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なぜ私は死にたかったのだろう。なぜ私は死にたくなくなったのだろう。

ふと強烈に死にたくなってしまう。
そんな衝動に苦しんでいた頃のことを、もうあまり思い出せなくなっている。

本当にそんなに苦しんだ過去が私にあったっけ?確かにあったはずなのに。
不思議なほどに記憶が薄まっている。
思い出してももうそれほど胸がぎゅうううっと痛くなることもない。
そんなこともあったっけ?あったはずだよね?というぼんやりとした記憶になっている。

過去記事にも書いたけど、私は本気で幼いわが子を道連れにしようとした。
わが子に大きな心の傷を負わせてしまった。

わが子に対して忘れたくても忘れることのできないそんな大きな負い目があるから、私はかろうじて自分の記憶を完全に忘れ去らずにいられる。

日頃は思い出すことの少なくなった過去。

誰かの悲しいニュースをきっかけに仕舞い込んだ箱の中から記憶を取り出して振り返ってみることになる。
今年はやけにそんなことが多い。

今振り返ってみても私は恐ろしく苦しい状況の中にいた。
自分一人ではどうにもならない問題をたくさんたくさん抱え込んでいたし、誰かに助けを求める気力さえも残っていなかった。
それでも、どうしてあれほど自分が死にたかったのか、今でもよくわからない。

それでも一つ、大きな要因だろうと自分で思い当たることがある。
それは、私が自分の苦しい気持ちを人にさらけ出したり、自分の弱さを人に見せたりすることがとても怖かったこと。

とても「人目」を恐れて生きていた。
人からどう思われるか、人からどう評価されてしまうか、常にそれをすごく気にしてバリアを張っていた。
とても息苦しかった。
常に気が抜けない。常に何かを気にしている。

根っこには母との関係が絡んでいたと思う。
優等生で生きてきた母は、当たり前のように娘の私にも優等生を求めた。
たぶん母自身にはそんな自覚が全くない。自分はいつも娘のことを認めていたと言うだろう。

母の機嫌を損なうのはとても簡単。
母の気に入らない言動をする。母の気に入らない成績を取る。
いとも簡単に母は機嫌を損ねる。

私は悲しいことに人一倍敏感な子だった。
母の不機嫌は何より怖かった。
怖いから、母のご機嫌がよくなるように無意識に先取りして動く。
自然とそんな技が身に付いた。
母のご機嫌を損ねずにいたほうが「平和」だから。

母のほうは、たぶん無意識に「自分が不機嫌でいれば娘が思い通りに動く」と学んでいる。
「常に不機嫌でいることで娘をコントロールしよう」と無意識に思っている。
母にとっては、常に眉間にシワを寄せて不機嫌でいるのが当たり前。
たぶん、何も考えていない。無意識にそうしている。
そうしていれば、何も言わずとも娘が勝手に動く。とてもラク。
身に付いたそんなラクな習慣に母が疑問を抱くはずはないし、やめることなんてあり得ない。

私は「自分」という部分を殺して、「母の気に入る娘」を無意識に演じるようになっていたんだと思う。
そこに疑問を抱く隙間さえなく、それが私にとっての当たり前となっていたんだと思う。

人に弱みを見せない私。
常に「何も問題など抱えていません」と無意識に演じられる私。

悲しいかな。
今でも私は人に会うと、自分がどんなに苦しい状態でも「何も問題はありません。だいじょうぶです。」という私をスッと演じてしまう。無意識にそう演じてしまう。
自動的にスイッチが入ってしまう。
長年慣れている習慣なので、どうしても抜けない。

たぶん人は私の負の部分を知らない。
日頃の私がどれほど疲れ切っているか、日頃の私がどれほど体調が悪くて不機嫌な顔をしているか、知る人はとても少ない。

私にとっての「当たり前の私」を、私はどうしても人に見せられない。

直接には人に見せることのできない負の部分を、私は書くことで周りの人に伝えてきた。
手紙だったり、LINEやメールだったり、SNSだったり…。

そうやって少しずつ伝えていくことで、日頃の苦しみもがいている弱い私のことを知ってくれる人が増えてきたし、そちらの「負の私」を当たり前のように捉えてくれる人が少しずつ増えてきた。
そうしてようやく、私は少しずつ無理をせずに済むようになってきた。

