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杉田浩一さん - なりたい自分になる人

50歳を過ぎてから、ドメスティックな銀行マンからグローバル企業の内部監査人へ転身。 かたわら、子供の頃から続けてきた趣味のトランペットの舞台での大失敗がきっかけで専門書の翻訳出版も実現。なりたい自分の夢を追い、公私ともに快進撃を続ける杉田さんの挑戦と情熱を伺いました。


クローバルな仕事への転身

1987年に経済学部を卒業して30年間は三井銀行(現三井住友銀行)に勤め、8年前に日立製作所に移りました。銀行時代は国内業務に従事していて、一度も海外駐在や留学の経験はなかったのですが、日立では、グローバル展開する鉄道部門を経て日立グループ全体の内部監査人となり、英語なくしては1日も仕事ができない環境です。鉄道時代の部門トップはイギリス人で、年に何回も欧州の拠点、特にイギリスやイタリアに監査に出向くようになりました。今はさまざまな事業部門を対象に、アメリカ・アジアを含む世界中で内部監査に従事しています。

でも、国際的な仕事を狙って転職したわけではありませんでした。専門性を生かして新しいことをしてみたかった自分のタイミングと、海外に急拡大している鉄道事業の内部監査部門をつくりたい日立のタイミングがちょうどマッチしたのです。

最後の面接で、こんな質問したことを覚えています。

「僕は英語で仕事をしたことがありません。事業の8割が海外売上で社員の7割が外国人というなかで、役にたつでしょうか?」

すると鉄道部門の面接官がレジュメに目を落とし「英語の”え”の字もできないことはないですよね、大丈夫です。」とおっしゃいました。実は、個人的に20年間英会話のレッスンを続けていたのでTOEICの点は良かったのです。

でも、入社してすぐに全然大丈夫じゃないことがわかりました。初めてのロンドン出張で、朝は「Good Morning, How are you?」から始まる。そんなちょっとした挨拶や世話話にも四苦八苦です。しかも当然のことながら、給料をもらうプロとして、英語でビジネスができなければなりません。

英会話の練習相手になってもらっていたカナダ人に相談して学び方を変えました。小さなミスや、文法は正しくてもちょっと不自然というところまで細かく指摘してもらったことをノートにつけ、練習しました。今も英語の精度をあげる努力は日々続けています。道のりは遠いです。

冠詞の付け方まで直してフィードバックをもらっていた頃のノート

語学は情報収集の窓

仕事で使う機会がないのにどうして英語のレッスンを続けたのかと聞かれますが、きっかけは小学生の息子が学校でアメリカ人の先生に教わった英語をなめらかに話すのを聞いて「日本人が英語に不自由しない時代がくるのかもしれない」と思ったことです。

その時に若い世代の会話に加われる親父になることが目標でしたが、実際に英語で情報が取れるようになると、海外の動向が分かって楽しくなってきました。

語学は情報収集の窓です。大学の第二外国語で選択したフランス語も、喋ることはないけれど、今も文章は読めるくらいに続けています。数年前からは、それが母語の人と関わることがでてきたので、NHKの講座でイタリア語と中国語の勉強も始めました。

僕が語学を勉強するのは、好きだからというより、ぞれぞれの言語の窓から同じものを見たいから。例えば、英語を話す人とフランス語を話す人との考え方の違いを知りたいからなのです。

50年間毎日吹き続けてきたラッパ

本当に好きなことといえば、トランペットです。都内のアマチュア交響楽団に所属していて、コンサートに出演するほか、金管アンサンブルや、ピアノ伴奏でソロの発表会などで時々舞台にも立ちます。毎日練習するので、もちろん出張先にも楽器を携帯します。

はじめは品川区の小学校に通っていた時。毎週、月曜日の朝礼で、トランペット鼓笛隊が皆の前で演奏するのが朝日にキラキラ光るのがいいなと思って、入隊しました。専門の先生がいたわけでもなく、みんな見よう見まねだけど楽しかったです。

大学の選択は父の影響です。父は、航空管制官でした。その業務が米軍から日本人に移管された時代の第一期生でしたが、当時、東大出身者が多かった霞ヶ関で、日大アメフト部のキャプテンだった父は色々思うことがあったのでしょう。ずっと「東大へ行け」と言われて育ちました。中学受験して大失敗したりしながら、それでも夢を捨てずに、なんとか赤門をくぐることができました。

