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北海道の道東と中国山地をつなげてみたら面白すぎる人たちにたくさん出会えた件②(廣岡俊光)

始まりました。『会いたい人に会いに行く』中国山地旅。その②です~。

<旅の仲間たち>
〇 中西拓郎 くん(ドット道東代表理事、北見在住)
〇 小松輝 くん(ドット道東理事、浦幌在住、ハハハホステル運営)

ちなみにその①はこちらです。


■ 宿がそこにある意味

初日に宿泊したのが、島根県益田市 MASCOS HOTEL です。

上層階には自家源泉の温泉『益田温泉』も完備されたホテルなのですが、こちらの宿、ただものではありません。ホテル公式から一部抜粋。

MASCOS HOTELは、 地域に寄り添いながら、単なる宿泊施設にとどまらず、新しいカルチャーを発信する拠点となることを目的とした、島根県益田市発のライフスタイルホテルであると同時に、空間デザインやインテリア、器、ファブリックなどすべてにおいて、窯元や家具職人、縫製メーカーなどの、地場産業と共同で開発することにこだわりぬいた、新感覚の「クラフトホテル」です。随所にちりばめられた職人たちの意匠と、ホテルという枠にとらわれない、スタッフサービスや町とのつながりを、ぜひご堪能ください。
MASCOS HOTEL 

島根県はいわゆる旧国名(北海道にいると意識しない概念ですが、道外ではいまだにヒト・モノ・カネの動きや、文化などに依然影響している)でいうと、県庁所在地の松江(人口約20万人)出雲(約17万人)などがふくまれる県東部の『出雲』と、県西部の浜田(約5万人)益田(約4万人)などが含まれる『石見』そして『隠岐』の3つに分かれています。

ガイドブックなどを見ると、どれも出雲エリアについてはかなり手厚く紹介していますが、石見エリアとなると、2007年に世界遺産に登録された『石見銀山』には触れられているものの、それ以外は一気に情報が見えなくなるのが現実です。

MASCOS HOTELは、その石見の文化や風土を泊まりながら感じてもらうことをコンセプトにした“クラフトホテル”。空間の快適性はもちろん、そこにいるだけでメッセージを感じる様々な演出には感動すら覚えました。

さらに小耳に挟んだところによると・・・益田市内にとあるビジネスホテルが建設されることになった際に「自分たちのホテルを作る!」という地元の人々の熱い思いで作りあげた・・・と。都会に富を吸い上げられるのを黙ってみているのではなく、自分たちで立ち上がり回していく。地元の気骨やプライドを感じる動きです。


■ KASOという言葉

夜。フラっと歩いて益田の繁華街にある『酒場ノンペ』へ。大人気のお店を、今回の旅のコーディネーター田中輝美さんが予約してくれました。(田中さんについて詳しくはその①参照)

こちらで提供されているのが益田発のクラフトビール、その名も『過疎ビール』です。

島根県益田市は過疎発祥の地。昭和44年、匹見町(現・益田市)の町長が国会で初めて過疎という言葉を使ったことが、そのゆえんです。

過疎=KASOは「人が減っていく」それに伴って「さまざまな機能がなくなっていく」というネガティブな面のみを表す言葉ではなく、日本最速で芽生えたこの土地の個性、ここで生きる人々のカルチャーをしめす言葉として再解釈されているように感じます。

石見・島根・日本海の美味しい食べ物、さらに地酒を中心とした日本酒の揃えがとにかくすごくて(本当にすごかったです・・・!)しみじみ酔い店でした。もっともっとゆっくりして、ディープな部分をのぞいてみたくなった益田の夜なのでした。


■ 益田のまちを歩いてみた

翌朝。

デデン!!!

戦国武将風。

SNSにも使えるフォトスポットも備えた Cafe moritaniさん。老舗の果物店がフルリノベしたフルーツ専門店&フルーツパーラー。

益田駅至近という立地から、果物以外にも地元の特産品なども置かれているアンテナショップ的な役割も果たしている、とても気持ちのよい空間でした。

デデン!!!

お昼ごはんは田吾作さん。こちらはわたしにとって非常に感慨深い店です。大学時代からハマっている、趣味の居酒屋巡り。その本当に初期のころに「日本一の居酒屋は、島根県益田市にある田吾作」と耳にして以来、約20年間ずーーーっと憧れていた場所なのです。

ランチの田吾作定食
名物イカ刺し
必然の差しつ差されつ。

昼も大満足の田吾作さん。夜はこの何十倍もすごいらしいので、今度はかならず夜にお邪魔したいーー!!


■ ユタラボの人づくり、場づくり

田吾作ランチからご一緒させていただいたのが、一般社団法人『ゆたかな暮らしラボラトリー』ユタラボ代表の檜垣賢一さんです。

「過疎」という言葉発祥のまち 島根県益田市で、上は北海道、下は沖縄からのほぼ20代のIターン者13名の仲間と共に、「一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー(通称 ユタラボ)」という人材育成の会社を運営している。「社会教育」に重点を置いた私設公民館のような団体で、幸せの価値観が多様化する現代だからこそ、「豊かな暮らしを、すべてのひとに」をビジョンに、どう生きるか=「ライフキャリア」を考えて、体現できる機会を世代と地域を超えて届けている。具体的には、学校教育と連携したふるさと教育、企業での新規採用職員研修、子どもと大人のサードプレイス提供、移住支援などと幅広く、ひとづくり・まちづくり事業を運営している。
出前授業 講師のご紹介より

ユタラボのオフィスは、益田駅のある中心部からは少し離れた旧市街地にありました。なぜこの場所?

