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世界のアカデミアを歩む

華中農業大学・植物科学技術学院(中国)教授
津田賢一

はじめに

 2004年に博士の学位を北海道大学で取るまで札幌在住、2005-2011年アメリカ・ミネソタ大学でポスドク、2011-2019年ドイツ・マックスプランク植物育種学研究所でグループリーダー、2019年より中国・華中農業大学で教授。4カ国の経験とも4都市しか経験していないとも言える。自分の経験が誰かの参考になれば幸いだけど、役に立たない可能性は高いので読み物的に読んでもらえれば。

植物と遺伝子が好きだった

 興味が湧かない勉強と人の言うことを聞くのは苦手で小学生の時から授業さぼり(裏山で基地作りなどをしていた)の常習犯だったが、母親が買い与えてくれた窓ぎわのトットちゃんを読んで安心した。父親がよく見ていたNHKスペシャルに影響を受けたのか、遺伝子が生命を形作る源であるということに非常に興味があった。動物園より植物園の方が好きで、移動しない植物の中で何が起こっていて、遺伝子がどのように働いているかに思いを馳せるのが好きだった。高校1年の頃には植物の研究者になろうと思って大学の教科書などを読んでいた。企業で働くと人の言うことを聞かなければいけず、自分はお金を稼ぐことに興味がなかったので、研究者なら自分のやりたいことをやりたいようにやって生きられると想像していた。しかし、サッカーに明け暮れ、校内で麻雀をしては説教を受け、テストは赤点だが北大の入試は名前を書けば受かると思っていたたわけ者であった。情報不足と根拠のない自信は良くない。名前を書くだけでは受からず一浪した。情報収集と学習は大事であることを学んだ。

研究の基礎を学んだ

 大学時代遺伝子とは何か、DNA配列である遺伝子からRNAに転写され、タンパク質に翻訳され、そして細胞を形作っていくか、生命現象を分子レベルで理解するということに夢中になった。知れば知るほどにわかっていないということがわかった。疑問は自分で解き明かそうと大学院に進学した。植物を使ってDNAからRNAへの転写を研究しているところだった。思ったほどの成果は上げられなかったが研究の基礎を学んだ。

 企業への就職を一度も考えたことがなく、学位取得後は当然ポスドクをするものだと思っていが具体的に何も考えていなかった。指導教員に相談したらこう答えが返ってきた「君はアメリカ向きだし向こうの平均的ポスドクより優秀だからアメリカへ行きなさい」。これが「君はアメリカ向きだし向こうのポスドクより相当優秀だよ」に脳内変換され自信を得た。私は興味のあったアメリカの10の研究室の主宰者(植物ゲノム科学分野)にメールを送った。そのうち8人から丁寧な断りの返事があったが、諦められなかった私は特に興味があった4つの研究室に強引に押しかけて面接してもらった。渡米費用は大事にしていた本とスタートレックのDVDを売り払って捻出した。4つの面接で3つのオファーをもらえた。そのうち一番印象が良かった研究室の雇用1年契約を受け入れアメリカへ渡った。渡米直前に妻が貯金ゼロで将来不安定の私と結婚してくれた。諦めないということを学んだ。

植物・微生物相互作用にはまった

 ミネソタの冬は寒いからということで2005年春にミネソタへ渡った。ここで現在の研究の中心になっている植物と微生物の相互作用の研究を始めた。植物と微生物がそれぞれの分子を交換し時には戦い、時には助け合う。しかも植物と微生物が数千万年、数億年もかけて共進化している証拠がはっきりとお互いのゲノムDNAに刻まれている。この植物と微生物の相互作用の研究にはまった。当初1年契約だったのが契約更新を話し合うこともなく(暢気なもんだが契約は更新してくれていた)結局6年半在籍した。自分のやりたい研究をし、アメリカの広大な大地とダイナミックな環境を大いに満喫していた。

 ポスドク6年目にさしかかる頃、隣の研究室の教授が興奮しながら一枚の紙を見せてくれた。それはドイツ・ケルンにあるマックスプランク植物育種学研究所の独立研究グループリーダーの募集要項だった。世界最高峰の研究機関である。そんなところに自分が雇われるはずがないと言った私に彼女はこう言った「これは貴方のための募集よ。チャンスを逃してはいけない」。練習のつもりでと応募したら面接に来るように連絡が来た。著名な研究者に自分の研究を聞いてもらえる良い機会くらいのつもりで面接を受けたら面接の3日後にオファーが来てびっくりした。面接に呼ばれた時点でドイツ語の勉強を始めた妻の努力が無駄にならなくて幸いだった。挑戦しなければ何も起こらないという原理を学んだ。

研究室を運営

 2011年12月にドイツ・ケルンへ渡った。紛う事なき夢の研究機関だった。周囲は植物の研究では誰もが知っている憧れの研究者達。彼らと日常的に議論をし研究を進めるのは純粋な快楽だった。研究費に悩まされることもなく、優秀な部下が集まり、研究室運営も上手くいき、成果も上がった。自分が本当に研究したいことをしたいように出来、まさにドリームジョブであった。この間に子供が3人生まれ、子育てと研究に没頭し7年くらい脇目もふらず突っ走った。