東大に入ったらオーケストラに入るつもりでしたが、見学に行ったインカレの吹奏楽部のほうが気に入ってしまいました。まじめだけどリベラルで「音楽は楽しくなくては」という雰囲気が居心地が良くて。当時の仲間とは、今も頻繁に会っています。

舞台で大失敗してであった運命の本

12歳の時から50年近く、ほとんど毎日吹き続けてきたトランペットですが、実は音を出すだけでも大変な楽器です。上手に吹くには肺、喉、舌、顔の筋肉などを効果的、効率的かつバランスよく動員するための繊細なトレーニングをしなければなりませんが、その実態は外から見てわかりにくく、誰にも教えられないのです。どんなに練習しても、舞台を踏んでも、プロのように華麗に吹けるようになるイメージが掴めず、辛くて途中でやめようと思ったことも何度もありました。

ずっと、素朴に不思議でした。どんな道も、努力を続ければ、プロに到達はできなくてもその背中が見えるくらいのことがあっていいじゃないですか。でも、そうなる気配がまったくない。

それで数年前にとんでもない大失敗をしました。リハーサルまでは完璧だったのに、本番でしくじって演奏会を台無しにしてしまったのです。

トランペットはカッコよいことが求められる楽器です。音が大きいぶん、外すと全体を台無しにするインパクトがあります。アガっていたわけでもないのに、なぜそんなことが起きたのかわからなかった。でも、みんなが「あ、やっちゃった」って思うのは、わかった。

今は笑って話せますが、大変ショックで、世界中の教則本を調べ始めました。その中で出会い、最終的には「澄田涼太郎」のペンネームで日本語訳を出版するにまで至ったのが、アメリカの有名なトランペッター、フランク・ガブリエル・カンボス氏による「トランペットの技術(原題:Trumpet Technique)」です。

この本には「まさにこれ、俺だ!」と思うことが書いてありました。「トランペットを吹くためにはこういう体の使い方をしなければならない」と子供の頃から教わってきたことが、実は最大の障害になるのだと。

具体的には、腹筋の使い方です。昔は中学校の吹奏楽部員はまず「息を腹筋で支えなさい」と教わりました。アメリカもそうで、著者も何百回も腹筋をして何十週も校庭を走ったけど、それは一切役に立たなかったと言うのです。それどころか、腹筋に力を込めることは大きな弊害だと言うのです。

解剖学的に、人体は腹に強い力を入れると声門せいもんが閉まります。肺から送り出された空気は喉を通して外に出ますので、腹筋に力をいれつつ吹くというのは、閉めると開けるを同時にやっていることになります。車に例えるとアクセルとブレーキを同時に踏み込むようなものです。

言われてみると当然のようなことですが、僕にとって、それはコペルニクス的転回でした。舞台での大失敗も、つまりは息が出ていなかったのです。本の教えに従うと、40年間苦労し続けていた高い音が1週間で出せるようになりました。自分のトランペットが劇的に変化して、かつてないほど演奏が楽しいと思いました。

これはもう、みんなに知らせなきゃ!と思いました。

翻訳出版から開けた世界

日本のほとんどのトランペッターが同じやり方をしているはずだから、この本を翻訳したらみんなの役に立つという確信がありました。素晴らしい効果を感じられる本当のメソッドを、わかりやすい日本語に翻訳して世に出したいと思いました。

そこで、もう一つ疑問が湧いてきました。アメリカでこの本が出版されたのは19年も前で、技術も進化しています。なぜ、日本では間違った教え方が正されずに今まで続いてきたのだろう?留学する日本人も多いはずなのに、どうして?

