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基礎が大事?

特に決まった教科書を使わずに高校の授業をしていると、怪訝な顔をされることがたまーにあります。何をやってるの?基礎が大事では?というわけです。

まず、補習校の生徒はフルタイムで現地校に通って、部活などの活動も積極的にしています。学力、社会性、非認知能力などに関しては現地校と普段の生活で学習の機会は沢山あります。

では日本語補習校高等部の役割は何か?生徒の環境を礎にして深く日本と繋いで将来両国で活躍できる可能性を高めることだと思います。

「生活をしている社会や教育システムでは主要言語として使われていない」ので定義上継承語教育ということになるのかもしれません。ところが補習校のコミュニティでは継承語というと、少々微妙なイメージが付いて回る様です。補習校は文科省の学習指導要領に沿って教科学習をするクラス。継承語は国際学級などと言われるクラスで日常会話の勉強をするもの、といったイメージです。頑張って教科書をベースにしたカリキュラムをこなした生徒は頑張り屋さんで優秀、、、でしょうか?将来世の中に貢献してくれるのはどんな生徒でしょう?

確かに重要な基礎的な力というものはあるのだろうと思います。
個人的で直感的な話になりますが、幼少期に日本語を聞く環境は特に大事だと思います。「これダメ、あれダメ」ではなく、もう少し接続詞を入れること。また本人に質問して話させること。もう一つのポイントは体験と量だと思います。夏休みに日本に帰って体験入学などさせてもらえると効果的ですが、そうでなくても普段の生活で無理なく工夫出来ることは無いでしょうか?
小学校では「音読」が重要な気がします。音と文字をスムーズに結び付けられると日本語を読むのが苦でなくなります。漫画、Youtube、日本のテレビを楽しんでいるだけでも日本語が上達していきます。
それ以上はどうでしょう。読解力、漢字が書ける?
さらに言語学習の範囲にこだわらなかったら?論理的な思考、やるべきことを把握して計画を立てられる、習慣を作れる、グリッド(やり抜く力)、自制心、愛嬌、責任感、再考する力、自己肯定感?

どこまでが基礎かは分かりませんが、ある程度の言語力・学力・非認知能力が身についている状況では、自分達の環境に深く結びつけて実践に繋げていっていいと思うのです。その中でダイナミックにリアリティをもって学習する。もし、基礎に立ち返る必要性を認識したのなら基礎練習をすればいい。

今、高校生がアメリカで生活しながら、日本語を使った活動を深く自分に繋げることが出来れば、大学の研究室で、就職して、趣味で、ボランティア活動で、日本と繋がり続け、更に成長していくことができます。その中で身につく日本語は、決して「レベルの低い」日本語ではないはずです。


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