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雨の日の縁

月曜日。寝不足。低気圧。
5月最後の休日が明けて、起きた瞬間から、雨のにおいに包まれた。暑がりなので、ゴールデンウィーク頃から窓は基本的に開けっぱなし。まとわりつくような空気の重さ。

雨は好き。
と言ってみたいのだけれど、基本的に好きではないです。特に春夏の雨は(夏という季節も好きじゃない)。

理由はたくさんあって、子どもの頃から、湿気でうねってぺたんこになって広がる癖毛を心から憎んできたこと、ものすごい湿度で水槽の中にいるんじゃないかと感じられるくらい、物理的に息が苦しくなること、晴れの日よりエネルギーを使うからか、もわーっとして頭が冴えないし視界も鈍ること、電車で感じる生身の人間の臭いが一層強くなり胸焼けすること、荷物が増えること、ひとつの行動にいつもより時間がかかること、etc.それらにより1日が投げやりなってしまう。
自宅から目的地に到着した時点で、髪の毛は崩れているし、空気の重さに疲れ果て、体調も万全ではなくなっているので、そうなるともう、やる気は消え失せ、不快感を耐え凌ぎ、やり過ごして家に帰り着くことがその日のミッションになる。

ただひとつ、このミッションをクリアする負担を少しだけ軽くする術があるとすれば、それは、開き直って、梅雨入り、朝から雨、という状況に浸って、酔ってしまうこと。

『言の葉の庭』という作品に、学生の頃出会った。そう、今ではすっかり著名なアニメーション映画監督、新海誠の、あの作品。でもその頃は、この45分のショートムービーを知っている人は私の周りにはほとんどいなかった。だから何で私がこの作品に辿り着くことができたのか、全く覚えていないけれど、とにかく、ひとまわり、私の世界を広げてくれた作品のひとつ。

切り取られる雨の都会の風景、初夏の風物たち、光、音、がほんとうに綺麗で、匂いまで感覚として伝わってくる。雨に打たれたアスファルトから立ち込める匂い、新宿御苑の濃密な緑の匂い、飲食店の路地裏のすえた臭い。生きにくさを抱える2人の主人公の日常と非日常が繊細なピアノの伴奏で流れていく。
声優さんは、入野自由、花澤香菜と磐石で、この2人の綺麗な声が作中でずっと雨を肯定しているので、雨、いいかも、といっそう思わされる。
凄まじいのはやっぱりラストで、最後に花澤香菜さん演じる雪野先生が、感情を吐き出して泣き出すシーン。何度見ても揺さぶられるし、クライマックスの天候の描写と、秦基博の『Rain』が、美。

私は、新海誠監督本人が書いた同名の小説も大好きで、小説を読むと、なお一層、映画の45分という長さの意味、凄さを実感する。
小説と映画、同時進行で制作されたそうなのだけど、小説では、登場人物たちのバックグラウンドの詳細までしっかり描き込まれていて、映画では、そういった細部はばっさりカットされ、ストーリーの美しい部分を凝縮して、登場人物の心象と自然と街の風景を魅せている。何度見ても惚れ惚れする。徹底的に、映像という媒体の利を生かす編集が成されていて、今でこそショート動画全盛期だけど、その教科書になるんじゃないかってくらい。

映画化された小説は100%小説の方が面白くて、それが分かっているから映画見なくてもいいやと思ってしまうし、映画が先の小説は、映画を文字で説明しているだけで何の面白みもない、という私の偏見にまみれた持論を覆された作品なのです。

毎年梅雨入りの季節になると、とてつもなくこの作品が恋しくなる。じめじめじめじめ、もがきたくなるような不快さに、ひとつの救いを求めるような気持ちで、朝、電車を降りて、傘をさして、Spotifyで『Rain』を流す。
映画の美しい部分を追うように、少しでもあの世界に近づいて楽になれたら、そんな気持ちで、浸る、ことができたらいいけど、新海誠監督の作品は一般的に言う、「イタい」側面もあって、私はそれもいいところだと思うけど、なかなかどっぷり嵌るのは恥ずかしい、と思いながら、でも恋しくて、通勤電車の中でスマホで映画を流す。

前半で散々雨天の嫌いなところばかり上げ連ねたけれど、でも嫌いばかりではなくて、些細な好きもちゃんとある。

いくらでも寝坊できる休日の朝、ふと目覚めて、窓の外のしとしとという雨音を聞いている時の浮遊感。部屋に干した洗濯物の柔軟剤の匂いと、雨の匂いが混じった空気。この時は間違いなく脳から何らかの快楽物質が出ていると思う。

快適な室内で嵐を眺めるのも好きだ。
暴風雨、唸る木々、風の音、加えてお腹の底がすすくすくするような低くて深い雷の音(雷の音を聴く時も何らかの脳内快楽物質が出ていると思う)。日常あまり意識できない自然の音をこれでもかと体感できて、予測できない、だけど安全は保証されている、ほどよいスリルに晒されて。
それに、休日なのに部屋から出ないという罪悪感を感じなくて済むのもいい。晴れの日は、外に出て活動する真っ当な人たちと比べてつい自己肯定感が下がってしまうけど、悪天候の日は外出を避けることが普通になるから。雨のしとしとを聞きながら本を読みとてもいい気分になる。

こんな雨の日の良さを認識できるようになったのも、『言の葉の庭』のおかげかもしれない。

今のところこれが、雨を乗り切るささやかなよすが。

(完)


写真も趣味です
@4tree_photo

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