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あんときのデジカメ 色彩を持たない多崎つくると、僕の讃岐巡礼の月 with 富士フイルム FinePix Z1

(はじめに)冬と聞けばモノクロームの世界という印象が定番ではないかと思います。しかし、目を凝らすと決してそうでもありません。わたしたちがそう思い込んでいるのが実際ではないでしょうか? 今回は、富士フイルムらしくないコンパクトデジタルカメラでその模様を凝視してみました。

冬は果たしてモノクロームなのか?

 僕のまわりにも多いのが冬が嫌いというひとたちです。もちろん、そこには壮絶に「寒い」ということに対する嫌悪は否定できない事実です。僕も寒さは苦手ですが、それでも真夏の暑さよりはちょっとマシかなという意味で夏よりは冬を選択してしまいますが、それでも、景色がモノトーンになってしまうことに、「冬は苦手」という方が多いのではないでしょうか。

 実際に、僕の周りにも多くそういう人がいます。もちろん、それを一般化してしまうことには抑制的であらなければなりませんが、僕としても実際にどうなのか、「色彩」ということに着目してシャッターを押してみることにしてみました。

 なぜなら、ひょっとすると冬の景色はモノトーンであるというのは、人間の思い込みあるいは印象批判に過ぎないのではないかと考えるゆえです。

 今回使用したのは、富士フイルムが2005年に発売したFinePix Z1というコンパクトデジタルカメラになります。この「あんときのデジカメ」でも富士フイルムのカメラをいくつも紹介しておりますが、概して、富士フイルムのカメラとはカメラかめららしいといいますか、ごっつい、あるいはスタイリッシュとはほど遠い、道具、あるいは機械としてのカメラが多いというのが事実です。その対照に位置するのがソニーではないかと思いますが、あえて富士フイルムらしくないスタイリッシュなカメラで「冬の印象」を記録してみました。

 ものごとがそういうものだと思っている時、そうではないという事実に直面する勇気というものが必要になります。景色や季節感に対してもそうですが、道具や機械に対してもそれは同じかも知れません

色彩を持たない多崎つくると、僕の巡礼の月


ねぇ、つくる、ひとつだけよく覚えておいて。君は色彩を欠いてなんかいない。そんなのはただの名前に過ぎないんだよ。私たちは確かにそのことでよく君をからかったけど、みんな意味のない冗談だよ。君はどこまでも立派な、カラフルな多崎つくる君だよ。
(出典)村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文春文庫、2015年、373頁。

 さて、色彩といえば、召喚されてしまうのが村上春樹さんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』になります。

 話の筋はぜひ、本書を紐解いてほしいと思います。

 この物語は、名前に記号としての色が配置されてい、アカやアオ、あるいはクロやシロといった記号が登場人物の個性や才能を彩る要素として描かれており、主人公の多崎つくるは自分自身に個性としての色彩を持たないという自己認識で生きてきました。しかし、他者評価あるいは自己認識としての色や記号で何かが決定的に決まるはずはなく、そのことを終盤に「クロ」だったエリが語るのが冒頭の言葉です。

 カラフルな「多崎つくる」はいったい、だれが決めるのでしょうか?

 それは、ひょっとすると定型化された他者認識、そして自己認識から逸脱することで、色彩が新たになるのではないかと読後に考えさせられました。

 そして、そのことは、人間の自己理解に限られた現象ではなく、冬はモノクロームという印象に関しても同じかも知れません。

富士フイルムらしくないスタイリッシュなZ1

 繰り返しの話になりますが、個人的には2005~2006年ぐらいにコンパクトデジタルカメラの基本が完成した時代になるのではないかと考えています。エントリークラスで言えば500万画素クラスが最低限のスペックとなり、それにどのような付加価値を加えていくのかがこの後の数年に模索された時代ではないかと思います。

 そこで失敗した事例もあれば成功した事例もありますが、ラインナップを振り返れば、一貫して「スタイリッシュ」というキーワードと程遠いのが今回使用した富士フイルムではないかと思います。そして、それは言うまでもなく欠点ではなくアドバンテージという意味です。

 しかし、そうした社風、あるいは製造工学とは裏腹のZ1を今回の撮影日記では使用してみました。

 繰り返しになりますが、富士フイルムのコンデジらしくない格好いいカメラですよね。

 では、簡単にスペックを紹介します。撮像素子は512万画素1/2.5型スーパーCCD ハニカムHRで、レンズはフジノン光学式3倍ズームレンズで35mmフィルム換算、36mm~108mmに相当します。富士フイルムのコンデジは開放F値がくらいものが多く、本機もF3.5ですが望遠端F4.2と明るく、富士フイルムが当時力を入れていた高感度撮影を反映されたものではないかと考えています。もちろん、それが低感度で撮影するうえで優位に働くことはいうまでもありません。

 もちろん、「当時」のカメラになりますので、夕方以降、マクロで撮影しようとするとピントの迷いや手ブレが多くなりますが、それでも健闘している部類でしょうか。

 1ヶ月ほど使用しましたが、ないものねだりを差っ引くならば、個人的にはストレスなく撮影できたよくできたコンデジという印象が強く残りました。もちろんそれを背景から支えているのは富士フイルムのセンサーとレンズの良さということに還元されるのでしょうが、それが今もってデジカメ市場で富士フイルムが生き残っていることを裏付けているのかも知れません。

 しかし、撮影時に注意すべきことがあります。これはSONYのサイバーショットのTシリーズと同じですが、レンズが中央ではなく右上に配置されている都合上、カメラを固定する指が写り込んでしまう可能性が「大」という話です。ここは留意すべきですね。

 ともあれ、富士フイルムらしくないカメラと1ヶ月を過ごしましたが、切り結ぶ画像はどこをどう切り取っても富士フイルムですね。

 わるくないカメラです。

 ということで以下作例です。拙い写真ですが、ご笑覧下さればと思います。最後のお寿司の写真は、2019年おつかれさまでした~的なそれです。



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ということで撮影データ。プログラム撮影、ISO100、ホワイトバランスオート、露出補正なし。画像は2592×1944(FINE)で保存。撮影は12月6日~29日。撮影場所は香川県善通寺市、丸亀市、三豊市、仲多度郡多度津町。



氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。