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あんときのデジカメ さぬき浜街道と伊豆半島の国道135号というデジャブ with Nikon COOLPIX 3500

(はじめに)
さぬき浜街道を半年ちかく定点観測する寄り道を続けましたが、想起したのは小田原市から下田市へと伸びる国道135号線の初冬の光景でした。そのデジャブをちょっと改めて考え直してみました。随伴したのは2002年発売のニコンのスイバルカメラです。

「この道筋ってどこかで見たような光景だよな」

以前、次のような記事を書きました。

 「いつもの寄り道コースであるさぬき浜街道(三豊市→多度津町)も毎度訪れれば定点観測になってしまいますね。今回はその効能と新しい発見を紹介したいと思います」ということで、だいたい月に1~2回、同じコースをポタリングしています。

 同じコースであるがゆえに、月日の経過は、当たり前に繰り返される日常生活の暮らしを「あえて」点検する手続きとして機能しています。これが「寄り道」の「定番コース」の効能なのではないかと考えています

 しかし、毎度、同じコースを寄り道するなかで……そして、このコースは今年の5月に転職するまでは、ポタリングしたことのない道のりですが……実感するのは、

 「この道筋ってどこかで見たような光景だよな

 というデジャブ感でした。

 先日12月24日の早朝ですが、宿直が終わってから久しぶりに同じコースをポタリングしてみました。だいたいこのコースを寄り道するのは、宿直明けというタイミングに重なることが多いのですが、今月は、宿直明けでそのまま勤務というパターンが多く、行きたくとも行けずという機会が重なり、一月半ぶりの寄り道になりましたが、そこで自身のデジャブ感に気付くことになりました。

英気を養った寄り道と現在の寄り道の交差

 さて、そのデジャブ感として、半年近くしか寄り道していなかった定点観測のコースの記憶の正体、あるいはよく似た光景の思い出とはいったいどこでしょうか?

 それは、きわめて個人的な経験……そして、こういう突き放した言い方は、個人的な経験に依存するよりも公共的な言説に重きを置くべき知識人としての責任を放擲するようで厭なのですが、たまにはいいですよね(苦笑……になりますが、大学生のころ、よく逗留した伊豆半島での思い出です。

 僕は慶應義塾に当時は在学していたのですが、先輩が伊東市のリゾートマンションを所有してい、そこに季節が変わるたびに訪れ、

 英気を養う

 といえば、聞こえはいいのですが、まあ、息抜きをしていました。

 山頂のマンションから伊東市中央へはバスも出てい、夏の海水浴も楽しく、浜辺でビールを片手に肌を焼いたのはいい思い出です。

 しかし、なにより印象的なのは、晩秋から初冬にかけての伊豆路でしょうか。

 東京よりは少し暖かく、そしてその喧騒とは裏腹なのどかな光景に癒やしを感じつつ、海沿いの二車線をあてどもなくドライブしては、何も決めてはいない店先に立ち止まり、土地の魚に舌鼓を打つことがなによりの楽しみでした。

 夏の伊豆路も悪くはないのですが、僕としては、やっぱり晩秋から初冬にかけての「英気を養う」その路が印象深く記憶されています。

 それは何かといえば、恐らく、11月末の大学祭……慶應義塾でいえば「三田祭」ですよね……へ疾走し、その頂点から一点、翌々月から予想される進級試験に向けての折り返し点というのが、印象を強く残しているのかも知れません。

君はただの吸い取り紙になるんだ。なにを残してなにを捨てるかは、あとになってきめればいいんだからさ。

 思うにその印象を強調させているのは、進級試験という机上と大学祭という……それをこう表現させることには吝かにならざるを得ませんが……社会の二律背反とそのすり合わせをどのように調整させていくのか、あるいは机上を社会へとどのように燻蒸させていくかということが「英気を養う」「寄り道」がそれを接続させてくれたからではないかと考えています。

 現職でも同じなのですが、左前の地域拠点の再生事業に立ち会っていますが、その理想と現実をつなぎ合わせていくことを試みながら、その接着のオルタナティブになっているのが同じような光景であり、そこにデジャブを感じたのだと思います。

 そして当時のフィルム写真のアルバムを紐解くと、小田原市から下田市へと伸びる国道135号線とさぬき浜街道は同じような光景に思えてしまうのは、ちょっとしたデジャブですね。

 ということで、今回、使用したのは、2002年に発売されたニコンのCOOLPIX 3500です。

 発売当時のフレコミとしては次の通りです。
クールピクス 2500 の軽快な操作性とスタイリッシュなボディはそのままに、有効画素数を 3.2 メガピクセルにまで高めたクールピクス 3500。インナースイバルデザイン採用。ハイアングル・ローアングルでの撮影を始め、レンズ部を手前に向ければ自分撮りが手軽にできるほか、12 種類のシーンモードやスモールピクチャー機能など便利な機能が満載です。
(出典)製品情報

 では、簡単にスペックを紹介します。撮像素子は、3200万画素1/2.7型CCDのスイバルカメラでCOOLPIX2500の後継機になります。レンズは、35mmフィルムカメラ換算で37~111mmの3倍ズームでニッコールレンズを冠されているとおり、よく写ります。もちろん、そこには300万画素という限界や、撮影後のコンパクトフラッシュカードへの書き込み時間の遅さというものは否定できませんが、よく写りますね。

 ただ、使用感としては2500と同じですが、基本的な撮影がフルオートになってしまうことが(ホワイトバランスや露出補正はできますが)、ニコンらしくないと思ったりもします。加えて使いにくいのが、そしてこれも2500と同じですが、撮影し直すたびに、例えば、ノーフラッシュ設定なんかがリセットされてしまうのが使い難いのですが、文句を言い始めると霧がありませんので、2002年のコンパクトデジタルカメラとしてはいい線をいっていることは否定できません。

 ないものねだり

 という言葉がありますが、僕たちに必要とされるのは、道具と理想という「間」の創意工夫なのではないか……そんなことを改めて考えさせられてしまいました。

 尊敬する作家の村上春樹さんに従えば次の通りでしょうか。

 中学校の授業で教えられる知識やら技術やらが、現実生活でなにかの役にたつとはあまり思えないよ、たしかに。教師だって、ほとんどはろくでもない連中だ。それはわかる。でもいいかい、君は家出をするんだ。そうなれば、これから先学校に行く機会といってもたぶんそうないだろうし、教室で教わることは好きも嫌いもなくひとつ残らず、しっかりと頭の中に吸収しておいたほうがいいぜ。君はただの吸い取り紙になるんだ。なにを残してなにを捨てるかは、あとになってきめればいいんだからさ。
(出典)村上春樹『海辺のカフカ 上』新潮文庫、平成十七年、19-20頁。


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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。