頭の中の不快な疲労感。でも、一度で何度も美味しい私の人生。
久々にやってきたフラッシュバック。
どうにか嵐の通り過ぎるのを待っていられるようになった。
でもコントロール不能に陥るのは、何度経験しても気持ちのいいものではない。
記憶回路の混乱状態は、たぶん脳ミソに大きな負担がかかるのだろうと思う。
嵐が通り過ぎたあとも、頭の中の不快さはしばらく続くし、
なにより頭の中の疲労感が半端ない。
急な運動後の鈍い筋肉痛が、脳ミソで起きてるような感じかな。
自分の頭の中がどんな状態か、常にモニターしている。
スッキリしているか
靄がかかっているか
どんより重いか
判断を委ねてだいじょうぶな状態か
無理をしてだいじょうぶそうか
休ませる必要があるか
自分の脳ミソのどの部分で、自分の脳ミソをモニターしてるかなんて
自分でもわからない。わかるはずもない。
でも、無理をすれば脳みそがフリーズしてしまうことを知ってるから
とにかく観察は欠かせない。
LEDのように明るかったかと思えば、突然なんの前触れもなく
昭和の豆電球のように頭の中が暗くなり、ブレーカーが落ちる。
私の抱えている病気は双極性障害(躁うつ病)。
自分の脳ミソの不快さを、もう少しうまく表現できるようになりたいなと思う。
今日はもうあまりエネルギーが残っていないので、
早めに文章を切り上げなくちゃ。
頭の中がどんよりと重い一日だった。
そんなときは漏れなく体もひどく重い。
フラッシュバックの起きたあとはしばらく不快感が続くから、
諦めるしかない。
フラッシュバックは、私にいろいろなことを思い出させる。
当たり前だけど。
もう思い出すことは怖くはなくなった。
でも、思い出すことの痛みは変わらず続く。
夕方、ぼんやりと目が覚めて、「でも」と思った。
そうやって何度も何度も自分の人生を反芻することで、
私は何度も何度も自分の人生を再体験して、
何度も何度も自分の人生を楽しめているのかもしれない!
苦しかったから、よけいに強く刻まれている。
だから、簡単に思い出せる。
今はまだ思い出すことに痛みを伴うけど、
自分の人生をありありと、何度も再体験できるなんて
ある意味幸せなことかもしれない!
そう思ったら、なんだかちょっと嬉しくなった。
で、起きて公園に桜を撮りに行こう!と思えた。
五十肩の痛みに顔をしかめながらスマホをかざしていると、
車の通り過ぎる音。
たぶんパトカー。
スマホから目を外したときに確認してみると、やはりパトカー。
生まれつきの目の悪さがあるからなのか、音にはけっこう敏感。
すぐそばに警察署があるのでパトカーを見かけるのは珍しくない。
髪もボサボサで、見るからによれよれの怪しい格好だけど、
必死に桜の花にスマホ向けているおばさんには興味無さそう。
署内にある道場は窓が開け放たれてるようで、
剣道の練習の声が大きく響いてくる。
夕焼け空がキレイ。
桜を撮るのだけで精一杯だけど、
せっかくなので家に向かいながら何枚か夕焼け空を撮ってみた。
スマホ画面の中に違和感。なんだろう?
あ!外灯の灯りがゆっくりと明るくなっているんだ。
その灯りがスマホ画面の中の「?」だった。
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