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ハイリスクなキャリアパスを辿った研究者の例

京都大学 ヒト生物学高等研究拠点(ASHBi) 特定准教授
井上詞貴

留学以前

1979年に生まれ、東京多摩地方で平々凡々に育ち、埼玉大学で博士号を得ました。分子生物学に興味を持ったのは、高校時代に利根川進と立花隆の対談書「精神と物質」をたまたま読み、「こんな世界もあるんだなぁ」と感じた所以です。大学生時代はドーキンスに傾倒し、形態形成や進化のように複雑な現象も分子から説明できることを知りました。そうして学位取得後、神戸理研CDB、相澤慎一先生に師事し、4年半ほどポスドク研究を行いました。脊椎動物の前方脳を規定するOtx2という遺伝子の転写がどのように制御されているのか、マウスを使った発生遺伝学的方法や、DNAとタンパク質の相互作用を見る生化学的手法で解析しました。それなりに綺麗な仕事ができたのですが、発生学よりもDNAやゲノムそのものに興味が向いたことと、自分は日本では芽が出ないという直感(裏を返せばアメリカでは認められるという根拠なき自信)があったため、2012年、留学することにしました。

UCSFへの留学

留学先を選ぶにあたっては1. 住んで楽しいところ(長期戦を覚悟して)、2. 駆け出しの若いボス(なるべく近くから学べる)、3. 自分を必要としてくれる(必要とされる仕事の方が楽しい)、という基準を自分の中に持ちました。1ヶ所だけ応募した先の、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)Nadav Ahituv研究室にポスドクとして採用されました。Ahituv研究室は、今でこそポスドク・院生を十数人抱え、数百万ドル規模の研究費を獲得するビッグラボですが、当時はまだ独立後数年の若いラボで、私はNadavの4人目のポスドクでした。上記の基準が奏功したのか、ただ運が良かったのか、素晴らしい師に出会うことができ、良い研究をすることができました。遺伝子発現制御シスエレメントの大規模機能解析を可能とする新規技術lentiMPRAの開発から、細胞分化、進化、疾患研究への応用など、多岐にわたる研究を行いました。たくさんの共同研究にも関わり、著名な研究者と仕事をする機会も与えてもらいました。あまりに楽しい留学生活で、結局8年間も居座ることになりました。

日本で職探し2017

J1ビザが切れる2017年に、試しに一度、日本で職探しをしてみることにしました。子供が生まれて2歳になり、不安定な状況にさすがに“焦り”が出るタイミングでした。やったことは、JREC-INで募集があった数件の公募に必要書類を送るのみで、何か特別なことをしたわけではありません。当時Genome Research 1報、レビュー論文1報と、アカデミアで独立するには厳しい業績でしたので、応募した某国立大学、某大学院大学にはけんもほろろでした。一方、東京の某製薬企業には面接に呼ばれ(面接した研究所長、研究員の方々は素晴らしく、有意義な面接でした)、オファーも頂いたのですが、どうも“自分を必要としてくれる”と感じられず。ボスに相談すると、「H-1ビザも出すし給料も上げるから行かないでくれ」と言われ、残ることにしました。安定した職に就くより、たとえ短期間でも必要としてくれる場所にいることの方が、私にとっては絶対的に重要なことでした。

日本で職探し2019-20

その後3年でCell/Natureの姉妹誌に3報、その他共著2報と十分な業績が上げられ、UCSFでやるべきことはやりつくした感もあり、本格的にキャリアアップを図ることにしました。アメリカで独立するという選択肢も考えましたが、生活事務や研究費申請などを第2言語でやるというのはどうしても律速であり、自分のポテンシャルを100%使って勝負するためには日本に帰国する方が良いだろう、と思い至りました。しかし、やりたい研究を好きなようにやらせてもらえるポジションを日本で見つけるのは簡単ではありません。

応募書類を書くのも苦ですから、多少時間がかかったとしても、本当に自分にマッチする募集にだけ応募する方針にしました。そんなタイミングで、京都大学、ヒト生物学高等研究拠点(ASHBi)、Guillaume BourqueグループがCo-PI(准主任研究者)を募集していたのは幸運でしかありませんでした。PIであるBourque教授自身はカナダのマギル大学でドライ(バイオインフォマティクス)研究を中心にしたラボを持つ一方、ASHBiではウェット(実験)を中心とした研究を独立して行えるCo-PIを必要としているとのことでした。

何より、話してみればBourque教授は素晴らしい人格者であることがわかり、良い関係が築けると思いました。私のUCSFでの仕事も評価され、採用して頂きました。2020年7月に着任して1年弱(2021年5月本稿執筆時点)経過し、Covid19による制限も多々ありましたが、ASHBiの仲間のおかげもあり、ようやく“軌道”が見えてきました(まだ乗れてはいません…)。

キャリアパスで重要なこと

私のキャリア観は、若いPIの下で長期留学、職探しも数件のみ、というようにたいへんリスキーですので、決しておすすめできるやり方ではありません。何かひとつでも不運があれば、例えばPIのお金が切れるとか、ひどいレビュアーにあたるとか、健康を害するとか、そういったことあれば簡単に破綻していたと思います。ただキャリアパスとは「終わりよければ全てよし」という質のものではなく、「過程」が重要なのだと思っています。つまり、キャリアの中で何を学び、楽しみ、誰と繋がり、必要とされ、どんな人生の糧を得るか、これらは最終到達点がどうであれ決して失われるものではなく、必ず評価されるものです。ですから、あまり先の事を考えてリスクを避けるよりも、目の前にあるキャリアパスそのものを楽しみ充実させることこそが肝要なのだと思います。


現所属のASHBiは時限付きのプログラムですから、私のキャリアパスもまだまだ先行き不透明ですが、新しい学問領域に挑戦するまたとない機会を頂いているので、有意義に楽しみたいと思っています。


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