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いつかの私からいつかの私へ


基本的に絵心というものを持ち合わせていない。

今日は気持ちもどんよりしてウツウツとして、さらには体調も冴えずほとんど動けなかった。
ちょっと気分転換になったりしないかなと、お絵描きアプリみたいなもので自分の気持ちを色に表してみたりした。

今の自分の気持ちを色で表せたらいいのにな、とよく思う。
でも、自分の気持ちを色に表すって、思った以上に難しい。
(もともと超絶アナログ人間で、アプリも全然使いこなせないということもあるのだけど)

前回のnoteで母のことについて書いた。
母について書くのもラクではない。恨みつらみばかりが溢れ出してきてしまうから。
書きながら、すごく重い気分になってしまった。

重い気分に沈んだけど、やっぱり書けてよかったと思う。

自分の苦しさを掘り起こして文章という形にすると、(それが恐ろしく拙いものでも)その作業そのものが結果的に自分にとってのひとつの『区切り』のような意味合いを持つことがある。
私にとってのプチ儀式。

前回、母のことについて書いたので今回は父について書くつもりだった。 
書くことで、もしかしたら自分の気持ちが少し前向きになれたら嬉しいなと思って。

でも、なかなかペンが進まなかった。(正確にはタッチペン)

途中までどうにか書いたものの、あまりにもひどい気分に落ちてしまいそれ以上書けなくなった。
どうにもならないひどい気分の落ち込み。体までおかしくなった。

このままだと本格的な鬱に落ちてしまうと思って書くのをやめた。
そして途中まで書いていた下書きを削除した。

どれほど私の中で父についての気持ちの整理ができていないか、思い知らされた。

どうしてよそのおじさんではなかったんだろう。
よそのおじさんだったら、たとえどんなきひどい人間であろうと、そう気にすることもなく、そう嫌いになることもなくいられたのに。
ときおり関わることがあったとしても平穏な関係でいられただろうに。

なぜ親子なんだろう。
なぜ親子を続けなくちゃならないんだろう。
なぜ親子は縁を切ることができないんだろう。
なんの因果だろう。

もし他人だったら、父もこれほどまでに娘から恨まれることもなく、もっと平穏に人生を終えていくことができただろうに。

詳しい人物像を書かなければ、父がどういう人物だか提示することができないのだけど、今はまだ父のことを文章として残す気になれない。

もうかなり長い年月を私はすぐそばで父のことを見てきたのだけど、いまだに正体がわからない。
いったいナニモノなんだろう?

なぜ、家族を傷つけ苦しめることでしか生きられないのだろう?
なぜ、あれほど卑怯な姿を堂々と晒せるのだろう?

何十年と父のそばにいるけど、私には理解ができない。

家族の苦しむ姿は父にとっての喜びなのだろうか?

問うても何も返っては来ない。

俺は家族を大事にしてきた、と父は本気で思っているし、そう言い張る。

自分にとっての都合の悪いことは、都合よく瞬時に記憶を書き換える。

現実のすり替えが天才的にうまい。

自分にとっての都合の悪いことは、都合よく人のせいにする。

それを人懐っこい笑顔と巧みな言葉で人に吹聴してまわるから、話を聞いた人は父の話を信じてしまう。

人格が乖離しているのだろうか?

いろんなことを考えるけど、なんにも答えは出ない。

脳科学の本も何冊も読んだ。
でもやっぱり父のことはさっぱりわからない。

なぜ、私はあんな父のもとに生まれて来なくてはならなかったのだろう。 
なぜ、あの父が私の父なのだろう。

解けるはずもない問いが頭の中でぐるぐると渦を巻く。

メンタリストDaiGoさんのYouTubeだったか、
ネガティブコミュニケーションがいかに周りの人間のやる気を損なっていくかという話を聞いた。

まるで私の父の話。

弱い者を前にすると、力づくで抑え込むことしかできない人間。

うまく進んでいる案件を、わざわざ引っかき回してぶっ壊してしまう。
そうしてうまくいかなかった場合、都合よく人のせいにする。

なぜあんな卑怯な人間が存在するのだろう?
たぶん答えは見つからないのだけど、「なぜ」は頭の中に収まり切れないほど次から次へと沸き起こる。

あ。結局父のことを文章に残してしまっている。
今は書いていても、さほど気分は悪くならないのでだいじょうぶなよう。

父のような人間を間近で見ることがなかったら、父のような人間が存在することを私は信じられなかっただろうと思う。

父のような人間を間近で見ることがなかったら、私は危うく世の中に悪い人なんていないはずと信じて疑わなかったかもしれない。

父のような人間を間近で見ることがなかったら、人間関係に悩む人に私は「よく話し合えば理解しあえるはずですよ」なんてとんでもないアドバイスをしてしまったかもしれない。

