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桜の代償【長編ミステリー】#2

灰色のぶ厚い雨雲の上には澄み切った青空が広がっている。そんな当たり前の事でも、実際大人になってその事実を知るまでは嘘だと思っていた。大人になった今でもそう。真実を知らなければ人間は無知なままつまらない一生を送ることになるだろう。
だが、この世には知らなければよかったと思うことも存在することを忘れてはいけない。





未だ薄暗い早朝から世界を包む厚い雲と視界を阻むけたたましいほどに降り続く雨はまるでそこにある現実を覆い隠そうとしているようだった。
いつものように愛車のクロスバイクに跨り、クランクのカチカチという軽快な音を弾ませながら警視庁へといつもの時間に出勤し仕事を始める。これが私のモーニングルーティン。だったのだが、この日だけはそうもいかなかった。何故なら、早朝から2件の事件発生。それもどちらも殺人らしい。
一件目の現場は、被害者は身元不明の女性、年齢はおそらく20代前後。発見時、オフィスビルが立ち並び、営業や通勤のサラリーマンが多いいわゆるオフィス街の一角で様々な事務所が入る雑居ビルの間を抜けた裏路地で今回の被害者は発見された。死因は失血死らしいが、遺体に大きな外傷は見られず、死因究明のため遺体は司法解剖へ回された。遺体を運ぶ際、不自然に固まった右手の平に違和感を覚えた鑑識が手を開くと、皮膚の中に無理やり縫い付けたような形で例の100円玉が発見された。年代は63年ものだったらしい。
そして私と警部補が向かった二件目の現場。朝早くから呼び出された私と直接現場に訪れた警部補はブルーシートに覆い隠された遺体を見て現実を疑った。

「え、、、この人昨日の、、、」
「先走りやがって、、馬鹿野郎、、、」
殺害された遺体の身元は、いつ昨日実に数時間前まで生きてラーメンを目の前で作ってくれたあのラーメン屋の主人だった。



現場は都心郊外に建てられている集合住宅の敷地内に設置されている公衆電話ボックス。今では滅多に見る影も薄くなってしまった旧時代の産物に、一人の遺体が発見された。目立った外傷はなく、なんらかの毒物による中毒死と判明。第一発見者は同じくこの集合住宅に住む30代のサラリーマンで、話によれば毎日帰宅する際に必ずこの電話ボックスの前を通らなければいけないらしく、発見時、午前5時頃いつものように帰宅する途中に電話ボックスの中で倒れている被害者を発見、何度かの呼びかけにも答えず不審に思い警察に通報したとこのこと。

「死亡推定時刻は、午前3時から4時の間。毒物での犯行ということもあり、服用はもっと前の午後8時から10時までの間と考えられます。」
検視官が現場に到着した二人に淡々と説明していく中で他の捜査官と纏う空気感が明らかに異なる二人の心はざわついていた。つい数時間前には確かに生きていた男の突然の死、共にラーメン屋の主人の娘が殺された事件の解決を約束した仲間がまた新たな悪意によってこの世を去ったことへの怒り。そして何より、刑事として、一人の人間として、身近な人間一人も守れないという己への自己嫌悪だった。
遺体が運ばれていく最中、警部補は被害者が持っていた遺留品の一つ、黒革の古びた手帳を眺めていた。使い古されたその手帳は一目見ただけで年代物とわかるぐらい皺が酷く、所々革が剥がれてしまうほどの傷がついていた。ペラペラと何かを探すようにめくっていくと、1ページだけ不自然に破かれた跡のある箇所があった。

「あいつには情報屋として最後の仕事を頼んでいた。それは俺にもあいつにもそしてお前にも関係する。」
「私にも?」
「この事件、おそらくだがあいつの娘が殺害された女性無差別殺人と関係がある。」


