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夢は大きく持とうという考え方

社会人になると現実を知ってしまって自らの認識している世界の中で生きている人が大勢いると思う。私もその一人だった。

たなかです。

夢は大きく持とうよと言う人はあなたの周りにどれくらいいるだろうか。おそらくそんなに多くないはずだ。最も言える人間が少ないだと思う。

『言える』ということはその人が経験している、もしくは知っていることが前提になって出てくる言葉なので社会人でいうやつはとんでもなく素晴らしい人だと私は思う。

ある仕事の支援先で出会った課長の話だ。

「君は何になりたい?夢は大きく語ってもバチはあたらない。」

恥ずかしかった。

支援期間が終わり、もうすぐで満了という時期に差し掛かったころ、報告書をまとめて発表した。内容自体は先輩社員のレビューのかいがあって、満足してもらえたようだった。

しかし、それはそれでつまらないものになってしまったようだ。

レビューに重なるレビューでとがった岩が丸くなってしまった感は否めない。だが、それを差し引いても課長の言葉は刺さった。

自分が何も考えていなかったからだ。

自分がどうありたいかなんて今まで明確に考えたことはなかったし、答えも持っていなかった。

今の若者は夢を語らないのだろうか。個人ではなく大きい集合体のせいにして人生から逃げ出したい。そんな気持ちに襲われた。

「俺が君くらいの時は海外で社長になるみたいなこと言ってたよ」

課長、夢が大きすぎである。

しかし、漠然と解き放たれた課長の言葉は私を楽にしてくれた。

大きすぎていいけど、小さすぎるとダメ

当てはまるかわからないけど、そんな言葉がよく似合う。小さい頃は夢ばかり見ていたが、次第に現実を知って社会の枠組みの中で収まろうとする。夢を見るのは勝手だ、なんでも大きいほうがいいに決まっているのだ。今も心に残っている。

良い人に出会うと良い経験をする。人に恵まれているなあと感じる、2年前の出来事であった。

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