点で質問がどんどん出るのが、すごくカルチャーショックでした。
そして、自分はというと、何も聞けないのです。

無くなってしまった私

そこで、冒頭の「日本が嫌だった」に繋がります。日本を出るまでは何が嫌なのか分からなかったけど、結局私は自分が何なのか分からないのが怖く、このままレールに乗って大人になるのが怖かった。
絵を描くのが好きだったのも、自己表現のひとつでした。

イギリスには、「自分探し」をしている20代の年上の日本人が沢山来ていました。
中には、日本で仕事をやめて、ワーホリや語学学校に来た人も。
だいたいの人は1年ぐらいで何も無い事に絶望し、夢破れて帰っていきました。

私も3年ほど過ごした後、大学を中退して日本に帰りました。そこからは、バイトや派遣の仕事をし、日本の大学に入り直して、普通に新卒で入社したというわけです。
人よりも、4年遅れで大人になりました。

それでも、10代のうちに「自分探し」ができて良かったと思います。早ければやり直しが充分ききました。

子どもたちには早いうちに自分を見つけて欲しい

ここからは親のエゴなのかもしれませんが、やはり子育てをするようになると、自分の失敗や苦しみを子どもに味合わせたくない、と思ってしまいます。
日本の学校教育の中では、「自分の気持ちを表現し、自分の言葉を持つ」訓練をするのは難しい。
では、既存の学校はダメで、オルタナティブスクールに行けばそれが身につくか、というと、そういうことではなく。
家庭の方針として、「子供時代はできる限り伸び伸びと過ごしてほしい」という気持ちだけです。
自分を持った上で、自分の居場所を掴むため、学校に入ることが必要になれば、大いに勉強すると良いと思います。
自分探しは早いうちに。できれば、幼少期にやった方が良い、と思います。
習い事の早期化や幼児教育、中学受験の過熱化などの傾向を見ると、世間はまたもや逆行しているようですが。
自分がわからなくなってしまう子どもたち、大人たちが溢れないことを祈るばかりです。

人生は長い

ドラクエみたいなイギリスの道

私自身が、人よりも4年遅れて社会に出た人間なので、社会の仕組みには意外と抜け道があり、わりとどうにでもなる、ということを知っています。
何よりも、人生は長いです。
下手したら、仕事を退職した後にも30年ほど人生が続く可能性だってある。

現在、不登校の子どもが増えているといいます。今朝も教員不足のニュースが流れてきました。
個人レベルでも、社会レベルでも、忌憚なく言えば、「学校という、子どもたちを集め、個性を殺して、立派な労働者に育成する」という仕組みにガタがきていると感じます。

また、医療の発達で寿命も延びたので、老年期に労働が終わった後の時間をどう過ごすのか、という問題もあるなと感じています。

人生は長いので、教育というものが、もっと長い目で人生を過ごすための指針となるものであってほしい。
そして、日本人がもっと広い視野を持って、色々な生き方をする人を認めるようになってほしいと思います。

イギリスの大学には、さまざまな年齢や人種の方がいました。

とりあえず、日本に閉塞感を感じてる人は、語学留学やワーホリなんかで、ちょっと住んでみるのもオススメですよ。
日本の良さに気づけると思います!

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

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