その理由は「2つの高校のすぐそばかつ真ん中だから」。学生たちにとって、自宅と学校、自宅と職場以外の居場所(サードプレイス)の選択肢でありたいという思いからなんです。実際にこの日も学校帰りに立ち寄り、ゲームで盛り上がる学生たちの姿がありました。定期的にさまざまなイベントも開催されています。

こんな場所が近くにあったら、高校生の自分なら絶対立ち寄ってたよなぁ。バリスタ常駐という贅沢すぎるカウンターは、若い社会人たちにとっては「スナックのような悩み相談の場になってます」と檜垣さんは笑います。

“ひとづくり”にも積極的に関わっているユタラボ。益田市の若手社会人の横のつながり作り、地域活動への貢献から、子どもと大人の交流・地域活動、情報発信、さらには移住者支援までつなげる。『益田モデル』が回り始めていました。

移住者支援は日本中のローカルが向き合っている課題ですが、これを単品ではなくて、地元の若者のつながり作りを基点にしてグルっと構築しているのは、すごく大事な視点だと感じます。

檜垣さん自身がIターンでここ益田に移住してきて、生活するなかで実感したこと、体感したことがユタラボの活動のベースにある強さを感じます。そして、それに共感した20代の皆さんが次々とチームに加わり、市内のさまざまな集落に住み、まちの人と相互交流しながら生活する。働く。つながる。地域コミュニティの作り方として、本当に刺激になる取り組みです。

檜垣さん、ユタラボの皆さんありがとうございました。いろんな思いで胸をいっぱいにして、益田市をあとにした私たち。

日本海沿いに1時間ほど走った浜田市で、今回の旅をコーディネートして下さったてるみさんと合流です。私自身「はじめまして!」なのですが、これまでオンラインを通じて交流させてもらってきたので、まったくそんな気持ちがしなくて、なんとはじめましての写真がありません!すいません!笑

ここからは、てるみさんの運転する車で。次なる目的地は・・・えっ、広島!?


■ ハチドリ舎が問いかけるもの

<ユタラボ→浜田市→ハチドリ舎 所要時間:2時間21分>

浜田から広島まで=日本海から瀬戸内海まで、1時間ちょっとで移動できることに正直驚き・・・!Social Book Cafe ハチドリ舎に到着です。

ハチドリ(想いを持つ人)がつどい、つながれる、
社会のことを気軽に語り合えるカフェ。

私たちは社会で起こるできごとに無関心ではいられても、
無関係ではいられません。

これからの社会を生き抜く大切な知恵を身につけられるよう、
講演・映画の上映会・お話会・音楽イベントなどを開催。

本棚には、社会課題を知るきっかけとなってくれる本が並び、
ハチドリの樹の元にあるチラシ棚では、イベント情報を発信受信できます。

広島県産材をつかった小上がりや、椅子、本棚などの内装、珈琲カップや座布団まで、
ハチドリ舎は手づくりでつくっています。

つくる楽しさ、自ら行動する大切さを、
ランチセットは皆さん自身でカスタマイズできます。
珈琲もミルで挽くところからドリップまで。

ハチドリ舎は未完成。
みなさんといつくっていくことを楽しみたいと思っています。

ぜひ一緒に!
ハチドリ舎 ABOUT より

この場所を主宰している店主・安彦恵里香さん

「もうちょっと優しい社会にしたくて」安彦さんがハチドリ舎を開いたのは2017年。カフェとして、ワークショップやトークイベントの場として。壁に貼られているイベントカレンダーは毎日埋まっていて、ダブルヘッダーは当たり前。1日3つのイベントが開催されることもあるそうです。

実は、ここで製本された『みんなでつくる中国山地 No.003』とみんな初めてのご対面となりました。

てるみさんと同じく事務局を務める森田一平さん

発売日を翌日でしたが、会員のひとりとして嬉しいフラゲ!よっしゃー!手に取ったときのズシリとした重たさは、この本に関わっている人たちの思いの塊だなぁと、感慨深いものがありました。

ハチドリ舎では中国新聞社・専務取締役の北村浩司さん、記者の田中謙太郎さんとの出会いもありました。そしてお昼に続いてここでもまたいただいてしまいました。だって未知なる酒、浄酎なんて置いてあるんですもん。

平和記念公園、原爆ドームのすぐそば。どうしたって「ここにある意味」を感じずにはいられない、逃れられないと言ってもいい場所。一方で『広島・HIROSHIMA』『平和・PEACE』を決して記号化しない。使い勝手のいいことばにしない。私たちは日々考え続けなくてはいけないですね。

広島はわたしの生まれ故郷。もう住んでいた家があるわけでも、親戚が住んでいるわけでもないけれど、ずっと心のどこかで思い続ける、心のどこかにあり続ける街。それが私にとっての広島でした。それが少し前に進んだような気がする。ハチドリ舎。帰ってきたい場所ができました。

~続く~


その③はこちら!