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あんときのフィルムカメラ 鳥原学『教養としての写真全史』筑摩書房 + TOPCON RE-2 + RE Auto-Topcor 58mm F1.8
写真についての知識を網羅する「全史」
先日、図書館で何気なく手にした一冊が、鳥原学さんの『教養としての写真全史』(筑摩書房)です。
芸術、報道、ファッション、天体、建築、動物等など写真の扱う対象を網羅的に概観し、その発達史を論じた鳥原学『教養としての写真全史』筑摩書房。記録の手段として始まった写真が活動の場を広げ芸術へと至る道筋を辿る好著。写真が趣味なのに写真について全く知らない自己を発見してしまうというオチ
写真が趣味ですから、写真についてはある程度の理解はあるものとは認識していたのですが、本書を紐解くと、実に、写真について自分自身は丁寧に理解していなかったことを発見しまして、ちょっと驚いたりしています。
この本は、これから写真について学ぼうと思っている大学生や専門学校の学生を対象にした講義録がもとになったものといい、たしかに精巧に構成されている内容は「教養として」の写真を語るものであり、それは同時に写真についての知識を網羅する記述で「全史」と呼ぶに相応しい大著です。
写真に関心を持つ人にはぜひ手にとってほしい一冊です。
世界中の人が、日々、写真を撮っている。その量はじつに膨大で、二〇一八年に撮影さえれた写真の総枚数はおよそ一・六兆枚にもなるらしい。二〇一七年における世界人口がおよそ七十五・三億人だから、単純計算では一人当たり二百十二枚になる。その多くがスマートフォンで撮られているということは想像に難くない。
こんなに誰もが写真に親しむ時代になるとは思っても見ませんでしたが、こうした状況をまえにしますと、本書で取り上げられている通り、「(技術革新等などで…引用者註)カメラは無論小さくなりましょう。そしてその機構は徹底的に単純になり、技法は簡易になり『写真家』という特殊な呼称はなくなり、全く普遍化します」と芸術写真家の安井仲治が1935年に述べた「百年後の写真」は正鵠を射ているのかも知れませんね。
肖像写真の呪術性とはほど遠いスナップショット
さて、目からウロコとなった『教養としての全史』ですが、これは結局のところ、自分自身の写真についての知識が断片的で主観的なものであり、構成された客観的な知識でなかったことに起因するのではないかと思わされましたが、同時に、その写真についての知識というものが、どこまでも自分自身の知とは異なる、よそよそしいものでもあったのではないかと考えさせられたりもしましたが、そんな考えに導かれながら、今回使用したのは、東京光学(現トプコン)のトプコンRE-2(1965年発売)です。
実はトプコンのカメラは、これが2台目になります。2003年にトプコンREスーパーを購入したことがありました。ちょうど、子どもを授かる直前で、レンジファインダーはほぼほぼ集め終えたため、キヤノンやニコンではない(というところが天の邪鬼ですが)カメラとして、同時期にエキザクタとREスーパーを手に入れた記憶があります。
マニュアルで使うのでTTL露出がどうのこうのというのはあまり関心がなかったのですが、オール金属カメラの質感に圧倒されたこと、そして、トプコールレンズのヌケの良さに度肝を抜かしたことを覚えています。
結局、子どもをそれで撮影することはほとんどなく、京セラコンタックスのTVSの出番ばかりでした(汗
ということで20年ぶりにトプコンのエキザクタマウントの一眼レフを手にしましたが、こちらもずっしりと重いカメラですね。しかし今回も肖像写真とは無縁なスナップショットばかりとなりました。
肖像写真が強い呪術性を持つのは、それがきわめて暗示的であるからだ。その暗示とは被写体の老化であり、最終的には死への予感に行きつく。評論家のスーザン・ソンタグは著書『写真論』(一九七九年)のなかで次のように述べている。
「自分やだれか知り合いの、あるいはよく写真になる世間の人の昔の写真をみてまず感じることは、なんて私(彼女、彼)は若かったんだろうという思いである。写真術は死すべき人間の目録である」
ありゃ?
カメラの進歩と普及に伴って、スナップショットを撮るアマチュア写真家は飛躍的に増加した。一九七〇年代の一眼レフの電子的進化は若い男性に、一九八〇年代のオートフォーカスの実用化は若い女性と高齢者に、二〇〇〇年代のデジタルカメラとインターネットはあらゆる人々に、その楽しみを広めたのだった。スナップショットは、常に新しい表現者の入り口となる手法となってきた。
さて、20年ぶりに手にしたトプコンの金属カメラですが、レンズも20年ぶりの再会となる5群6枚のREオートトプコール 58mm F1.8 の組み合わせです。
1963年登場の世界初のTTL開放測光一眼レフ、トプコンREスーパーのメカニズムを受け継ぎ、TTL開放測光がリーズナブルに活用できる中級機として発売されたといいます。機能としては各社中級機基準となりますが、ファインダーが予想以上に明るく見やすい仕様でちょっと驚いたりしました。
独特な角張ったデザインもいいですね。
ニコンともキヤノンとも「異なる」、どこをどう切り取っても「東京光学の一眼レフ」といった自己主張が込められた体(てい)で、僕は割とこのデザインを好んでいます。オール金属ボディですから目方もかなりありますが、その分フォールディングがよく予想以上に手ブレ対策にもなったように感じます。
今回も肖像写真ではなく、例のごとくスナップショットでの撮影となりましたが、明らかに36回以上シャッターを切っているのですが、フィルムが終了にならず、これは、
「おかしいな」
と思いまして、いったん、フィルムを巻き上げ、現像に出してみたのですが、
なんと、大部分のコマが二重露光になっていまして、
「ありゃ?」
という塩梅。カメラの故障なのか、設定ミスなのか釈然とはしないのですが、
ちょっと、
「とほほのほ」という結果となってしまいました。二重露光は意図的に作画して仕上がりを楽しむものですからね。
二重露光した作例(涙
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二重露光を免れた、あるいは軽度の作例(汗
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撮影は2021年11月23日から2020年1月17日にかけて。フィルムはKodakのネガフィルム「Pro Image 100(プロイメージ100)」を使用。香川県仲多度郡多度津町、三豊市、善通寺市、丸亀市、高松市で撮影しました。深まりゆく冬の讃岐路です。
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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。