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33歳を目前にして、ようやく終電の存在価値を理解した

学生の頃は、始発まで飲むのが当たり前で、一人暮らしをしてた頃は、繁華街が徒歩圏内だったので終電という概念がなかった。


結婚し、子供ができてからは、あまり外に飲みに出かけることはなくなった。


子供も2歳になり、一度寝ると朝まで寝てくれることもあり、たまにではあるが飲みに行く機会がちらほら出てきた。


久しぶりに飲みに行くと、それは楽しくて、結構盛り上がる。


学生の頃のような体力はないので、なかなか朝まで飲むのはしんどいが、家の近くで飲んでいれば徒歩で帰るし、少し距離があればタクシーで帰っている。


先日も高校時代の友人と10年以上ぶりに再会して、飲みに行った。


高校時代の話や、今何してるみたいな話で大いに盛り上がり、気がつけば空は明るくなっていた。


家に帰ると、ちょっと不機嫌な奥さんが待っていた。


そらそうだと思い、平謝りして、眠りについた。


目が覚めると、なんと14時だった。


これは、さすがに寝過ぎたと、数時間ぶり、この日2度目の平謝りを炸裂させたが、ちょっと不機嫌から、とても不機嫌になっていた奥さんには通用しなかった。


しかも、その日が連休の初日ということもあり、奥さんも休みのうちにやりたいことがあったみたいで、ほとんど1日潰したことになってしまい、申し訳ない気持ちになった。


ほんまに飲んでる時は、めっちゃ楽しくって、高校時代の同じエピソードでも、自分はこう思ってたけど、友人は違う風に捉えてたみたいな話もあったり、


10年以上ぶりに会っても変わってないところもあれば、逆に大人になっているというか、変わっているところもあって、有意義な時間だった。


ただ、家族で過ごすはずの連休を犠牲にしてまで必要な時間だったかというと、そうではなかった。


かつては、終電で帰る人のことを、付き合い悪いなと思っていた。


自分が楽しいから、朝まで飲んでいるのはもちろんなのだが、どこかで付き合いの悪い奴だと思われたくない気持ちもあったかもしれない。


でも今はわかる。


付き合いが悪いのではなく、他に時間を使いたいことがあったのだ。


奥さんから、怒られ、平謝りに次ぐ平謝りで数日後に和解をし、


「終電で必ず帰ってくる」という約束を結んだ。


終電があることによって、一つ区切りができ、色んなことに時間を有意義に使える。


終電があって良かったなと今なら思える。



反省の意も込めて、それからは外で飲んでおらず、家で飲んでいる。


飲んでいる時点で、反省してないように思えるし、終電がないから、たまに飲み過ぎる。

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