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母からの離脱。「自分」の構築。

まだまだ手探りの構築中だけど

母と私の長い期間の共依存関係。母子分離作業はラクではなかった。
少し前にも同じような内容で書いた。

少しずつ変化していく自分を記録しておきたい。

先週、母のことを書いたときはすごく気分が悪くなった。
書いている途中で気分の悪さに耐えられなくなって、一度文章を消してからまた書いた。

それほど母は私の中に侵食して、私を乗っ取っていた。

母のもともとの性格、生まれ育った環境、そしてお嫁にきた先(ここ)の不運な環境の中で、
とにかく我慢するしかなく生きてきた母。
「女だから」という理由で我慢するのは当たり前の時代。

不本意で納得できないことばかりを押し付けられても、
誰かに愚痴をこぼしたり弱みを人に見せるなんてできなかった母。
もともとがとてもクローズで頑なな性格。


成績はよかったのに経済的な事情で大学には行けなかった。
それで夢も絶たれた。
高校を卒業して就いた仕事は好きだったのに、結婚と同時にやめさせられた。
夫は自分にも家族にも全くの無関心。
都合の悪いことを全部自分に押し付け、一方的に責め立てる無責任男。

娘の私から見ても父はとんでもない男だったし、母がかわいそうだった。

そんな母が、「娘が自由に生きる」ことを許せなかったのは当たり前だなぁと今では思える。
(あ、本人はいつも真剣に娘のことを考え、応援してきたつもり)

それほど抑圧されていたら、無意識に子どもに対して抑圧的になるし過干渉になる。

病んでる家族だったなぁとつくづく思う。
今でも変わらず病んでるけど。

自分の中に棲む母を一度抹殺するのは、それはそれは苦しい作業だった。
今思い出しても目眩がするし、安易には人にオススメできない作業。

それでも、やってよかったと思う。

母を捨ててから、母に与えて欲しかった言葉を自分で自分に与えられるようになった。
母に「言葉」を求めているうちは、自分で自分に与えることができなかった。

私は子どもの頃から常に母の顔色を窺い、母のことを気にして生きてきたので
いつの間にか「母」は私の中に棲み、どっかりと私の中心部分を乗っ取っていた。

ずっと「母」に怯えて生きてきた。息をするのも苦しかった。

何をするにも「母」を通して考え、何を見るのも「母」の目を通して見る。
最優先は母の機嫌。

私の中にいるのは私ではなく、「母」。
探してもなかなか見つからない「私」。

もちろん、私の中に棲むのは実体のない「幻」の母。

そんな母に出て行ってもらうのは、本当に難しい作業だった。

「私」の土台を構築しているのは母。そんな母を壊してしまえば自分も壊れる。

母との苦しい関係に終止符を打とうと決心してから、数年が経った。
今でも完全にできた!とは言えないけど、ようやく「これでよかったんだ」と心から思えるところに辿り着いた。

いちいち母の機嫌を窺わない私。
母の機嫌が悪くても放っておける私。

今まで感じたことのない「自由」を感じている。

母の機嫌を窺わずにいられるようになったので、母へのイライラがすごく減った。
ラクな気持ちで母のそばにいられるようになった。
無理をせずにいられるから、母のそばでも自然と笑顔でいられるようになった。

「幻」の母に私の中から出て行ってもらったあと、すぐには「自分」が埋まらなかった。
今は自分で自分にたくさんの言葉を注いでいる。

母から与えてもらいたかった言葉たちを自分で自分に注いでいる。
「母」の代わりを自分でできるようになった。
なので、「母」に愛情を求めずに済むようになった。

まだまだおぼつかない私なので、日々手探りだけど。

自分の「再構築」ではなく、「構築」。
もともと私の中に「私」は存在しなかったから、再構築にはならない。
ゼロから積み上げていく作業。

相変わらず不安定な部分も多いので、自分から目が離せない。
些細なことでよろよろと崩れそうになる。
すかさず自分に「言葉」という愛情を注いで、少しずつ自分を満たしていくしかない。

でも、自分に言葉を与える作業、どうやら私はキライではない。
楽しい。なぜかすごく楽しい。
日記帳を開いて自分と会話するのは、なんとも言えず楽しい時間。

そこには「母」はこれっぽっちもいない。

「自分」だけをどっぷりと感じられる幸せな時間。

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