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儀式として。それぞれの始まりのさよなら。

母親ってつくづく面倒くさい生き物だな、と思う。
私の母も。そして私自身も。

理屈では説明のつかない、ドロドロした何かを孕んだ生き物。

子どもを産み育てるまで、そんな母親の心理が私にわかるはずもなかった。

「子どもを産まないと女性として一人前になれない」なんて
これっぽっちも思わない。
産んだか産んでないかは、全く関係ない。
精神的に自立しているかどうかと、出産の経験は関係ない。

ただ、「経験したことのない」苦しさを知るのは難しい。

産んで育てることがどれほど精神的に苦しい作業か、
経験することで私も知ることができた。

自分の両親との関係が難しかった私には、子育てはよけいに難しく感じられた。

自分の両親が私にとっての精神的な拠りどころではなかったことで、
私自身はずっと迷子のような状態で生きてきた。

どこにも自分の居場所がない。

そんな私は、無意識に子どもに執着し依存することで
かろうじてこの世に繋がっていることができた。

とにかく全身によけいな力ばかりが入りまくった状態での子育てだった。

子どもが窒息しそうなのも、知っていた。
知っていたけど、どうしていいのかわからず生きてきた。

子どもの手を放してしまったら、脆い自分がバラバラに砕け散ってしまう。
そんな恐怖を抱えて生きてきた。

私がただ私として存在していい、そんなふうには思えなかった。

本来なら、子どもがいようがいまいが、
そんなことに関係なく、私はこの世に存在していいはず。
でも、どうしてもそんなふうには思えなかった。

自分という「存在」に全く自身が持てなかった。
この世にいていいと思えなかった。
この世にいたいとも思えなかった。

いよいよもう、子どもの手放さないといけないときがきたなぁと思う。
寂しいような…、どこかホッとするような。

母子共依存で生きてきた私は、少し前に「母と決別する」と決めた。
私の人生の中でも、とてもとても大きな出来事だった。
現実的にサヨナラするのではなく、精神的な作業。
それなのに、耐えがたい強い痛みが体を貫いた。
自分の体がズタズタに引き裂かれそうだった。

子離れするのも、そんな痛みが走るのかな。
まだよくわからないけど。

でもそれほど怖がっていない。
子どもの手を離して一人になることを。
怖がっていないのが不思議。

「儀式」って大事だと思う。
そこでなにかしら「気持ち」に区切りが付く。

私の場合は「書く」ことが「儀式」みたいなものになる。

なので、やっぱり書くことにした。
自分の気持ちに区切りを付けるために。

さよなら。

これまで私をこの世に繋ぎ止めてくれて、本当にありがとう。
もう、だいじょうぶだよ。
少し胸がきゅ~っとするけど、これくらいは平気。

あなたの手を握り締めてなくても、私は生きていける。

私はこのまま進んでいくよ。
自分の人生を楽しむよ。

あなたの人生はあなたに任せた。
私の手を思い切りふりほどいてだいじょうぶだよ。

私は私の人生を私らしく生き抜くよ。

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