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「思ったこと」を文章に

私は、ただ思ったことを文章にしたい、と思ってキーボードを打っている。
が、実際に「本当にただ思ったことを文章にする」という行為は難しい。

「文章にする」ということは、形のなかった頭の中身を目に見える形に整えることだ、と思っている。
どんなことを考えて、どんな感情になって、何を表現したいのか。その時々で様々な思考になるが、それらを「文章」という形にしようと思ったら、その過程で少なからず飾ってしまう。私の場合はきっとそうだ。
ありのままの脳内を映し出すなんてことは、中々できない。

頭の中で考えることや、文章として文字に起こすこと、それから自分の口で声に出して話すことは、全部少しずつ違っている。
たとえ元のぼんやりとした何かは同じものであっても、それをどんな手段で表現するかによって、形が変わるのだ。

書く前にも、話す前にも、まずは頭の中だけで考える時間がある。
その段階から、「表に出すかもしれない言葉」として思考することが多い。それは、文章や会話にとっての、準備運動のようなものかもしれない。ただ、表に出す前に脳内だけで準備をしすぎると、かえって本番でうまくいかないこともある。かといって本当に何も考えていないことは、その場で言葉を見つけるのにひどく苦労することばかりだ。

ああ何だか、自分でも何を言っているのか分からなくなってしまった。
ここで「ただ思ったことを書く」を実践すれば、「疲れて考えるの面倒になってきたからもういっか」であるが、それは「素直な心の描写」というよりも、「思考の放棄」にすぎないだろう。

「思ったこと、考えたことを文章にしたい」という私の目的は、思考を放棄することでは達成できない。変に聞こえの良い言葉を探すことは純粋な記録ではないだろうが、考えること自体をやめてしまっては意味がない。

飾りすぎて、本来の自分の感情や考えを見失ってしまうのは避けたい。しかし、せっかく文章という媒体で表現をしているのだから、少しくらいは良く見える形の中に思考を収めようとしてみたっていいのかもしれない。それが上手くいくかどうかはともかく。

……などということを、何となく考えていた。

散らかったままの頭の中で、好き勝手な文章を打ってみた。
ただそれだけ。
そんな思考の一端があっただけだ。