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音楽と国家: 社会を変える力について

音楽と国家は、いずれも、経済関係から疎外された幻想性の様式の一つである。両者の明瞭な差異を一つ挙げるとすれば、いずれも幻想性の範疇に属するものであるのに、国家は現実の人間が構成する経済関係に具体的に作用する力を持つということだろう。
国家は政策という目に見えない道具を使って、その幻想性の範疇を逸脱して、現実に人間の行動を変容させる力を持っている。その力は、国家が独占する物理力、すなわち警察や軍といった暴力装置によって担保されている、というのが、行政学における通説的な説明である。
これに対して、音楽にはそうした力が無い。音楽は受け手の精神を瞬間的に高揚させたり、受け手の内面のあり方そのものに影響を与えることもある。だが、音楽が現実社会を具体的に変えることはないし、音楽を聴いたからといって腹が満たされるわけでもない。食べるものが無ければ人間は生きられないし、現代社会においては最低限の収入を得て生活しなければ、人間としての尊厳を維持することもできないのである。

私は音楽というものの非力さを嫌というほど見せつけられたから、音楽を辞めた。しかし、音楽が持つ幻想性、言い換えれば、人間の想像力の産物であって、それゆえに抽象化されることのない特殊性に深く魅せられていた私は、何らかの形で、人間が作り出す幻想性と深く関わりながら生きたいと思っていた。
国家は、近代以降の歴史を通じて、現実の社会を変化させる力であり続けてきた。巨大な力は当然にして、それが弱き存在である個人に向けられたときに、その個人を激しく痛めつけ、死に至らしめることもしばしばある。その苦痛が最も熾烈な形で顕在化するのが戦争である。日本にとっては、今世紀前半のアジア太平洋における戦争の歴史が、その苦痛とともに、集合的な記憶として残されている。
だが、国家が個人に対して死を強いるという側面は、私にとってどうでもよかった。幻想性の範疇にありながら、現実社会を具体的に変更する力を持ち、音楽と異なり、人間の内面ではなく、人間の尊厳と誇りの土台となる生活そのものを救う力を持つ国家というもの、そしてその背後にある、これもまた、時間という概念を前提とした想像力の産物、すなわち歴史というものに強く惹かれたのである。

10代の頃の私は、現代という時代に激しい疑問と憤りを併せ持っていた。現代という時代ゆえに与えられたとしか思えない、身を激しく打ち付けるような苦悩に満ちた人生の中で、歴史という想像力に裏付けられながら、力を携えた国家という存在が燦然と輝いて、あのとき目の前に現れたのである。

私の10代は、小泉内閣の劇場型政治に始まり、3代に亘る自民党の短命政権と、そして民主党政権の混乱と共に終わった。多感な時期の私の目には、日本の政治は激しい混迷の最中にあると映った。政治家たちは、国民を置き去りにして、彼らの世界だけで通じる言葉で会話をする、別世界の人間のように見えた。だが、国家の運営と私のような一般人の経済的な生活は間違いなく結びついているはずである。
バブルが弾けてから経済が上向く兆候は見えず、地球の裏側で起きた金融危機が自分の街にまで波及し、大津波で人が街ごと流され、放射能汚染で故郷を失った人が大勢いた。自然主義のもとで極限まで抽象化されたグローバル経済の中で、生きることに追い立てられ、取り付く島も無いような人生を送る以外の方法が私にはわからなかった。生きるということは苦しみに満ちている。苦しんでいる国民、苦しんでいる私という人間にとって、国家というものがどういった意味を持つのか。そうした疑問を抱かざるを得なかった。
大学に入るのとほとんど同じタイミングで、20代になり、その頃、第二次安倍内閣が成立した。第二次安倍内閣は、日本の憲政史上稀に見る強力な内閣だった。今振り返ってみても、日本政府が持つ力をこれほどまでに引き出し、既存の政策を大胆に変更し、社会を現実に変えた内閣は、歴史を辿っても多くはないだろう。
政策が持つ力というものに、私が具体的な期待を抱くとき、私の学生時代の全てと、今の仕事を始めて政策に関わるようになった最初の数年を包み込んだ第二次安倍内閣が発した言葉や社会に打ち出したメッセージから、自由であることは無いだろう。

翻って、昨今の政治資金問題に、私は大きく落胆した。10代の頃に感じていた、政治家たちの発する言葉が自分の感覚から乖離しているという感覚は、岸田内閣の総理を含む閣僚たちが発する言葉に触れるにつけ、瞬く間に思い出され、そして愈々強くなっていった。
そして、いつまでも変わらない年寄り向けの社会保障制度、可処分所得を減らし、実質賃金の減少に何ら手を打とうとしない財政政策、極め付けは、本質を訊さずに末節に固執する国会議論、私はそういったものに憤りを感じざるを得ない。
実定法主義で前例重視のこの国において、一つの制度を変えることにはとりわけエネルギーを要する。文化的要因もあるのかもしれない。
それにしても、この国の政治の、国民との感性の乖離は著しい。民主主義国家においては、国民が政治に期待することをやめたときが、制度としての国家の死であろう。だが、現代の国民はもはや、国家の運営に主体的に関与することを諦めつつあるという風さえ感じられる。
エリート層も、非エリート層も同様である。どちらか片方でも、主体的に国家運営に関与するモメンタムがあれば、まだ状況はいいのかもしれない。その意味では、エリート主義的な傾向の強かった日本において、官僚機構への国民的信頼の失われた状況が、致命的なのかもしれない。
本来であれば国の理念に関わる議論を主導すべきはずの国会議員や幹部たちが、末節の議論に終始しているのは、いったいなぜなのか。政策に関わる仕事を始めて数年が経ったが、この問題があまりにも根深いと感じられる。

さて、私は、音楽の非力さを思い知ったから、音楽を辞めて政策の道に進んだのであるが、この10年あまり、学生時代と政策関係者としての職務を通じて、国家が持つ力がいかにして行使され、それが社会をいかに動かしているのかも、様々な場面で気付かされた。あのときと同じアナロジーで言えば、国家の非力さというものについても、改めて考えてみるべきなのかもしれない。
この問いは究極的には、現実社会を変える力は一体どこにあるのかということだ。これを問うことを止めることが、自分の人生をいかに空虚なものにするかを想像するだけで恐ろしくなる。

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