見出し画像

一歩踏み出してみませんか?

保田 朋波流(やすだ ともはる)
広島大学大学院医系科学研究科 免疫学 教授

職業の紹介

私は現在広島大学で医学部の学部生や大学院の学生に免疫学を教えながら、研究室では免疫学の研究を行っています。免疫学というのは免疫細胞を中心とした生体防御の仕組みについて研究する学問ですが、免疫系は感染症やワクチンだけでなく自己免疫疾患やアレルギーに分類される多くの病気を引き起こします。さらには、がん、精神疾患、組織修復、不妊症など一見無関係に見える疾患とも深く関連する研究分野です。私の専門は「抗体をつくるB細胞」や「免疫反応を制御するT細胞」の研究ですが、研究で得られた知識や技術を上手に使って有効な治療方法がない病気を治療できるようにすることを目指しています。医学部の出身ではないので臨床に直接関わることはありませんが、医学研究や医学教育を通じて医療や学術に貢献する仕事です。

今の職業に就くと決めた時期は?

学部生の頃は基礎医学とは関係ない人工光合成の研究者を目指していました。それから細胞が不死化する仕組みに興味を持って癌細胞や老化細胞の研究をするうちに、免疫細胞の表面にある抗原受容体のシグナル伝達について研究するようになり、いつしか免疫学研究にのめり込みました。博士課程3年の時、子供ができて結婚することになったのをきっかけにアカデミアの研究者としてやっていくことを決めました。

今の職業に就くためにどう動いたか?就職に成功した秘訣は?

自身の研究の集大成として博士課程で学位をとり、その後はどこか民間企業で働くつもり...でした。博士課程は東京大学医科学研究所の山本雅先生の研究室で、在学中に関西医科大学の黒崎知博先生の研究室でしばらく研究させて頂くことになったのが私には転機になりました。黒崎先生はニューヨークのスローンケタリング癌センターから日本に戻られたばかりで米国スタイルの研究室でした。PI(研究室のリーダーのこと)の黒崎先生が複数のポスドクやテクニシャンを直接指導して1日を削り出すようにして最速で論文を発表する研究体制が敷かれていて全員がプロ意識をもって真剣に研究に取り組まれていたのがとても印象的でした。アマチュアの学生は研究の邪魔になるからお断りという方針でしたが、私の場合は特別に山本先生の取り計らいで研究を許されたのだと思います。そのようなラボなので追い返されないよう懸命に研究に取り組みました。博士課程1年目の夏頃に黒崎先生から将来研究者としてやっていくつもりかと聞かれました。「プロの研究者としてやっていけるかどうかは若いうちに成功体験を積めるかどうかで決まる。博士課程のうちにインパクトファクターが10以上の論文もだせないようなら、研究者になるのはきっぱり諦めた方がいい」というアドバイスで、確かにその通りかなと思いました。言われたボーダーを突破できなかったら研究者の道には進まないつもりでしたが、博士課程の3年目までにIF 16ぐらいの論文を筆頭著者で2つ、その他に共著論文を2つ発表でき、何とかやっていける手応えをつかみました。論文を出すまでの一連のプロセスを最初に学ばせて頂いたことで、自分一人でもなんとか論文を作成できる自信がついたのは大きかったと思います。新しく研究室を立ち上げることになった先生お二人から助教のお誘いを頂き、博士課程3年目に中退して論博で学位をとることにし、大学の助教というプロの研究者/指導者になる道を選びました。学生のうちにプロの研究者にもまれながら研究できたこと数年後の目標達成のために逆算して計画的に研究を進める癖がついたこと、そして自分の研究に関する論文を山ほど読んで必要な実験は何でもできるよう腕を磨いたのが良かったかなと思います。私が特に優秀なわけではありません。ただ、1) 研究を面白いと思って一生懸命にやること、2) 目の前にチャンスがあれば一歩踏み出してつかみにいくこと、3) 周りの人とのコミュニケーションスキルを磨くこと、の3つさえ心得ていれば誰でもうまくいくと思います。そしてこのことは研究に限らず全ての職業に通じるのではないでしょうか。

他の進路と比べて迷ったりしたか?

好きなことが仕事になるアカデミアで研究をすることに迷いはありませんでしたが、海外から帰国するタイミングについては迷ったというか、苦しみました。国内で研究室を持てる場所を求めていくつもアプライしましたがことごとくうまくいかない時期が続き、最終的にはあきらめて帰国してからPI職に再度応募する作戦に切り替えました。広島に戻って研究をしたいという気持ちはずっと強かったので、海外にいるころから広島大学の先生に連絡を取り、帰国する時は広大に顔を出して少しずつ自分のことを知ってもらう努力をしました。それからだいたい5年ぐらいかかりましたが、希望通り広大で教授職を得ることができました。研究の場合、自分が行きたいと思う研究室には必ずいけます。要は熱意と、時間がかかっても万全の準備をする心のゆとりをもつことだと思います。

生活の満足度、やりがい、夢は?

研究者の良いところは研究する腕さえあれば、世界中どこでも仕事ができることです。海外であれば交渉次第で破格の給料を得ることも可能です。今は昔のようにバリバリ実験、とはいかなくなりましたが、手が空いたら実験するのは楽しいものです。実家が近いので時々親の顔を見に行き、久しぶりに農業の手伝いもできるようになりました。野球、駅伝、サッカーなど地元のスポーツを生で観戦できるようになったことも広島に戻れた嬉しい点です。現在は研究だけでなく、医学部の学生教育も重要な業務です。科学的な感覚を備えた医師を育成するために、医学科4年次には全員学内外の研究室で4ヶ月の研究経験を積ませるプログラムを行なっています。2年次や3年次の学生であっても研究に興味さえあれば、研究室で受け入れてプロの研究者と一緒に研究させるようにしています。広島から世界中の研究室に若い研究者がたくさん羽ばたいて、びっくりするような研究成果が出てくる日を夢に見ています。

おわりに

私は研究分野の変更を躊躇せず、その時にやりたいと思ったことをやってきました。回り道をしたように思うかもしれませんが、全ての経験はどこかで生きていると思ってます。むしろこれが唯一無二の私のキャリアであり、皆さんも怖がらずに一歩踏み出してみたらきっと思いがけず素晴らしい世界に出会えると思います。皆さんの活躍を心から期待しています。


保田先生の研究室はこちらへ。UJAwebサイトに公開中の記事:「間違いの意味論」はこちらへ。

保田先生の記事をはじめとして情報盛りだくさんのUJA公式フリーマガジンGazetteの2号はこちらへ。
Gazetteは現在5号まで発行中です。バックナンバーはこちらへ。

他のキャリアパスにも興味がある方はUJAのwebサイト、キャリアセミナーのページへ。

ご自身のキャリア選択体験談をシェアしていただけるかたは、こちらまで、ご連絡をお願いいたします。

一般社団法人海外日本人研究者ネットワーク(UJA)の活動はこちらの協賛企業の皆様に支えられています。

国立研究開発法人科学技術振興機構 ロゴ

日本ジェネティクス ロゴ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?