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創作と自意識過剰

 こんにちは、うかりこです。今回は創作とSNSについての話題です。

 私の場合は二次創作メインでイラストや漫画、一次創作でもちょろっと漫画を描くことがあります。いわゆる同人活動ですね。本当に拙い作品ばかりなのですが、ありがたいことに数年前よりTwitterのフォロワーさんもぽつぽつと増えてきました。
 すると少しずつ「早く作品を仕上げなきゃ」「もっと良いものを描かなきゃ」という思いが自然と芽生えてきました。もちろん誰にも急かされてなどいませんし、そんなプロのような期待を持たれるほどの存在でもありません。ただの自意識過剰です。芯のある人ならこんな記事書くまでもなく自身のペースを保てるのかしら~~~と自分の弱さを実感します。いやデキる人は苦悩を見せていないだけかもしれないけど……。
 そういう思いは募れど絵が上手くならない。上手くなりたければデッサンなり模写なり練習すればいいのだが、忙しいなどと言い訳してそういう努力をしないので当然である。

 それでも、一次でも二次でも、作品を通して表現したいものがあるから創作しているはずです。クオリティを気にせずその熱をぶつければいい。数を重ねるうちにそれが上達へと繋がるだろうということは分かっているのだ。客観的なクオリティがどうであれ、自分が頑張って作り出したものであるということは事実だからそこは自分だけでも認めてあげたらいいじゃないか…でも素直にそうもいかないからこういう話題になってるんですよね。

 一度投稿してしまえば満足してブクマ数やいいね数はそこまで気にならないのですが(少しは気になる)、その数よりも「これを見て不愉快になった人がいないか?」「表現に問題が無いだろうか?」ということを考えてしまうようになりました。特にフォロワーさん達の嗜好や地雷を知っていくにつれてその傾向が強くなったように思います。特に解釈違いでトラブルがあったわけでもないのですが、なんとなく界隈の雰囲気から「あ、この解釈歓迎されてないな」っていうのが分かってしまうんですよね。また、「Aさんはこういうの好きそうだけどBさんは苦手そう……」というSNSでの人間関係的な面も気にしてしまうことがありました。

 結論、すべての人に配慮することは不可能だと思います。すべての物事に「それが好きな人、好意的な人」「それが嫌いな人、懐疑的な人」は存在するでしょう。自分の嗜好を押し付けないことと同様に、他人の嗜好を受け入れる必要もありません。だから害を及ぼさない限りはもっと自由に情報をインプット・アウトプットしていいのかなと思います。もちろん、原作へのリスペクトとできる限りの配慮の姿勢は示していきたい。

 実際のところ「自分の推してるもの、好きなものだけが全てじゃない」と分かってくれている人がほとんどだと思います。おそらく必要以上に気にしなくて大丈夫。これ無理~!っていうワードはミュート等で自衛してくれてると信じてる…!!

 なのにどうして疲れてしまうのか。分かってる、考えすぎ。
 SNSやネットの投稿サイトなどでよりリアルタイムで作品を多くの人に公開できるようになったからか、雑誌の投稿コーナーなどでしか活動していなかった時期に比べてこういう悩みが増えてきた気がします(雑誌は掲載に問題ないやつしか採用されないし)。
 配慮問題から冒頭の焦り問題に話を戻しますが、SNSも創作も義務じゃなくて任意でやるもの。疲れたら筆を休めていいし、作品を上げなくても日常ツイートやとち狂った推し語りだってたいていの人は見守ってくれる。もちろん浮上自体しなくてもいい。言うまでもないことなんだけどついつい忘れてしまいがちなので自分のために書いておく。

 また何回でも悩むことになるとは思うけど、ときどきこうやって自分に言い聞かせてボソボソと続けています。

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