俺の意地が引っ込み思案すぎて困るのだが?
ラノベタイトル風に自分の「意地」を挑発してみた。
しかし、僕がどんなに挑発しても「意地」は一向に出てくる気配がない。
よく物語とかで期限がギリギリにせまってて、やらなきゃいけないことが絶望的に終わってない状況で、一度は諦めるんだけど、”ある出来事”や”誰かに言われたセリフ”がきっかけで、次の瞬間から脇目も振らずバリバリ集中して目的を達成するっていう描写がある。
あのアツい展開が好きでめちゃくちゃ憧れているのだが、実体験で起こったことがない。
僕の場合は、
「期限がギリギリにせまってて、やらなきゃいけないことが絶望的に終わってない状況で、⋯⋯諦める」
で終わる。
いやそんなことはないか。でも、頑張ったとして、
「期限がギリギリにせまってて、やらなきゃいけないことが絶望的に終わってない状況で、一度は諦めるんだけど、ある出来事や言われたことがきっかけで、次の瞬間から机に向かう」
までが限界であり、すぐやる気なくなる。
目的を達成するまで続かない。
それにはやっぱり「覚悟」や「意地」が関係してくるのではないかもしれない。
そして、どちらかというと「覚悟」より「意地」の方がしっくりくる。
完全なる独断と偏見なのだが、僕の中で「覚悟」は逃げないために必要なステータスであり、「意地」は続けるために必要なステータスだと考えている。
ただの言葉遊びと言われちゃったらそれまで。
でも僕は言葉遊びが好き。くどいくらいの表現が好きなのだ。
というわけで「意地」という言葉のイメージをもう少し掘り下げてみる。
何かを続けるためには「意地」が必要。
僕がこう考える理由は、続けることって綺麗事だけじゃ厳しいよね、って思うからだ。
目的を達成した瞬間、何かを決意した瞬間、覚悟を決めた瞬間。
そういった瞬間的な背景は綺麗なまま切り取られて、綺麗なまま納めることができる。
しかし、目的達成まで決意したモチベーションをずっと意地したまま続け流ことは難しすぎる。
どこかで、自分の汚い部分と戦う時がやってくる。
何度もそんな自分に負けて、マクドナルド食って、お菓子食べながらYoutube見て、腹出して寝るような日が来るのだ。
そんな汚い部分を何度も乗り越えることが、続ける、という結果につながる。僕はそう考える。
つまり「覚悟」というのは”決めるモノ”なので、瞬間的な背景であり、「意地」は"向き合っていくモノ"なので、継続的な背景なのだ。(圧倒的な個人的見解です)
そういう意味で続けるためには「意地」って言葉がしっくりきている。
ではここで、どうやったら自分の「意地」を引っ張り出せるのか、過去を遡って考えてみる。
「あの時は意地になって頑張ってたなぁ」という過去があれば、その成功体験を分析して再現できるかもしれない。
辛くても踏ん張っていた記憶として、すぐに思い出したのは2つあった。
1つ目は新卒で入社したデザイン事務所での日々。
店舗のデザインから現場の施工一式まですべてを管理する仕事が激務だった。
入社三日目で900万の現場に一人で放り込まれ、初めて交わした職人さんの言葉は
「お前、いつ辞めんの?」
だった。
こっわ⋯⋯
職人こっわ⋯⋯
とはいえ現場には僕と職人さんしかいないので一緒にやるしかない。
それから毎日のように職人さんに怒鳴られながら仕事を覚えた。
怒鳴られた後は悔しくて泣いたし、抱えるお金の大きさに恐怖してゲロを吐いた。
それでも踏ん張ってやらなきゃいけないこと、気をつけなきゃいけないこと、予測しなきゃいけないことなど、頭をフル回転させてノートに記録した。
1ヶ月も経たずにのノートがびっしりと埋まり、そのノートを見た職人さんが「お前、真面目だな。辞めんじゃねぇぞ」と笑った。
これは間違いなく、僕の意地が認められた瞬間だろう。
もちろん「辞めたい」とは思っていたけど、「負けたくない」という気持ちの方が強かったのを覚えている。
2つ目は29歳の時に工務店の新規立ち上げに参加し、毎日のように飛び込み営業に駆け回った日々だ。飛び込み営業と並行して電話営業、職人さん集めも同時にやっていた。
この時は辛いというか、経営状況もすべて把握していて、辛いとか言っている場合ではなかった。つまり、フタを開けてみれば自分が仕事を取ってこなきゃ給料が出ない、という状況だったのだ。
毎日のようにトライ&エラーを繰り返し営業先リストを更新していた。地元密着の工務店を目指すという話だったが、現状で家の受注をするのは難しいと判断し、自分の店舗設計経験を活かして、店舗に強い職人さんを集めて、そっちの方向での営業に勝手に変えた。そして、なんとか500-600万の案件を2件取ることに成功した。
この時も「負けたくない」という感情はあった。
話を戻す。
これは自分の「意地」を引っ張り出すための話だ。
だんだんと自分の奥底に眠る「意地」が見えてきたかもしれない。
ここまでの考えを少し整理すると。
自分の意地を引っ張り出すためのキーワードは「負けたくない」がヒントになるのではないだろうか?
では何に負けたくないのか?
それは自分の置かれた環境だろう。
僕は今の環境に負けたくなかったのだと思う。
では次に、どんな環境だったのか?
2つの状況の共通点として僕が注目するのは、
どちらとも「与えられた環境があった」ということだ。
前者は「何がなんでも現場を納めなければならなかった」環境
後者は「何がなんでも仕事を受注しなければならなかった」環境
つまり「何がなんでも〇〇しなければならない」環境を作ることが、意地を引っ張り出すヒントだと考えられる。
厳密に言えば、どちらもやらなきゃ死ぬわけではなかったので、歯車が違えばコロッと辞めていたかもしれない⋯⋯が、
当時は「何がなんでも〇〇しなければならない!」と信じ込んでいたのだ。
ここまで書いてみて⋯⋯、いや途中から思ってたことだけど、
これ、めっちゃムズイな。
何がムズイって”一人だとムズイ”。
例えば「noteを毎日更新しなきゃ」というテーマだったとすると、
「何がなんでもnoteを更新しなければならない!」と信じ込む環境を作ることになる。
一人きりで?
それは厳しい。毎日自然体で楽しく書ける人は別として、意地を引っ張り出して更新するには一人だと厳しい。
でも、反対に誰かがnoteの更新を毎日待っていたら?
noteの記事を誰かから受注したイメージを持っていれば?
誰かが待ってくれていると信じていれば?
どうなんだろう。
でもなんか、少しだけ「意地」がこっちを向いた気がする。
ひとまずの結論
自分の意地を引っ張り出すためには
「クライアント(お客さん,読者,受注者など)を想定し、その存在を信じ込む」
にしておきます。
いやホント。俺の引っ込み思案すぎるぜ⋯⋯。
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