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コンフォートゾーンからはみ出し続ける

東北大学 生命科学研究科 助教
別所-上原 奏子

はじめに

2017年に名古屋大学で博士号を取得し、1年間同じ研究室でポスドク、その後米国カリフォルニアにあるCarnegie Institutionで海外特別研究員として研究に従事したのち、2020年4月から現職である東北大学に赴任しました。私は植物の多様な形態に興味を持ち、その背景にある分子機構や進化の過程で植物がいつ・どのようにその機構を獲得したのかを明らかにしたいという目標を持って研究に従事しています。

研究者の道へ進んだきっかけ

この道に進むことを決めたのは高校2年生のときで、「バイオテクノロジー」という、なんだかかっこいい響きの技術を使って人の役に立つ植物を作りたいと考えました。そう考えた理由は深刻化する食料問題でした。食料問題の解決には人のカロリー供給の半分以上を占める植物(穀物)を研究するのが手っ取り早いと安直に考えたと記憶しています。また、海外に憧れを持っており、研究者になれば世界を股にかけて活動することができるという思いもありました。そのため高校生の時は、博士号を取ったあとは国連の食糧農業機関(FAO)のようなところで働きたいと漠然と考えていました。

しかし、学部4年生のときに配属された研究室で、環境に応じて形態を劇的に変化させるイネに魅了され、その背後にある分子機構やその特異的な能力の獲得に至る進化の道筋を解き明かしたいと思うようになりました。学会発表や他分野の研究者との交流、論文執筆等も好きだったので自然とアカデミアの研究者へと進路をシフトしていきました。


博士号取得、そしてアメリカへ

博士課程では、野生イネから栽培イネへと栽培化される過程で失われた「芒(のぎ)」という種子先端にできる突起状構造物に着目しました。芒がどの遺伝子によって作られるのか、どのような変異が原因遺伝子に入ることで野生イネでは機能的だったものが栽培イネでは機能しなくなったのかを明らかにし、学位を取得しました。イネの研究は非常に楽しく、野生種とはいえ栽培種とかけ合わせた系統がたくさんあり遺伝学が可能なこと、ゲノムデータも蓄積していて少しずつ形質転換もできるようになっていることから、そのまま在籍していれば安定して結果は出るだろうとも考えられました。指導教員のおかげでイネ研究者とのコネクションもたくさんあったため、それを生かさない手はないよとアドバイスされたこともあります。しかし、自分の研究の幅を広げたい!海外に出たい!という気持ちが強くあったため、JSPSの海外特別研究員に応募することを決めました。どうにか無事採択されカリフォルニアにあるCarnegie Institutionに移ることが決まった時には、嬉しさと不安がないまぜになった気持ちでした。

渡航先ではモデル植物のシロイヌナズナを用いて、タンパク質間相互作用を生化学的に同定するという研究をスタートさせました。しかし、シロイヌナズナを育てたこともなく生化学もほとんどやったことのない私にとって、渡航してから半年は文字通り四苦八苦する日々でした。それでも博識で協力的な研究所の仲間に支えられ、少しずつ研究を進めることができました。私のターゲット遺伝子は機能未知のものでしたが、予想通り植物の形態変化を引き起こすものであり、その相互作用因子も無事検出できたことから、研究者としてやっていけるかもとうっすら自信が芽生えました。

またCarnegie Institution Postdoctral Association (CIPA)という研究所のポスドク自治会のメンバーとなり、交流会や勉強会を主催したり、Carnegie Institution本部へ給料の値上げの要求書を送るなどの活動を行いました。自分たちで課題(研究課題ではなく実生活における支障や問題)を見つけ、決められたコースワーク以外のことを積極的に立ち上げていく姿勢に頭をガツンとやられたような衝撃を受けました。英語が苦手だから会議で発言できないのではなく、話す内容が頭の中に無いから言葉として発露できないのだと気づいて恥ずかしくなったのもこの時でした。研究と育児以外にCIPAとして活動することは正直大変なときもありましたが、このような活動を通じて自分がいかに普段ボーっと生きているかを目の当たりにして改善に努めるきっかけとなりましたし、アメリカと日本との文化や物事の捉え方の違いを肌で感じることができました。


日本の大学教員になるまで

私と夫(同じく生物系研究者)と息子、家族そろって渡米していたのですが、渡米後1年をすぎたあたりから二人目を考え始めました。しかし、私たちの住んでいたベイエリアは家賃や保育園の値段がだいたい月20万円(トータル40万円!!)かかるのでポスドク2人の給料で2人の子どもを養育することはなかなか厳しいと考え、日本に帰国することも視野に入れ始めていました。そんな折に縁あって現在の東北大のポストのことを知りました。夫も日本でしか採れない魚を研究対象としていたため日本に帰国するのはやぶさかではないということで、2人とも日本のポスト獲得のための就活を行い、書類、面接審査を経て現在の職に就くことができました。


ウェットだけでなくドライも?

現在は、昆虫が植物組織に産卵・摂食することで誘導される虫こぶの形成機構を解明すべく研究に従事しています。虫こぶを作るモデル植物はいないため、虫こぶを作る野外の宿主植物を使って虫こぶ形成のモデル系を立ち上げようと奮闘しているところです。また、現所属はバイオインフォマティクスを得意とするラボのため、周りはみんなドライの人ばかり。助教は一応先生なので、学生さんに教えられるくらいにはなりたい(し、自分も使えるようになりたい)というモチベーションのもと、慣れない手つきでターミナルを開いてコマンドラインと戯れる日々を送っています。

このような形で自分のこれまでを振り返ってみると、博士号取得後は常に「関係はあるけれども自分の専門から少し離れた分野」に身を置いていたなと気づきました。それをある人は「コンフォートゾーンから抜け出す」と表現していました。私は抜け出しきってはいないけれども常に片足はみ出すくらいに意識をして、自分のできる幅を広げるべく行動をしているようです。渡米、研究材料の変更、CIPAでの活動、ドライ解析への挑戦。どれも慣れるのには時間がかかり一足飛びに習得できるものではありませんでしたが、これらの経験は新雪が降り積もるように私の中にしんしんと降り積もり、割とどこでも生きていけるもんだという自信と楽観性を与えてくれました。

研究者としてのキャリアはスタートを切ったばかりのように感じますが、後輩も増え、教わるだけでなく人に教えることも増えてきたので、人生のステージは少しずつ変わっているようです。大学教員としての自覚を持ち、今後も一歩一歩地道にキャリアのステップアップを目指したいです。


おわりに

私はいつも周りの人にとても恵まれていると感じます。ラボメンバー、指導教員、友人、家族、共同研究者、、、本当にたくさんの方々にお世話になっています。コンフォートゾーンからはみ出すことは怖いし勇気がいるけれども、周囲の方々が背中を押してくれ、協力してくれているおかげで今の私があります。いつも本当にありがとうございます。

ここにつづったこと以外のこと(学振申請書の書き方、育児と仕事の両立、女性研究者関連など)も個人ホームページには書いているので興味があればご覧ください。また、一緒に虫こぶ形成の分子機構を研究してくれる仲間を募集しています!ご興味のある方は上記ホームページCVにあるメールアドレスまで。



別所-上原奏子さんのより詳しい記事「アメリカのインターンシップに学ぶ多様なキャリア」は、フリーマガジンGazette4号にてお読みいただけます!

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