無理をして「なんでもないフリ」「だいじょうぶなフリ」をしていた頃は、本当に苦しかった。

「だいじょうぶなフリ」を演じられることで救われることもある。
妙な心配をされたり、妙な詮索をされずに済む。

でも、だいじょうぶなフリをしない「素」の私でいられる時間を確保しておかないと、常にだいじょうぶな私を演じていれば自分が破綻してしまうのは当たり前だなと思う。

今は極力、「そのときの素の自分」を大事にするようにしている。
年を重ねたことも大きいかもしれない。
無理して演じなくていいし、演じないことで人に何か思われてもそれはそれでいいと思えるようになった。

「素」の私をさらけ出すことで誰かに嫌われたり、誰かが私から離れていったりするなら、それはそれで仕方ない。

根っこがビビリの私は、誰かに嫌われることがとても怖い。

でも、それよりも素の自分に蓋をして、仮面の自分を演じることのほうが何倍も苦しかった。
そのことに気づけたから、「人にどう思われるか」よりも、そのときの素の私を大事にしたいと思えるようになった。

私と会ったことのある人は、私がこんなに暗い文章を書いていることに違和感を持つかもしれない。

いつも笑顔の人。いつも明るい人。いつも目の前の人を楽しませてくれる人。
そんなふうに私のことを見ている人も多いかもしれない。
そんな私も、たぶん嘘の私ではない。ある意味、私の一部。

noteでは、いつも私の負の部分、暗い部分を思い切り書かせてもらっている。
そうやって思う存分安心して、自分自身の「膿」を吐き出させてもらっているおかげで、私はどうにか精神のバランスを保ていられている。

心からnoteに感謝。

本気で死にたがっていた私。
今はずいぶんと記憶が薄くなってしまっているけど、確かに私は死にたがっていた。
何度も本気で死のうとした。

薄れていく過去に蓋をしようとは思わないし、人に伏せようとも思わない。
人に知られてもかまわないし、なかった過去にしようとも思わない。

あまり面識のない人にこちらからペラペラ喋る必要もないけど、隠すつもりもない。
これから先も話したいと思ったら話すし、書きたいと思ったら書くつもり。

今、強く思うのは、死ななくてよかったということ。

どうにか踏ん張ってこられて本当によかった。
いろんな状況が私を生かしてくれた。私は本当にラッキーだったと思う。

自分で命を断った人を「ダメな人」だなんて全く思わない。
踏ん張って生きて来られた私が、命を断った人よりも偉いなんて全く思わない。

自分で命を断った人は、「生きている」状況に終止符を打たなければならないほどの何かを抱えていたのだろうと推察する。
本人の中に抱える何かなのか、外的な要因なのか、それは他人に知り得ることはできない。

何にしても、終止符を打つことはラクではない。
それは想像も及ばない膨大なエネルギーが必要だったはず。

その膨大なエネルギーは、できれば「生きる」ことを選択するためのエネルギー、「生き延びる方法を探す」ためのエネルギーとして使われ欲しかった。
それは、どうにか生きてこられた私の願いかもしれない。

今の私は不思議なほどに死にたくない。
自分の人生がまだまだ何十年も続くといいなぁと本気で思っている。

いろいろある。相変わらず家の中は問題だらけ。
ブチ切れて感情のコントロールの効かなくなることも多々ある。
鬱に落ちて全く起き上がれずに何もできない数週間を過ごすこともある。
鬱の不快さは、やっぱり表現するのが難しい。

それでも、そんな日々を私は心から楽しんでいるし、私のこんなおかしな人生がまだまだ長く続くといいなと心から願っている。

永遠の命が欲しいとは思わないけど、人生の終わりはなるべく先のほうにやってくるといいなと思う。

死にたがっていた頃の私は、まさか自分がこんなに人生を楽しんで生きているなんて想像もできなかった。
苦しいことも多いけど、些細なことで笑える。
何にもできなかったけど、私なりにがんばった一日だったよねと思って一日を終えられる。

死ななくてよかったと心から思う。

今、こんなに自分の人生を楽しんでいる私のことを知らずに死んでいたら、すごくもったいなかった。

あやうく、生きていることの心地よさを知らずに死ぬところだった。

生きていてよかった。心からそう思う。

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