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手帳を書くことを趣味にすると、人生が面白くなる

こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。

11月が半分おわりました。今年も残りあと1.5ヶ月ですって、信じられますか??(私は信じられなすぎる)(どうしたら1日が長くなるか日々考えているよ)(時間は平等)

そんなこと言ってても時は巻き戻らないので、巻き戻せるものならいくらでも巻き戻したいけども、とりあえずあと1.5ヶ月でできることをできるだけやろうと思います。

だんだんと今年の振り返りなんかもしていきたいのだけど、改めて「手帳を書くことを趣味にすると人生毎日2ミリずつ面白くなるなぁ〜」と思いました。

2ミリってささやかだと思うけど、5日で1センチ、1ヶ月で6センチも面白みがupしてる訳だから1年たてばもう72センチだよ??すごくない?(何の話)

で、そんな風に思った理由を今日はお話ししたいと思います。

私は何かを語る時すぐに「人生」とか言いがちで、すごい壮大なスケールに感じてしまう方もいるかもしれないけれど、今日の積み重ねがつまりは「人生」なので、今日を極力一生懸命生きたいと思っている私にとっては日々の出来事がすべて人生なのです。

一つの出来事を3回味わえる

金沢旅行のページ

例えば趣味が旅行の方は、いろんな場所へ行くことそのものを楽しんだり、色んなものを見て感じることで価値観が広がったり

「旅行中」の時間を楽しむのが基本だと思います。

でもそこに「手帳を書く」という趣味がプラスされると、

・手帳に旅行先の調べ物や移動についてメモする
・旅のしおりページを作る
・旅の途中で手帳に絵を描く
・旅で出会った素材(パンフレットやレシート)を集める
・手帳に貼る用の写真を撮る
・帰ってから振り返りページを書く
・旅の素材たちを貼る
・旅からしばらく経ってから手帳を読み返してにやにやする

などなど、様々な楽しみ方がプラスされます。

紙もの集め

旅の時間を楽しむだけでなく、その前後の未来と過去まで楽しみ尽くせる。

だからひとたび旅行に行こうと決めようもんならもうしばらくはわくわくしっぱなしです。

行く前も楽しいし、行ってる時はもちろん楽しいし、なんなら終わってからが一番楽しい説もある。終わりなき楽しみ。

自分の本音に気づける

私はInstagramでよく手帳の写真をアップしてます。

ほぼ日デビューしたと同時にインスタも始めたので、2015年くらいからずーっと同じことをしてて(もちろん写真のクオリティは時代と画質とともに変化している)(iPhoneの進化すご)

過去に遡ってもずーっと手帳。

別に手帳アカウントと個人アカウントを分けてる訳でもないし、普通にリアルな友達もお仕事を共にしていた方々も、お会いしたことのない方々もごちゃ混ぜな世界です。

でも自分の好きなことが手帳だったから手帳の写真を通して日常を表現するようになり、いつの間にか数年続けてました。

でも最近「こんなに同じことばかりしていて良いのか?」「もっと発信っぽいことをした方が良いのではないか?」「画像作り込んで手帳めくリエーターっぽいことしなきゃ!」と急に思い、数ヶ月もやついてました。

画像作り込んだり、発信に力を入れたり。

そういうことを「しなきゃ」と思ってました。

でも、「しなきゃ」って「〜しなくてはならない」ってことで、「〜しなくてはならない」の裏側には「ま、したくないけど」が潜んでます。

本音

だから実はそういう発信っぽいことを自分はしたい訳ではないんだ、と手帳に本音を書いていて気づきました。

そもそもインスタに写真をあげることを「発信」と思ってないし、手帳術をもっている訳ではないので「〇〇な方法!」とか書くのも違うし

そういう「わかりやすい発信」は私っぽくないことに、手帳のおかげでやっと気づけた。

そうそう、そもそも私の手帳はとってもわかりにくいのです。どこに何が書いてあるか検索しにくいし、スキマが少ないから話題の切れ目もわかりにくいし、どこに何書いたかわけわからんくなる。

でもそのごちゃごちゃ感が好きで、楽しくて、わくわくして、情報を探すために手帳をめくるのも好き。手帳めくリエーターだもの。

だからインスタもそんな「わかりにくさ」「整理されてない不器用さ」「ちょっとしたダサさ」を大切に、これからも飽きずに同じことをし続けようと思います。

見てくれてる方がいるから、続けられるのだ。本当にありがとうございます。

誰が見てくれてるのか、見てないふりして結構見てるよ。(こわ)(インスタフォローせずに見てるひとかなりいるからこちらがフォローしてるかどうかは大切ではない)

なんか知らんけど出かけたくなる

これは手帳関係ないのかもしれないけど笑

とにかく私は暇さえあればいろいろな場所へ出かけて「感性磨き」的なことをし続けてます。

感性磨きとは、とにかくいろいろな場所へ出かけたり、普段してないことをしたり、意識的に感性、感覚、感情を揺さぶる出来事を自らの意志で創り出す行動のことです。(ながっ)

行動っていうと大げさに聞こえるけど、「思う→する」を続ければもうそれで良い。

あ、ここ行きたい→いつ行くか決めて手帳の候補日に付箋ぺたり→行く→記録する

ということを毎日のようにしています。

こんなことしてるから手帳書く時間が永遠に足りなくて1日48時間ほしいとか言い出すんだけど、だって行きたいところや見たいものが多すぎるんだもの。

「疲れちゃうからやめとこうかな」という考えもたまにあるけど、「疲れた」をあまり言わなくなってから疲れることが減って、むしろ逆に疲れたくてお散歩しまくってるのでついついいろいろ行ってしまうのだ。。。

楽しいことを書く時間は楽しい

そして記録する。

記録したくて行ってる、みたいな時ももはやあって、ライブのチケットとか美術館のチケットがQRコードに変わっていく時代が切なくてたまりません。紙をくれ紙を!!紙がほしいんじゃ!!

レシートも、ご入用ですか?と聞くことなく「あっした〜」(ありがとうございました〜って言ってるんだと思うけどあっした〜にしか聞こえない時あるよね)

っていらないの当たり前なテンションでバイバイされるのも切ないよ。紙をくれ紙を!!手帳に貼るんじゃ!!

出かけて記録する、を続けてると、ほんとに嘘みたいに毎日面白くなります。当たり前だよね、好きなことして生きてるのであればそりゃ楽しいよね。

ただ楽しいというより、何でも楽しもうとするメンタルが生まれてくる、とでも言おうか。

もちろん行く場所があるような地域に住むとか、金銭的な余裕とかも関係してくる楽しみ方ではるけど、正直「お散歩して気づいたことをメモしていく」みたいな遊び方ならゼロ円で田舎でもできる。

手帳を書くことで自分の捉え方や受け取り方が変わってきて、些細なことでも楽しめるようになってきたんだと思います。

日常を愛でる

もちろんどこかに出かけた日だけが面白いって訳でもなくて、手帳は何気ない日々を楽しめるツールでもあります。

どこにも行かなくて家でゴロゴロしてたとしても、頭の中で旅をしてたり心がジェットコースターだったり、何もない日なんて絶対にないので

そのささやかな、誰に言うでもない気づきたちを、自分に「今日こんなことあったね〜」って話しかけるテンションで書きます。

そういうことを続けてると、自然と面白くなってゆくのだ。それが「日々を愛でる」ということなのだと思う。

(みたいな話はZINE「日々を愛でる、私の手帳」にてつらつらと書いています。)

そんなことを思った日でした。
読んでくれた人、ありがとう!!!

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