そこで思い当たったのが「門下制度の壁」です。何人ものプロのトランペット奏者と接するなかで、「師匠」の教えは絶対的なものなので、疑問を差しはさむことはできず、ましてや、他の先生に習ってはいけない風潮があることを聞かされてきました。

僕は、語学でもそうだけど、複数の視点を持っていたいバランス派です。また、経済学部で学んだ自由競争の重要性からも、日本のトランペット教育にシステム上の欠陥があるのではないか、とも考えるようになりました。ピアノやヴァイオリン、歌などと違い、欧米の第一線で活躍する日本人トランペット奏者が極めて限定的なのも事実です。

誰はあの先生の門下、彼はこの先生の・・・という古いカルチャーゆえに、間違ったことが是正されなかったり、多様な奏法の選択肢が示されずにきたのかもしれません。日本のトランペット界に英語に堪能な人が多かったら違っていただろうけど。

音楽系の大手出版社を頼らなかったのは、そういうわけです。閉鎖的な慣習から日本のトランペッターを解き放ちたかったから。英語の難しい専門書を徹底的に噛みくだき、高校生にもしっかり意味を伝えるように平易で自然な日本語を考えて書きました。

著者にコンタクトして日本語訳をしてもよいかと訊ねると大喜びされました。それで紹介されたオックスフォード大学出版会に申請し、日本語の翻訳権の手続きや流通に協力してくれる小さい出版社を探し出して、自費出版で世に送り出すことができました。

出版からちょうど1年くらいになりますが、周囲からは好評です。音大の教壇に立つ先生が「とてもいい本だ、生徒にも勧める」と言ってくれたり、最近日本の三大コンクールで優勝してドイツのオーケストラの首席演者としても活躍している若手奏者が「本に書いていることを自分も試しています」と言ってくれたり。FMラジオの音楽番組にも出演する機会をいただくなど、この本をきっかけに、色々と思いがけない世界が広がりました。

ラジオパーソナリティをつとめるピアニスト高橋里奈さんと記念撮影

オリジナルな夢を追って

そもそも、トランペットでヨーロッパ音楽を続けてきた裏には、いつか欧米人と話をする時、その世界に造詣ぞうけいをもっていたら対等に話ができるだろうと考えていたこともあります。

例えば、人はモーツァルトを天才だと言うけれど、実際になぜ天才なのか。自分も音楽を愛する者としてそれなりの考えが話せたら、どんな国の人とも十分に会話ができる気がしていました。

いざ外国人と仕事をするようになって分かったのは「ヨーロッパ人」とひとくちに言っても意外と知らないというか、知らない人のほうが多くて。まぁ、普通のメーカー勤めの人たちだから当然かもしれないけど、でも、なんか、もうちょっと…あなたイタリア人でしょ、ヨーロッパ音楽の発祥の国でしょ…とか、思っちゃうこともあります。

でも、音楽好きな人とは一瞬でつながれます。ロンドンの事務所で、初対面のイギリス人同僚と会ったその日に楽器の話で盛り上がり、「オーケストラでテューバを吹いてる。週末にケンジントンの教会で演奏をするから聴きに来ないか」と誘われて、急遽、駆けつけたり。

トランペットの専門店に行って、日本に在庫がない注文生産品の試し吹きをさせてもらった時も、最初は店員さんも(変なアジア人のおやじが来たぞ)という感じで「マウスピース、どれにします?」なんて聞いてくるんだけど、そこでサラッと型番を答えると、ああ楽器の扱いがわかっているなと安心して、どんどん持ってきて、どんどん吹いてくれって感じになったり。

国籍の違いを全く感じず、さらっと共通の世界に入って盛り上がれるのは楽しい!

誰にも、自分の中で反芻はんすうする大事な言葉がいくつかあると思いますが、僕にとってその一つは「夢しか実現しない」です。つまり、こういうことがしたい・こういうひとになりたい、そういう夢を持つことがいろいろな行動の原動力になってきたと思います。

それからもう一つ、経済学部の恩師・宮島洋先生に言われた「オリジナリティが大事だ」という言葉。世の中にあるものを組み合わせて器用にパッと世に出すことより、オリジナリティを追求しろ。自分らしくあることを大事にしろって。この言葉はずっと僕の中にあって、誰もやっていないことに挑戦する時、ブレイクスルーをしたい時、背中をおしてくれます。

僕にとって、トランペットは大切な自己表現です。自分の中にあるなにか、音楽そのものと言っていいのかもしれないけど、それを外に出すことで達成感を得る。

若い時からずっと吹き続けてきたけれど、銀行員時代は仕事が忙しかったし、なかなか上手くならないのでキツい時も長かったです。

だけど、仕事も、英語も、ラッパも、自分で大事だと思うことを手放さず続けてきたことで、この歳になってようやく、いつかそうなりたいと思っていた自分に近づいてきた気がします。

<関連リンク>

・ フランク・ガブリエル・カンボス氏の公式Website