結果的に、父は私に『社会』というものを教えてくれたのかもしれない。

そこはとても理不尽な場所。
悲しいけど、人と人が簡単に傷つけあう場所。
理解できないことばかりがたくさん存在する場所。

父から学んだことは、けっこう大きいのかもしれない。

でも、だからといって父を好きにはなれないし、大目に見ることも歩み寄ることも私にはできない。

父を理解できず、また父を好きになれないことで私はひどく苦しんできた。

でも、長いこと自分なりに全力で父と闘ってきて、ようやくあきらめがついた。

私には理解できない。好きにもなれない。いい関係を築くなんて、無理。

そうあきらめたら、少し気がラクになった。

少し気はラクになったのだけど、それでも父と顔を突き合わせる生活は今後も続く。
日々の生活の中で父に振り回される場面も多いし、気持ちが爆発して自分をコントロールできなくなることもまだまだある。

私自身が病気を抱えて一人での生活が難しいこともあるのだけど、要介護となり身動きの不自由になった母を置いて家を出ることも難しい。

恐ろしいほど元気だけど、現実的に父がかなりの高齢者となってくれたことが私にとってのホッとする要素。
どんなに父が元気だとしても、まだあと何十年も父との生活が続くわけではない。
そんなことを気持ちの逃げ場にするしかない。

自分の親が長生きしませんように、と本気で願わなければならないというのは正直とても悲しい。
残りの時間が長いというのは、残念ながら私には耐えられない。

ときどき本気で「早く死んでくれないか」と願う。
誰にひどく「親不孝」と罵られたとしても、そう願うしかないことが現実としてある。

長い期間をかけて積まれてきた私の痛みは、やっぱり私にしかわからない。

状況が改善されて父との関係が穏やかになるという奇跡が絶対に起こらないとは言えないけど、期待するほうがむなしいだろうなと思う。

私にとっては母との関係が穏やかになったことだけでも信じられない奇跡なのだけど。
また奇跡が起きたりするだろうか?
やっぱりあまり期待するのはやめよう。

前回noteでも触れたけど、私自身の中に「母親的」な部分が形成されてから、母との関係はとてもスムーズになった。
母に母親の役割を求めなくても、自分自身の中に「母親」の役割を担ってくれる部分ができたので、アテにならない母に依存しなくて済む。
苦しさを感じたときには、その自分の中の母親に登場してもらえばいい。

目の前の現実の母は、相変わらず私にとってはそれほど頼れる存在でもないし安心感を与えてくれる存在でもない。
でもそのことをあまり苦痛に感じなくて済むようになった。

心理的な母は自分の中にいる。
なので、現実としての体を持つ母がどういう状況でも、そう振り回されずに済む。

心理的な父親も、何かの方法で自分の中に形成できたりするものだろうか?
それは今の私にはまったくわからない。

私の中に形成された心理的な母の存在がもっと強化されれば、父に振り回されることも少なくなるのだろうか?

まだまだ私にとっての難問は続く。

私にとっての難問がこれから先どんなふうに変遷していくのか、せっかくなのでしっかり観察して記録していこう。

世の中的には小さな小さな取るに足らない難問だけど、私にとっては大きすぎるし荷の重すぎる難問。
解けずに終わってしまうかもしれないけど。

こんなに悩み苦しんでいる日々も、もしかしたらいつの日か懐かしく思い出されたりするものなのかもしれない。

最近、過去の苦しかった気持ちがふと噴き出して、日記帳に思い出した苦しさをたくさん書き殴った。
そして、今の私から過去の私へたくさん言葉をかけてあげている。

「ごめんね。苦しい気持ちに気付いてあげられなくてごめんね。一人ぼっちにしてしまってごめんね。置き去りにしてしまってごめんね。だいじょうぶだよ。ずっとそばにいるよ。心配しなくていいよ。」と。
そんな作業を続けていたら、トラウマからずいぶんと解放された。

置き去りにしてぐちゃぐちゃに絡まっていた自分の気持ちが、ずいぶんと解れて穏やかになってきた。

今、まだまだ目の前の父のことで気持ちはぐちゃぐちゃに絡まっているけれど、それもこれから先何かによって少しずつ解れていくものなのかもしれない。

ずっと先の私が今の私を笑って見ているかもしれない。時間はかかるかもしれないけれど。

だいじょうぶだよ、心配しなくていいよ、と。
何年か先の私が今日の私に声をかけてくれているかもしれない。

笑顔で見守っているはずの未来の私を信じよう。

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