 マックスプランクのグループリーダーは外に出ることを推奨され、テニュアが出るのは例外で、5年契約、その後2年毎の更新が通常。自分の場合内々には何年と区切ることはしないけど、良いオファーを貰って出て行ってねと言われていた。2018年の9月に中国・武漢にある華中農業大学で行われた国際会議に呼ばれて発表する機会があった。発表が終わって壇上を降りると、その国際会議の主催者である中国人教授が近寄ってきて、ちょっと話さないかと声をかけられた。私の趣味は中国古典や古代中国の歴史であり、三国志の武将の話などで大いに盛り上がった。うちに来たらいいじゃない?と声をかけられたが冗談だと思った。翌日、うちに来ないか?と再び切り出された。今度は冗談ではなさそうだが社交辞令だと思っていた。その翌日、これが君のポジションで、家で、給料で、研究費で、福利厚生だ。私の妻のポジションも用意し、子供の学校も任せておけ、うちの大学に来て欲しいというオファーをもらった。急展開の三顧の礼だ。諸葛亮孔明が草廬を出たのもわかる。これに心を動かされなければおかしい。ただ私には当時孔明にはいなかった妻子がいた。即座には立たず数ヶ月家族会議を行った。

 華中農業大学から毎週のように連絡が来ていたが決断を下せずにいた。家族が生活と子供の教育(武漢には日本人学校はない。英語のインターは武漢に複数あるが、子供達は日本語とドイツ語が出来るが英語は出来ない)を心配しているという話をすると、家族全員を武漢に招待してくれた。住居、大型スーパー、研究所を見せてくれ、付属幼稚園、付属小・中学校とインターを案内してくれた。とうとう妻のOKが出た。学会には積極的に出て発表するのが吉ということを学んだ。

風の吹くままに

 2019年9月に家族そろって赴任した。バタバタと住居、研究室のセットアップなどをしているうちにそう、新型コロナウイルス騒動が始まった。あれよあれよといううちに東京に匹敵する1100万人都市である武漢が都市封鎖された。中国や日本を含めた世界のニュースでは武漢は死の街であり1100万人を犠牲にという悲壮が漂っていたが、品薄ではあれどスーパーは開いていたし、いざとなればその辺に生えている野菜や木の実を食べればいい。大学は魚が釣れる湖に囲まれてるし、農地の近くには鶏が歩いているのを見たこともあったし、牛の鳴き声が聞こえてきたこともあった。日本の友人達からマスクや食料などの救援物資がたくさん送られてきた。持つべきものは友人であることを学んだ。

 武漢は100近い大学があり人口の10%ほどは学生という学園都市だ。街の中心部などは日本の大都市と変わらない中に昭和の佇まいが混在している感じ。華中農業大学は国家重点大学に指定されている総合大学で特に植物科学や農学の研究が盛んである。湖に囲まれており、その中に講義棟や研究所が建ち並び、研究農地があり、学生・教員の住居地区があり、付属幼稚園・小学校・中学校がある。スーパーやコンビニもあり、大学の食堂が10以上あり、多くのレストランやショップが建ち並ぶ商店街のような場所もある。まるで城郭都市のようだ。中国ではオンラインショッピングが便利で大学の外に出る必要性はほとんどない。武漢の物価は日本の半分程度である。研究設備は日本や欧米と変わりはなく研究費は日本よりも潤沢である(人による)。何でも出来る、どこまでも上っていける期待感は魅力的だ。政治を除けば自由度はかなり高い国でもある。中国版アメリカンドリームが確かに感じられる。他人に良くも悪くも気を遣わず、多様性が高く、出る杭は打つのではなく伸ばす文化は私にとって心地よい。

さいごに

 順風満帆な人生ではないが私はかなり楽観的に人生を歩んできた。正直自分のキャリアについて深く考えたことはない。自分のやりたい研究をやりたいようにやっていたらこうなっていた。日本で生まれ育ち、アメリカ、ドイツ、中国のアカデミアを歩んでいるが、自分は今までの人生において本当に人に恵まれた。名前を挙げられないほど様々な場所で様々な人にお世話になった。この場を借りて感謝したい。人生や研究は一人では成立しない。人との出会いや繋がりを大事にすることは普遍的に重要だと思う。

 私は植物が好きだ。植物の中で遺伝情報がどうやって発現し、外的な環境変化に対応しているかが知りたい。植物は自然界で様々なストレスを受ける。物理ストレスだったり生物ストレスだったりする。動かない植物がどのようにこういったストレスに分子レベルで対処しているのかがわからない(生命現象は結局は分子の絡み合いで動いている)。だから知りたい。誰も教えてくれないし、調べてもわからないから自分で研究する。面白いことに微生物は植物にとって病気を引き起こす敵でありながら、植物の生存に必須な存在でもある。植物がこの味方と敵をどう見分け、敵を排除し、味方を手なずけているのか。この仕組みが解明されれば農業への応用も大いに期待される。植物の生長を助ける微生物を使った農業革命だ。華中農業大学津田研究チームでは修士・博士課程の学生、博士研究員、准教授、教授を募集している。興味のある方はtsuda@mail.hzau.edu.cnまで連絡されたい。津田ラボホームページhttp://www.plantimmunity.cn/

略歴

1994年 札幌南高校卒業
1999年 北海道大学理学部生物科学科卒
2001年 北海道大学大学院地球環境科学研究科 修士
2004年 北海道大学大学院地球環境科学研究科 博士
2005-2011 アメリカ・ミネソタ大学 ポスドク研究員
2011-2019 ドイツ・マックスプランク植物育種学研究所 グループリーダー
2019-現在 中国・華中農業大学 植物科学技術学院 教授


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