今回、2件連続で例の殺人事件が発生し遂に100円玉は昭和から平成へと時代を移した。これまでの死者は合計22人目となった。
一切の証拠もなく、犯人の手がかりすら見つからない。まるで煙を掴むような姿の見えない殺人鬼に捜査一課も頭を抱えていた。メディアではマスコミがどこから手に入れた情報なのか警察がこの殺人事件に何も進展がない事を表に大々的に報道。ネット上では警察への批判や一部の危険思想を持ち合わせるネットユーザーで殺人鬼を支持するコミュニティを構築し、情報を共有するサイトまで立ち上がった。
三度行われた捜査会議では今までの犯行の傾向や100円玉の入手先、その他細部至るまで調べ尽くし数少ない手に入れた情報を共有するが、正直どれも既に懐にある情報ばかりで進捗のない私たち部下に上官も苛立ちを隠せない。一昔前の刑事ドラマだと今以上の怒号と灰皿なんかも飛んできそうな雰囲気。かくいう私の隣で話を聞く警部補も先程から貧乏ゆすりが止まらない。
だがここで私は一つ警部補に対して疑問が浮かぶ。
ラーメン屋主人の遺留品にあった手帳。その一部が不自然に破かれていたのを見て警部補は言っていた。

【この事件はあの無差別殺人と関係がある。】
この事を報告すれば多少なりとも事件は進展するのではないのか?そう思ってならなかった。

捜査会議を終えて本庁から太陽照りつける日の元で自販機の横に設置されている喫煙所で私はふと聞いてみた。
「さっきの捜査会議、なんであれ言わなかったんですか?」
「あ?あれってなんのことだ?」珍しく電子タバコではなくメンソールの効いた普通のタバコに火をつけ咥えながら半ばきょとんとした表情で言った。
「なにって手帳の破れたページを見て言ってたじゃないですか?」内容を聞くと思い出したかのように何度も頷き、胸ポケットから例の手帳を取り出した。しかしこれは刑事としてはやってはいけないことである。証拠、つまり証拠物件と呼ばれるものだが、取り扱いについては警視庁で規則があり、原則証拠物件を個人的に保管してはならない。なお、証拠物件は仮にも被害者の持ち物であるため早急な還付をすること。損失や変形などが起きた場合は管理責任を問われる。
私はすぐさま周りに人がいない事を確認し、思わず直属の上司である警部補に攻め寄った。
「それ規則違反ですよ!バレたら謹慎ものですよ!」
「バレなきゃいいんだよ。それに、捜査するのにこいつは必要なんだ」飄々とした顔でそう言うが、警察という組織に所属しているものとしてあるまじき行為をしているのも事実である。内心ヒヤヒヤしているが、警部補は昔からこういう人、こういうやり方となまじ呆れも混じりつつ飲み込むしかないと私はため息をつきながら思った。
「この際もういいですけど、それが必要ってどういう意味か詳しく教えてください」すると警部補は手帳の最初の1ページ開いてみせた。

【塩、めんま、ネギ少なめ、麺バリカタ、、、】

するとそこには捜査の情報というよりはラーメンの仕込みや味などの感想めいたものが書かれてあるだけだった。ラーメン屋の主人と知っている私からしてみればこれはたたのレシピノート。とても事件を解く手がかりになるとは到底思えない。
「これはあいつ独自の隠語だ。もし万が一こいつの中身を見られても大丈夫なようにな」隠語とは、秘密や言葉の意味を組織外の人間に知られないよう別の言葉に置き換えて使う専門用語のこと。例えば刑事ドラマでよく聞くマルガイとは【被害者】を差し、日常だと天ぷら屋や寿司屋で具材の事を【ネタ】というように、その言葉の意味を知っていなければわからない専門用語の事を隠語と呼ぶ。
これが隠語だと言うならばこのラーメンのレシピらしき並びの言葉の裏にはまた別の意味が存在することになる。しかし、このままでは警部補以外この言葉の意味をすることができない。私は隣でタバコを吸う警部補に横目で視線を合わせ、無言の要求を訴える。
部下の気持ちの悪いその視線にため息をつくと、胸ポケットからもう一冊自分用の手帳を取り出しペンで何かを書き始めた。ものの数秒何かを書いた後、そのページを破り私に手渡した。そこにはこの隠語の答え合わせがわかりやすいようイコールで書かれてあった。

塩=可能性は薄い 
醤油=可能性は半分 
豚骨=可能性はかなり高い


「とりあえずこれだけでも分かればお前も多少は読めるだろ」確かに手帳に書かれてある殆どには教えてもらった三つの言葉が記されていたが、読めば読むほどラーメンのレシピにしか見えなくなり、結局手帳の解読は一番詳しい警部補に任せることにした。人の潜在意識とは一度刷り込まれるとなかなかどうして振り払えなくなってしまうのだろう。
私たちは手帳と破かれたページの解読をするべく、始まりの場所と言える過去の事件。あの女性無差別事件の最初の現場に向かった。


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